第3話

 アベルにとっては十五年ぶりの王宮である。とはいえアベルが住んでいたのは王宮ではなかったから、何の感慨深さもない。ルーズベルトの後に続くアベルを見て、そしてそのアベルを取り囲む衛兵の多さを見て、王宮に勤める者はみな驚いたように振り返っていた。


「アベル殿下のお部屋はこちらになります。ほかの候補者と同じ区画で生活していただきますので」


 連れられたのは、王族が暮らす区画から随分離れた場所に位置する離宮だった。候補者を住まわせるにはもってこいだが、候補者の中でも第二王子であるユセフは元の部屋で過ごすであろうに、一応血の繋がるアベルをここに置くのはつまりそういうことだろう。


「どうせオカアサマが俺の顔が見えないようにしろとか言ったんだろ。いいよ隠さなくて。あの人は俺のこの髪と目が嫌いなんだ」


 気持ちの悪い呪われたその色、二度と私に見せないで。王妃はそう言って、アベルを見て怯えていた。それこそ、気が狂うほどである。


「そういえば、アベル殿下」


 アベルを部屋に案内したルーズベルトは、立ち去ろう背を向けて動きを止める。幼い頃は横目に振り向いていたものだが、大人のアベルへの対応は違うのか、ルーズベルトはくるりと振り向いた。


「候補者の名前を並べた際、どの候補者のことに関してもお聞きになられませんでしたね。あなたが復讐をお考えなら聞きたいこともあったはずです。しかし聞かなかったということは、その人物について知ってたからではないですか? 貴族の方々に関してはやはり目立つ動きも多いので情報収集は簡単だったでしょう。あなたの頭には複数の貴族の情報があるとして……なぜ、カイン・シュナイゼル様のことをご存じなのでしょうか」


 アベルの部屋の周辺には衛兵が居ない。ルーズベルトが人払いでもしているのか、最初からアベルは守る対象としていないのか。


 だからこそ踏み込んで聞いたのであろうルーズベルトの問いかけに、アベルはやはりつまらなそうに眉を揺らす。


「興味ないから聞かなかったんだよ。そもそも、復讐が目的なんて言ってないだろ? 俺は『復讐だって言ったらどうする?』って聞いただけだ。勝手に妄想して人を悪人みたいにしないでくれ。ああ、でも仕方ないか。あのオトウサマとオカアサマに傾倒してるんだもんな」


 目に見えた挑発に乗ることはなく、ルーズベルトは答えを諦めたように再び背を向けた。


 ルーズベルトの背が遠ざかる。それを見送ることなく、アベルは案内された部屋へ入った。


「変わらないねぇ……ルーズベルト・アントン」


 堅物で盲信的で、そのくせ妙に鋭いところがある。


 幼い頃、アベルは周囲から憐憫な目を向けられていたが、ルーズベルトだけは対等にアベルを見ていた。


「相変わらず気色の悪い男だな」


 アベルに用意された部屋は狭い一室だった。


 古びたベッドと机がひとつずつ。歓迎されていないことは明らかである。いや、どうせ殺されるのだから気を遣う必要もないということか。


 埃っぽい机に、アベルは馬車で読んでいた本を置いた。表紙をゆっくりと指でなぞる。


『呪われた王子へ』


 そのタイトルは、やはり何度見ても不愉快である。


「……全部盤上か……面白くない」


 静かな部屋に、やけに大きなアベルのため息だけが落ちる。


 特に気になったところをもう一度読むかと、アベルが何気なく本を開くと同時、外から微かに聞こえた。


 手が止まり、アベルの視線は窓の外に向けられる。


 距離があるのか、内容までは分からない。この状況で、このタイミングでの会話。少し考え、ここでは聞こえないと察したアベルは、すぐさま窓から外に出た。


 離宮は敷地の隅っこにあり、アベルの部屋は端に位置しているために、外に出るとすぐに王宮を囲う塀が見えた。もちろん衛兵は居ない。どうやらアベルの部屋は外も内も守られていないようだ。


