金融チートで悪役令嬢を救います! 追放された彼女と元証券マンの俺が、株式市場で世界を覆す物語。
藤宮かすみ
第1話「追放令嬢と元証券マン」
意識が浮上する。
水中から水面を目指すように、ゆっくりと、ゆっくりと。
最後に見た光景は、突如発生した線状降水帯による大雨、その雨水が地下駐車場を満たしていく光景。
昼寝をしていて、気づいたときにはもう手遅れだった。
「……死んだ、のか」
斉藤奏(さいとう かなで)は、まるで他人事のようにつぶやいた。
目の前には、現実感のない真っ白な空間が広がっている。そして、その中心に、息を呑むほど美しい女性が微笑みながら立っていた。光そのもので編まれたようなドレスをまとい、慈愛に満ちた瞳でこちらを見つめている。
「はい。斉藤奏さん。残念ながら、あなたはお亡くなりになりました」
女神、とでも呼ぶべき存在なのだろう。彼女の声は、不思議とすんなり心に染み込んできた。
「記録的な豪雨でしたから。お気の毒に」
「はあ……」
証券会社の営業マンとして、日々数字と顧客に追われていた俺の人生は、どうやら地下駐車場での仮眠中に終わりを迎えたらしい。あまりにも呆気ない幕切れだ。
「あなたの魂は、本来ならこのまま輪廻の環に還るはずでした。ですが、あまりに理不尽な死であったため、ささやかながら選択の機会を差し上げようと思います」
「選択の機会?」
「ええ。一つは、このまま記憶を消し、新たな生を受けること。もう一つは、今の記憶を持ったまま、別の世界で新たな人生を始めることです」
いわゆる異世界転生というやつか。ラノベや漫画で何度も見た展開だ。
「ただ……」
女神は申し訳なさそうに眉をひそめた。
「今、異世界は勇者や聖女の召喚でリソースが枯渇しておりまして。あなたに特別な力……いわゆるチート能力を授けることができません」
「え、マジすか」
「授けられるのは、あなたの魂に深く刻まれた知識と経験、それだけです」
俺の知識と経験。それはつまり、証券マンとして培ってきた金融知識や営業スキルということか。剣も魔法もない世界ならともかく、ファンタジーな異世界でそんなものが何の役に立つというのか。
「まあ、無いよりはマシ、ですかね」
人生はリスク管理が重要だ。知識という元手があるなら、ゼロから始めるよりはいいだろう。
「では、異世界転生でお願いします」
俺がそう言うと、女神は嬉しそうに微笑んだ。
「承知しました。あなたの新たな人生に、幸多からんことを」
その言葉を最後に、俺の意識は再び柔らかな光に包まれ、どこまでも沈んでいった。
次に目覚めた時、俺はひんやりとした土の匂いに包まれていた。
見上げれば、鬱蒼と茂る木々の隙間から、見たこともない二つの月が顔を覗かせている。どうやら、無事に転生は成功したらしい。
身体を起こすと、服装は現代のスーツから、麻でできた簡素な平民服のようなものに変わっていた。ポケットを探っても、スマホも財布も、もちろん名刺入れもない。まさに裸一貫からのスタートだ。
「さて、どうしたものか……」
まずは現状把握が先決だ。幸いなことに、身体は健康そのもので、怪我もない。知識も無事だ。複利計算も、企業の財務諸表の見方も、もちろん覚えている。……いや、だからそれが何の役に立つという話だが。
森の中をあてもなく歩き始めて数時間。水の流れる音を頼りに進んでいくと、小さな小川のほとりで、倒れている人影を見つけた。
「おい、大丈夫か!」
駆け寄ると、それは一人の少女だった。年は俺より少し下、二十歳前後だろうか。月明かりに照らされた銀色の髪はところどころ汚れ、着ている豪奢なドレスは見るも無残に引き裂かれている。だが、そんな状態でも隠しきれない気品と、整った顔立ちが彼女の素性の良さを物語っていた。
「……っ」
俺の声に気づいたのか、少女がうっすらと目を開けた。その青い瞳は、まるで上質なサファイアのようだったが、今は深い絶望の色に濁っていた。
「水……飲めるか?」
俺は近くの川で水を汲み、ゆっくりと彼女の口元へ運んでやった。少女はこくこくと何度か喉を鳴らし、少しだけ落ち着きを取り戻したようだった。
