向かった先は

「柚坊。一体あの嬢ちゃんに何があったんだ?」


 一しきり状況も落ち着き、俺が連れてきた少女も更衣室に入ったところでおっちゃんはそう問うてきた。そのおっちゃんの左手には、今や見る影もない新品だったタオルが握られている。


「ああ、実はな――」


 隠すことも別に無いだろうと思い、俺は素直にここに来るまでに何があったのかをこの人の良いおっちゃんに対し説明した。


 曰く、少女がかき氷をかけられたこと。曰く、加害者にも害意はなくまだ小さな女の子だったこと。曰く、その女の子のお母さんは少女に謝り倒していたこと。


 ガッシャーンという音を頼りに俺が目を向けたその時にはもう既に少女はびしょ濡れだった。更に小さな女の子は泣いていたし、そのお母さんと思われる女性は綺麗な土下座を少女に対し披露していた。


 誰がどう見ても、これが悲しい事故現場なのは明らかだ。にも関わらず道行く人たちはそれを一瞥するだけでどうにかしようとはしなかった。商店街の中にはただ、女の人の「すみませんでした!」という叫びにも近い謝罪が虚しく響いていた。


 その現場を目にした途端、俺はどういった行動に出るべきなのか迷った。かき氷をかけられてしまった少女は少女といっても恐らく中学生ぐらいだ。自分で解決できるだけの力は十分に有しているはず。果たして下手に俺が関わっても良いものなのか、俺は迷った。


 だがしかし、少女の手が微かに震えているのを目にした途端俺は無意識のうちに足を踏み出していた。


 そこからは、我ながら上手いこと現場を収拾できたと思う。謝り倒す女性の説得には少し時間が掛かったものの、最終的には上手いこと現場を切り抜けられた。


 そのままぐしょぐしょの少女の手を引き、俺が急ぎ足で向かったのはこの商店街内に店を構える服屋だ。彼女の身だしなみを整えるためにはこの服屋が最適だと俺は判断した。


 この服屋は良い。何が良いってそりゃもう一言では語り尽くせない程色々あるが何と言ってもそう――。


「な、何があった!?」


 ここの店主のおっちゃんは人が出来すぎている。


 俺がこの服屋に着いてまずした行動は、おっちゃんを呼び出すことだった。申し訳ないが、店の前で少し大きな声を出しおっちゃんを召喚させてもらった。


 召喚したおっちゃんは俺が説明するまでもなく奥からタオルを持ってきてくれた。それも恐らく新品のやつを。


 俺は少女がフキフキしているのを横目に、店内に足を踏み入れた。そして適当な服を見繕う。


 案の定、おっちゃんは少女の着替えを見繕おうとした。だがしかし、そこで俺はストップをかけ俺が先程見繕ってきた服を少女に手渡した。


「取り敢えずこれに着替えてくれ」


 そこで事件は起きた。何とこの少女、俺が手渡したその服にその場で着替えようとしたのだ。


 待ってくれ。ここまだ人通りのある外だぞ?


 少女が服に手を掛け、脱ごうとした途端俺達は慌てた。痴女か!? 痴女なのか!? と俺は思ったね。


 そんでまあなんやかんやは特になく、おっちゃんが更衣室に少女を案内して今に至るという訳だ。


「とまあそんな感じだ」


「成程なぁ」


 そう顎に手を当て目を瞑って頻りに頷くおっちゃん。おっちゃんは恐らく事件性の何かがあったとでも思っていたのだろう。蓋を開けてみればただの悲しい事故で、「災難だったなぁ」ぐらいには思ってるだろうがそこに事件性は無く、おっちゃんは一安心のようだ。


「それにしても柚坊。お前さんまたえらく別嬪さんになったなぁ」


 この場の空気を切り替えるようにおっちゃんは俺の姿を見てそう言った。おっちゃんの顔からその言葉は紛れもない本心だと受け取れる。


「そうか? 自分ではあんま分かんないんだが……」


 確かにメイクの技術は上達したとは思う。でもぱっと見で分かるほどの変化は無いと思うんだけどなぁ。


 自身のつま先まで入念に観察していた俺の頭に、おっちゃんは空いている方の手を乗せる。そして髪が崩れない程度にわしゃわしゃしながらこう言った。


「自信を持て柚坊。お前さん程の別嬪さんだったらそうだなぁ……」


 そう言って少し考える素振りを見せるおっちゃん。やがて言葉が纏まったのかおっちゃんはニカッとした笑顔で俺に対しこんな爆弾発言をした。


「うちに嫁いでほしいぐらいだ」


「なっ!?」


 な、何言ってんだこのおっちゃんは。嫁ぐ? 俺が? マジ何言ってんだ? だって、だって俺は――。


「俺は男だ!」


 おっちゃんの手を払いのけながら俺はらしくもない大声を出す。


 冗談でも言って良いことと悪いことがある。俺が嫁ぐだと? それってつまりおっちゃんとこの息子の嫁になれって言ってるようなもんだろ? マジで何言ってんだおっちゃんは。


「おいおい。そんな怒んなくてもいいじゃねーか」


 怒る? いやいや何言ってんのさおっちゃん。


「べ、別に怒ってねーし」


 そう、俺は怒ってはいない。ただ俺が嫁入りするところをちょっと想像しちまって、変な気持ちになってしまっただけだ。俺は別に怒っちゃいない。


 それとこんな格好をしていては説得力は皆無だろうが、俺の性自認自体は男だ。普通に女の子が好きだし、男とそういう関係になるなんてありえない。……ウエディングドレスはちょっと着てみたいとは思ったけど。


「はぁ。素直じゃねーなぁ、柚坊は」


 やれやれ、といった感じでそんなことを言うおっちゃん。何言ってんのさおっちゃん。 俺ほど素直な人間はいないと思いますけど?


 とそんな会話をしていたタイミングで、俺のスマホが通知音を鳴らした。通知音に反応した俺は、小さなカバンからスマホを取り出す。


「っと。わりーおっちゃん」


 一言おっちゃんに断りを入れてから俺はメッセージを見た。メッセージの送り主は姉さんだ。


 メッセージはたった一言。


『まだ?』


 これだけだった。


 そのメッセージを見た途端、俺はぶわっと冷や汗をかく。


 やっべー、色々あって忘れてた! 俺姉さんに呼び出されたからこんな格好して外出てたんじゃん。ヤバい、マジでヤバい。こうしちゃおれん。


「どうした柚坊?」


 俺は急いでカバンから財布を取り出し、今更衣室で少女が着替えている服代のお金をおっちゃんに急いで手渡す。そしてこれまた急いで外に向かってダッシュした。


「お、おい! 柚坊!」


「わりぃおっちゃん! 今は、説明してる暇は無いんだ!」


 俺は一刻も早く、姉さんのもとに向かわなくちゃいけねーんだ。


「そ、そうか。柚坊、一言良いか?」


「何だ? 手短に頼む!」


「お前さん、さっき顔ニヤけてたぞ」


「うっせ」


 そう言って今度こそ、俺はこの居心地のいい服屋を後にしたのだった。


==========


「じゃーん。……あれ?」

「あーすまんな嬢ちゃん。柚坊ならもう行っちまった」

「がーん」

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