第2章 騎士くん、魔王城で暮らし始める

ご褒美パンケーキ1


 ぺろぺろと頬を舐められて、目が覚めた。

 ルーディアが胸に乗り上げて、しっぽを振っている。


「ルーディアか……おはよう」

「がうっ」


 シリウスはルーディアを抱き上げながら、体を起こした。


 魔王城の一室だ。

 ここで寝起きしているという事実が、まだ信じられない。


 オルベール村での一件により、クロヴィスからも滞在許可をもらえた。

 そして、城の一室を個室として与えられたのだ。


 それはありがたいことではあったが、まだ戸惑いも残る。


 ――いつまで、ここにいていいのだろう。


 自分は王国の騎士なのに。国に帰らなくていいのだろうか。

 だけど、今までいたところよりも、この魔王城の方が暮らしやすいのも事実だった。


 そんなことを思ってしまうなんて……騎士として、失格かもしれない。


 シリウスは悩みながらもルーディアを抱え、ベッドから降りるのだった。



 ◇



 その日の朝食の席にて、


「おお、そうだ。ご褒美が必要だったな!」


 レイヴァンがいきなり立ち上がった。

 脈絡のない発言に、シリウスは目をぱちくりとさせる。


「……いきなり、何だ」

「たかが人間が、魔王様の御心を推し量ろうなど、無謀というものです。魔王様の突飛な発言は、誰もが理解不能な高次元にあるのですから」


 クロヴィスが優雅に紅茶をすすりながら言う。


(それは褒めてるようで、魔王をけなしていないか……?)


 シリウスは思ったが、口には出さなかった。


「ご褒美だよ。シリウス、昨日はとても素晴らしかったぞ。優秀な仕事ぶりに見合った対価が必要だ」

「…………っ」


 ストレートに褒められて、シリウスは顔から火が出そうになった。こんな風に自分の行いを評価してもらえることは、今までなかった。

 シリウスはレイヴァンから目を逸らし、膝上を見る。

 ルーディアがしっぽをふりふりとしながら、骨に噛みついていた。落ち着かない心を紛らわせるため、子狼の頭を無心に撫でる。


「何が欲しい?」

「いや……何も」

「何も? 欲のない奴だな」

「そう言われても。思いつかない」


 ――褒美なんて、もらったことないし……。


 シリウスはそう思いながら、わしわしとルーディアの体を撫で続けた。

 すると、ミオが元気に手を上げる。


「はい! ボク、それならおやつにパンケーキが食べたい!」

「パンケーキか。悪くはないが、昨日の対価としては見合わねえな」


 シリウスは顔を上げて呟く。


「……パンケーキ」

「何だ、欲しいのか?」

「食べたことがないから、わからない」


 さらりと事実を告げたつもりだったのに、その発言は想像以上に、周囲に衝撃を与えていた。

 レイヴァンは愕然として、ミオは騒ぎ出す。


「食べたことが……ない?」

「えー! 嘘!!? それって、生まれてから一度も!?」


 ――そんなに、おかしなことを言ったつもりはないのだが……。


 そう考えながら、シリウスは頷いた。

 すると、レイヴァンは項垂れて、わなわなと肩を震わせた。

 次の瞬間、勢いよく叫ぶ。


「クロヴィス!! 国中のパティシエを呼び寄せ、国庫を空にしてでも、ありったけの材料をかき集めろ!」

「落ち着いてください、魔王様。以前の時のように、訓練場を丸ごとプリンにされては、兵たちの訓練ができなくなります」


(以前、何があったんだ……)


 シリウスは呆れながら思った。

 視線を落とすと、ルーディアと目が合った。

 子狼は無邪気に「くぅん?」と首を傾げた。



 ◇



 そして、その日の午後。

 一同は魔王城の調理室に集まる。


 すでに竜人のロガンがいて、テーブルに様々な材料を並べていた。


「魔王様……。材料、そろえた……」

「ご苦労だったな。ロガン」


 レイヴァンは満足げに頷いて、袖をまくる。


「では、パンケーキを作るぞ」

「やったー!」


 ミオが両手を挙げて飛び跳ねる。ルーディアも負けじと「がうがう!」と鳴き、しっぽをぶんぶん振った。


(作るところからやるのか)


 王なのに……? 人に任せず、自分で?


 王国では考えられないことなので、シリウスは混乱していた。

 すると、目の前に大きなボウルが差し出される。ロガンがこちらを静かに見つめていた。


「シリウスも、手伝う……?」

「やり方がわからないのだが……」

「……教える」


 そう言われて、シリウスは戸惑いながらボウルを受けとった。


「まずは、卵とミルク、入れて……混ぜる」

「こうか」

「そう。……しっかり混ぜる。次は粉……」


 見た目は怖いのに、丁寧な指導だった。

 ミオが横で「まぜまぜ♪」と応援している。ルーディアはその場で自分のしっぽを追いかけて、ぐるぐると回った。


「よし、混ざったら後は俺に貸せ」


 レイヴァンが手を差し出してくる。シリウスがボウルを渡すと、調理台の前に立った。

 フライパンに生地を流しこむ。

 甘い匂いが漂い出すと、レイヴァンは鮮やかな手付きで、生地をひっくり返した。


「さすがです、魔王様。まさしく王の御業ですね」


 クロヴィスは椅子に腰かけたまま動かず、本を読んでいる。

 シリウスの姿を見ると、肩をすくめた。


「そこの人間とは雲泥の差です。見てください、この惨状を」

「……う……」


 シリウスは次の生地を混ぜていた手を止めて、苦い表情をした。

 ひどい有様なのは自分でもわかっている。力加減がわからず、テーブルには生地が散乱していた。その一部がシリウスの頬にも付着している。


(いや、それ以前に、王を働かせて、自分は座っているだけの方が不敬では……?)


 その言葉は呑みこんで、生地を混ぜ続けた。

 やがて、きつね色に焼けたパンケーキが山のように積まれていった。

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