甘さを添えた食卓


 今日の朝食は、焼きたてのクロワッサンだ。

 ぱりっとした表面をかじれば、バターの甘い香りが口いっぱいに広がる。


 しかし、シリウスは胸がいっぱいで食事に手が伸びない。

 昨晩のことを思い出すと顔が熱くなる。

 ぼんやりとしていると、


「おい、シリウス。俺以外のどこを見つめてる? 妬けちまうな」


 レイヴァンがからかうように声をかけてきた。

 びくりとシリウスは背中を震わせた。


「魔王様、ずいぶんとご機嫌ですね。……まさか、彼の様子と関係が?」


 クロヴィスが紅茶を口にしながら、ほほ笑む。

 シリウスはまずいと思ったが、それよりも早く、


「まあな」


 レイヴァンは悪びれもせず、堂々と宣言した。


「昨晩は楽しいことがあった。なっ、シリウス?」

「ちがう! いや、ちがわないが! 言わなくていい……!」


 シリウスは耳まで赤くした。本当は否定したかったのだが、嘘をつけないので、余計なことを口走った気がする。

 クロヴィスは更に笑みを深める。


「不浄罪ですか。……すなわち即刻、死罪、と」

「やめろ、クロヴィス。もう俺のもんだ」

「魔王様は何も悪くありません。すべての罪は、不相応にも魔王様に手を出した、そこの大馬鹿にあるのです」

「ふむ。城中に……いや、国中に通達が必要か」

「ただの処刑ではなく公開処刑とは。さすがです、魔王様」

「通達!? 何を……!? いや、やめろ!」

「ねえねえ、何の話?」


 無邪気に尋ねたミオに、レイヴァンがにやりと笑った。


 この魔王が余計なことを言う前に、何としてでも制止しなくては……!

 シリウスは慌てて止めに入るのだった。



 ◇



 シリウスは困っていた。

 この魔王、やたらと食べさせようとしてくる。


「ほら、今日のおやつはチョコレートだぞ。口を開けろ」

「…………?」


 唇にチョコレートを押し当てられ、シリウスは固まっていた。状況が理解できない。


 今の今まで、中庭でルーディアと遊んでいたはずなのだが……?


 突然、転移で現れたレイヴァンが「おやつの時間だ」と言って、腕をつかむ。そして、すかさず転移拉致。


 気が付けば、ソファでレイヴァンの横に座らせられていた。

 そして、チョコレートを食べさせられようとしている。


 もぐ……っ、と仕方なく口に含んでからも、シリウスは何だか納得いかない。


(……本当にいつも突然だ)


 少しはこちらの事情も考慮してほしい。

 ちょっと、じとー、とした目になるのも仕方ないと思う。


 しかし、口の中のチョコレートを噛んだ瞬間、不満は消えた。

 パキッ……と硬めの表面が割れると、中からとろりとしたものがあふれる。濃厚で甘い。キャラメルフィリングだ。

 苦めのカカオと、キャラメルの甘さが口いっぱいに広がった。


(あ……これ、美味しい)