「……あなたは、誰?」
か細い声で少女が尋ねる。
「俺は奏。斉藤奏だ。あんたは?」
「私は……ルナマリア・フォン・リヒトハイム」
聞いたこともない名前だが、フォンという響きからして貴族なのだろう。
「こんなところでどうしたんだ? 家はどこだ?」
俺の問いに、ルナマリアと名乗った少女は自嘲気味に微笑んだ。
「家など……もうありません。私は、国を追われた罪人ですから」
彼女の口から語られたのは、あまりにも理不尽な物語だった。
ルナマリアは、この国の公爵令嬢であり、第二王子アルフレッドの婚約者だった。しかし、アルフレッドが子爵令嬢のリリアナに心移りしたことで、彼女の運命は暗転する。リリアナは王子の寵愛を独占するため、ルナマリアが自分を虐げ、さらには国の機密を他国に売ろうとした、と嘘の罪をでっち上げたのだ。
王子はリリアナの言葉を鵜呑みにし、多くの貴族たちの前でルナマリアの罪を断じ、婚約破棄と国外追放を宣言した。彼女の家族であるリヒトハイム公爵夫妻も、王家の決定に逆らうことはできず、泣く泣く娘を見送ったという。
「私は何もしていない……ただ、王子を、この国を愛していただけなのに……」
ぽつり、ぽつりと語る彼女の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「悪役令嬢……か」
まるで物語の世界だ。だが、目の前の少女が流す涙は、紛れもない本物だった。全てを奪われ、たった一人で森に放り出された彼女の絶望は、いかばかりだろうか。
「……これから、どうするんだ?」
「どうにも……。このまま、森で静かに朽ちていくだけですわ」
力なくつぶやくルナマリアの姿に、なぜか前世の記憶が重なった。
顧客のためにと誠心誠意働いても、市場の気まぐれ一つで資産を失い、罵倒される。会社の理不尽なノルマに、心をすり減らす日々。俺もまた、見えない何かに追われ、絶望していたのかもしれない。
だから、彼女を放っておけなかった。
「なあ、ルナマリア」
俺は決意を込めて、彼女の瞳をまっすぐに見つめた。
「死ぬなんて言うなよ。あんたの話が本当なら、悪いのは全部あんたを陥れた連中だ。あんたが諦める必要なんて、どこにもない」
「でも、私にはもう何も……」
「ゼロからのスタートなら、俺も同じだ。いや、マイナスからのスタートかもしれないな」
俺は不敵に笑ってみせた。
「だったら、一緒に始めないか? 俺とあんたで」
「始める……? 何をですの?」
「商売だよ。商会を立ち上げるんだ。そして、でっかく成功させて、あんたを笑いものにした連中を全員見返してやる」
突拍子もない提案に、ルナマリアは呆然と目を見開いている。
「そんなこと……できるはずが……」
「できるさ。俺には特別な力はないが、知識がある」
俺は自分の胸を叩いた。そこに刻まれているのは、証券マン・斉藤奏が積み上げてきた全てだ。
市場を読み、人の心を動かし、無から富を生み出す知識。
それは、剣や魔法よりも、この世界を変える力になるかもしれない。
「僕の知識と、君の気品と育ちの良さ。二人なら、きっとうまくいく」
俺は彼女に手を差し出した。
「だから、僕に投資してくれないか? 君の人生という、最高の資産を」
投資。彼女には意味の分からない言葉だったかもしれない。
だが、俺の瞳に宿る熱は伝わったのだろう。
ルナマリアの青い瞳が、わずかに揺れた。絶望の底に、小さな、本当に小さな希望の光が灯ったように見えた。
「……信じても、いいのですか? あなたを」
「ああ。俺を信じろ。絶対に、あんたを笑顔にしてみせる」
差し出された俺の手を、ルナマリアはおそるおそる、震える手で握り返した。その手は驚くほど冷たかったが、確かな温もりがそこにはあった。
こうして、元証券マンと追放された悪役令嬢の、奇妙なパートナーシップが始まった。
二つの月が、そんな俺たちの門出を静かに照らしていた。
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