 足音が立たないようにとそっと歩き、とある角で足を止める。


「ごめんね、忙しいときにお邪魔して」


 アベルが角からそちらを覗くと、とある部屋の窓から行儀悪く男が出てきた。


 その部屋はアベルの部屋から近い。離宮が広いために分かり難いが、ちょうどアベルの隣に位置する部屋である。


「不安もたくさんあるだろうけど……私は出来る限り君を援助したい」


「気にしないでください。僕はこの境遇に不満はありません」


「いいや、不満を持つべきだよ。こんなに狭くて埃っぽい部屋……明らかにほかの候補者と違いすぎる」


 狭くて埃っぽい。そんな部屋に案内されそうな人物を思い浮かべ、アベルはなるほどと、思わず口角を吊り上げる。


「精霊祭の日程も知らされていないなんてありえない。また来るよ、今度は精霊祭に参加するための衣装を用意してね」


「いえ、あの、ルドルフさんにそこまでしてもらうわけには……本当に僕は大丈夫なので……」


「大丈夫じゃないよ。……じゃあ、また来るね」


 強く言われて相手が驚いた様子でも見せたのか、男は最後には申し訳なさそうに別れを告げ、その場を離れた。


 パタン、と窓が閉じる。見届けた男はすぐに歩き始めたのか、芝生を踏む音がアベルに近づいた。


 アベルは動かなかった。ただ待つように佇んでいる。


 男がアベルの居る角を通り過ぎたとき、男は驚いた様子で振り向いた。


「よぉ、ルドルフさん?」


「……なっ……あなたは……」


「おまえ、なんでそんな偽名使ってんだよ」


「……兄さんが、どうして生きて……」


「俺を兄さんって呼ぶと、せっかく偽名を使ってまで隠したおまえの正体がバレちまうぞ」


 アベルの言葉に、男――ユセフは、ぐっと口を閉じる。


「あなたも、後継者候補として呼ばれていたんですね」


「もちろん。ここは王家が体良く殺したいやつが集められてるんだろ? それなら俺はこの場には最適だろうからな。……おまえが王になる出来レースだってことも分かってる。ルドルフなんて名乗って、おまえは何をしようとしてんだ」


 ユセフは険しい表情で目を伏せた。警戒している様子はない。言っても良いのかと迷っているようにも見えるが、アベルへの罪悪感で揺れているだけかもしれない。もしかしたら、アベルとの再会に困惑でもしているのか。


 その様子に目を細め、アベルはゆったりと口を開く。


「なぁユセフ。お優しいおまえのことだ、さっきあいつに構っていたのは、ほかの候補者にあいつを殺させないためなんだろ?」


 伏せられていたユセフの目が、パッとアベルに向けられた。


「俺が協力してやるよ。おまえが候補者に介入できる範囲は限られてる。精霊に愛された第二王子は国民に顔を知られていないし、もちろん候補者もおまえのことを知らないが、それでも派手に動くことはできないはずだ」


 ピクリと、ユセフの指先が揺れた。表情が鋭く変わる。変化は顕著で、アベルは目を細めた。


「……あなたは、私のことを覚えていたんですね。私たちが会ったのは二回。一回目は私が六歳の頃、偶然あの幽閉棟を見つけたときでした。二回目は、あなたが死んでいるのを見つけたときです。あなたはどうして、大人になった私があなたの弟であると分かったんですか?」


「ん? そんなん、おまえもだろ?」


「……その瞳と髪は、あなたでしかありません。幼い記憶に焼き付いていますから」


 アベルの瞳は、まるで上質なルビーのように紅く透き通っている。リーズバング王国どころか世界的に見てもそんな色の瞳は稀少で、通常であれば染色体異常ということで髪や肌まで白くなるものだが、アベルは瞳だけが燃えており、髪色は両親に似ることなく闇のように黒い。そんな色合わせは、世界中どこを探しても見つけられないだろう。


「ああ、この目か。王妃はこの目が嫌いだった。知ってるか、産まれたての俺を見た王妃は、汚らわしいと言って赤ん坊の俺を投げ捨てたらしい」


「……お母様がそんな……」


「そりゃ、おまえには良い母親ヅラするだろ。気色の悪い長男を世間から隠し、不安に苛まれながら産んだ次男が精霊に愛されていたんだからな。大切に育てられたんだろ? 六歳の頃、偶然幽閉棟に来たときにもすぐに連れ戻されてたしな」


 アベルは卑屈になるでもなく吐き捨てると、くるりと踵を返した。ユセフは思わず口を開きかけたが、すぐにアベルが言葉を吐き出す。


「気が向いたら声かけろよ、俺はおまえに協力出来る」


「え、あ、待っ……」


 ひらひらと手を振りながら遠ざかるその背中にかける言葉を探していたが、ユセフは結局、追いかけることをしなかった。

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