 その甘さに、自然と頬が緩む。


「……好きだ」


 感想がつい口から零れた。

 すると、


「可愛いな、お前」


 レイヴァンがにやりと笑って、口を塞いできた。口内に残っていたチョコレートの余韻が更に甘さを増す。


「…………っ!」


 やはり突然なので、シリウスは目を見張る。その顔を見て、レイヴァンは満足そうに笑った。


「もっと食べるか? 次は口移しで」




 この魔王、やたらと食べさせようとしてくる上に、すぐキスしてくるので、シリウスは困ってる。

 ――いや、本当は困ってない。


 ……だだ、突然の転移拉致だけはやめてほしい。




 ちなみに、その後。

 シリウスを奪われたルーディアは大変ご立腹、


「がう! がうがうがうっ!!」


 しばらくはレイヴァンに会う度に、親の仇のごとく吠えたてていた。



 ◇



 レイヴァンと一緒に過ごす時間が格段に増えた。


 シリウスは今でも、夢を見ているんじゃないか、これは罠なんじゃないかと、不安に思うこともある。

 でも、あれから毎晩一緒だし、昼も気付けば、当然のように隣にいた。


 そんな日々を送るうちに、シリウスもようやく実感できるようになった。


 ――レイヴァンの『特別』は、本当に俺だけなんだ。


 ずっと胸の奥が温かい。


 触れられた感触も、交わした言葉も、全部が夢みたいで――けれど確かに、今は自分のものだ。

 好きな人の隣にいられることが、こんなにも幸せだなんて思わなかった。


 その日の夜は、ベッドに寝転がりながら、互いについての話をしていた。

 シリウスは自分のことを話すのが得意ではない。だけど、レイヴァンの隣にいたら、自然とリラックスして、すらすらと口を吐いて出た。


 つらいことばかりだった王国――楽しかった記憶は、母と過ごした子供時代だ。


 近所の野良犬に懐かれて、よくご飯を奪いとられていたという話をすると、レイヴァンは声を上げて笑った。


「お前、その頃から犬使いの才能あったのか! 道理でルーディアが懐くはずだ」

「ルーディアは犬ではなく、狼……いや、魔物だが」

「似たようなもんだろ」


 機嫌のよさそうな顔を間近で眺めながら、シリウスは口を開く。


「……君のことも、もっと知りたい」

「おお、いいぞ。何でも教えてやる」

「家族はいるのか?」

「んー……」


 レイヴァンはうつ伏せで、組んだ腕に頬をくっつけている。

 そして、無邪気に笑った。


「今は、いねえな。この城にいるみんなが俺の家族だ」

「なるほど……? 確かに、クロヴィスは君の世話焼き女房みたいだ」

「嫁はお前だろ?」


 当然のように言われて、顔が熱くなる。頬が緩んで、ふにゃりと笑ってしまう。

 赤い瞳をじっと見つめていると、レイヴァンはにやりとした。


「何だよ、そんなに見つめて。俺のことがそんなに好きか?」


 シーツを引き上げて、口元を隠しながら、シリウスはこくりと頷いた。


「……好きすぎて、困ってる」

「お前、本当に可愛いな。襲っちまうぞ」


 ほっぺをむにむにされても、緩んだ口元はなかなか元に戻らない。


 このまま幸せな触れ合いを続けていたかったが……ふと、気になっていたことが頭をよぎった。


「その……前から聞きたかったのだが……」


 シリウスはためらいがちに切り出す。


「君ぐらいの権力と力があれば、何でも思い通りになるだろう。それなのに……どうして、俺を選んでくれたんだ」


 レイヴァンはうつ伏せの姿勢から、横を向いてシリウスと顔を合わせた。真剣な瞳がこちらを射抜く。


「初めて会った時、変な奴だと思った。こんなに弱り切っているのに、俺の助けを拒否して、意地を張って……。極限状態まで追い詰められても、お前は誇りを失わなかった。そんな奴に会うのは、お前が初めてだった。お前よりずっと力の強い魔族だって、あんな意地っ張りはいねえ」


 そこで楽しそうに笑う。


「気がついたら目が離せなくなって……意地を張るお前の、喜ぶ顔が見たくなった。それを俺だけのものにしたくなった」


 レイヴァンはシリウスの体を抱きしめる。そして、優しい声で続けた。


「お前が好きだ、シリウス。人間でも……お前のことを好きになっちまった」


 シリウスはぐっと胸を熱くしていた。

 自分はずっと価値がない存在だと思っていた。しかし、彼が自分のことを認めてくれる……それだけで、ここにいてもいいのだと思える。


「……俺も君が好きだ、レイヴァン」


 そう答えて、シリウスはそろそろと彼の背に腕を回した。


「ありがとう……。君の隣にいられて、幸せだ」


 これからもこの腕の中にいたいと。

 心からそう思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る