1部 情報の非対称性 ~市場価値のバグを見つけ出せ~
1章 ダンジョンの現実:ビジネスとしての探索
第2話 入場料2000円の世界
平日の午前9時。川越ダンジョンゲート前の広場は、様々な人間の熱気で渦巻いていた。
高価な最新装備に身を包み仲間と談笑する中堅パーティ。使い古した装備の手入れを黙々とこなす無口なソロ探索者。そして、俺と同じように緊張と不安を隠せずにいる初心者たち。
「そこの兄さん! うちのギルドに入らないかい? 今なら入会金無料! 装備のレンタル割引もあるよ!」
「探索者保険にはもう加入しましたか? ダンジョンは何が起こるか分かりませんからね!」
装備品ショップの呼び込みの声。ギルドの勧誘員の声。保険のセールスレディの声。
まるで巨大な工場に群がる労働者のための企業城下町のような光景だ。
俺は、その熱気から一歩引いた場所で壁に寄りかかり、冷静に周囲を観察していた。
冒険の始まりに胸を躍らせている人間など、ここには一人もいない。誰もが生活のためにここにいる。
◇
ゲート施設の中は、外の雑踏が嘘のように静かで無機質な空間だった。
コンクリートと鉄骨で補強された、巨大な地下施設。雰囲気は、空港の保安検査場か駅の自動改札に酷似している。JDA《ダンジョン管理庁》の制服を着た職員たちが淡々と業務をこなしていた。
俺は列に並び、受付カウンターで先日取得したばかりの「E級探索者ライセンスカード」を提示する。
受付職員は、ガラス越しに感情のこもっていない声で言った。
「佐倉悠斗さんですね。E級ライセンスでは、第3階層までの進入が許可されています。本日のゲート使用料、2000円になります」
俺は昨日引き出した1万円札を渡し、お釣りの8千円を受け取る。
なけなしの金があっという間に減っていく。これが最初の投資だ。仕方ない。
次に金属探知機と、魔力スキャナーが設置されたゲートを通過する。
持ち込んだ安いショートソードが、JDAの定める「民間人所持許可サイズ」に収まっているか。違法な薬物を所持していないか。厳しくチェックされた。
ダンジョンへと続く、最後の扉。その手前には、巨大な電光掲示板が設置されていた。
【本日の川越ダンジョン内状況(AM 9:00現在)】
死亡者数: 0名
重軽傷者数: 2名
行方不明者数: 0名
JDAは探索者の皆様の安全な活動を推奨しますが、ダンジョン内でのいかなる事故・損害についても、一切の責任を負いません。
入場料2000円。
これは、この国営カジノのテーブルに着くための最低料金か。
そして死亡しても自己責任。どこまでも都合のいいシステムだ。
俺は、静かにその扉の向こう側へと、足を踏み入れた。
◇
第1階層。
ひんやりと湿った空気。カビと土の匂い。
しかし、そこに冒険のロマンはなかった。
壁にはJDAが設置した非常灯が等間隔に灯り、通路の角には監視カメラまで設置されている。
フロアには、俺と同じような初心者たちが、必死の形相でスライムやゴブリンを叩いていた。
「うおおお!」と叫びながら、ゴブリンに力任せに剣を振り下ろし、受け止められ、焦っている若いパーティ。
少し離れた場所では、中年のソロ探索者が黙々とスライムを狩っている。その顔には、生活のために単純作業をこなす、工場の労働者のような疲労の色だけが浮かんでいた。
俺はすぐには剣を抜かない。
まず、岩陰に身を隠し、他の探索者たちの「仕事」を冷徹な目で、30分以上も観察し続けた。
(無駄が多すぎる。攻撃をいちいち武器や盾で受け止めている。あれでは装備がいくつあっても足りない。完全な消耗戦だ)
(ゴブリンの動きは単調でパターン化されている。だが彼らは、そのパターンを見ようとせず、ただ目の前の敵に感情的に反応しているだけだ)
(彼らは自分たちが『冒険』をしていると信じている。だが実際には、時給換算で俺のコンビニバイト以下の『労働』をさせられているだけだ。しかも労災保険すらない)
俺は、静かに立ち上がる。
この非効率で理不尽な労働現場の本当の攻略法は、すでに俺の頭の中に描かれていた。
俺は他の探索者たちが見向きもしない、洞窟の最も視界が悪く戦いにくいとされる、岩場の奥へと一人静かに歩を進めていく。
そこが俺の「実験」を開始するのに、最も適した場所だったからだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます