第21話 女子会

 当主の帰宅は出迎えるのが当然だと思っていた。

 でも最近はこれでいいのかと思うようになってきた。

 というのも、レオハルトを出迎えると部屋まで一緒についていく雰囲気になってしまうためだ。

 そして、部屋の前まで来ると彼は、遠慮がちに後ろをついてきたカイに『下がれ』の合図をしてしまう。

 主寝室に入ると、その後の流れはいつも違うが、色々と甘い出来事があって……最終的には〝夕飯が抜き〟になることが多い。

 今日も部屋に入ってベルノの話をしているときに、もう頬を撫でられていた。

 

――なぜ真面目な話をしているときに触ってくるのか。


 しかも、どんどんそれが大胆になり、唇に触れられると、いつの間にかキスされている。

 

「それで……ベルノが黙って走り出してしまって……ん」


 唇を塞がれて、また話を聞いてもらえなかったと思いつつ、小さな腹立ちはその熱に溶けてしまう。

 しょうがないな……と受け入れてしまうのがいけないのか、それとも待ち望んでいた飢えを見透かされているのか……。

 横からさらうように唇を食まれながら、それに応えたら本格的なキスに突入してしまう。

 警鐘が頭の中で鳴り響いているのに。

 理性が取れ崩れそうになる寸前、クレイの話に出てきた『ダメ』がふっと浮かんだ。


「ダメ……」


 微かな囁き。甘さすら含んだ声だった。

 それなのに、レオハルトのキスはピタリと止まった。

 そっと唇を離し「……駄目か?」と確かめるように聞いてくる。


「今日は……ちゃんと話を聞いてほしくて」

「わかった」


 レオハルトが即座に話を聞く体制になってくれたのが嬉しかった。

 とはいえ、隙あらばキスを仕掛けてくるほうがおかしいとは思うのだが。


「あと……近々リリカの家に遊びに行きたいと思っていて」

「では、私が休みの日に……」

「レオの休みの日ってそんなにないし、早く行きたいです」

「そうだな、カイを護衛につけよう」

「でも、馬車は今ひとつだけですよね」

「湖で壊してからヴァルトが怒っていてな……購入は暫く先になりそうだ。貸し馬車を手配しよう」

「ありがとうございます」




 リリカの家に行ったのは、それから数日後のことだった。

 レオハルトが手配してくれた貸し馬車は、かなりランクが高いものらしかった。御者は熟練していて、馬の扱いは見事だし、馬も完璧に訓練されていて、動きは静かだった。

 馬車は余分な装飾は少ないが、優美なフォルムが際立っている。

 カイがドアを開け、先にジーンが乗り込んだ。

 座席を確認したジーンが、中央のシートをさっと拭いて、布をかけた。そして、リオンが乗り込んできた際に布の上に座るように手を貸した。

 最後にカイが御者に合図を送り、自身も乗り込んで扉を静かに閉めた。

 滑らかに動き出す馬車の中で、ジーンはリオンに気を配っているのが分かった。

 リオンが何かを言う前に察知して世話をできるように、荷物の物品をさっと確認している。

 カイは外に常に気を配っていた。いつも馬車には乗り込まずにステップに立っているため、居心地が悪そうだ。

 カイとジーンが視線を交わしたのは、馬車に乗り込んだときだけだった。



 着いたのはちょうどお茶の時間だった。

 ザイレムは仕事で留守にしており、リリカが出迎えてくれた。

 先日のようにサロンに招かれて、他の側室たちも一緒にもてなしてくれた。

 ザイレムの側室は五人いて、これで全員だという。皆でお菓子を焼いたり、編み物や音楽を楽しんだりと、日常を賑やかに過ごしていた。

 お互いの暮らしぶりが分かってくると、だいぶ打ち解けてきた。後宮にいた時のノリを取り戻して、興味のあることを遠慮なく話題に乗せてくる。

 リリカたちは若いアルファと二人きりの暮らしが想像できないようだった。


「毎晩のように求められるの?」

「あの真面目そうな騎士様は、どんな愛の言葉を囁くの?」


 次々と質問が飛んできて、リオンは苦笑しながらもできる範囲で答えていた。


「まあ、夕飯抜きなんて!」

「でも情熱的!」

「そんな風に愛されてみたい!」


「でも、止めてって言えば聞いてくれるから」


 そう言いながら、レオハルトが三日間の演習に出ていることを思い出した。

 帰還日の今日は覚悟していたが、止めてと言えばどうなるのだろうか。

 ちゃんと止まってくれるのは分かっている。

 ……けれど、三日ぶりの今夜ばかりは、通じるかどうか。少し、自信がなかった。


 和気あいあいと話しながら、エリーネとリリカが後宮の時と同じように仲良くしているのが嬉しかった。

「リリカ、エリーネと一緒に嫁げて良かったよね。でも、凄い偶然じゃない?」

「僕たち、一緒に嫁ぐことを条件にしたの」

「……え?」

「お見合いしたでしょ? その時の条件だよ」

「リオンの条件は何だったの?」

「お見合いの時の話、聞かせて!」


 わっと盛り上がる中、リオンはポツリと言った。

「僕……お見合い……してないんだ」


 その場は急に静まり返った。

 リオンの心臓はその沈黙に押し潰されそうになりながら、苦しそうに動いていた。


「みんなが後宮を出たときのこと、詳しく聞かせて。お見合いがあったの?」


 リリカは静かに答えた。

「リオン……もしかして、三つの選択もしていないの?」

「やっぱりあったんだね! 選択肢は何だったの?」

「お見合いをして嫁ぐか、実家に帰るか、このまま王宮で働くかの三つだよ」

「知らない……僕は選んでない」

「じゃあ、どうしてリオンはレオハルト様と?」


 喉が詰まったようになって、手のひらにじわりと汗が浮かんでいる。

 リオンの喉が自然にこくりと鳴った。


「それを……知りたくて、来たんだ」

「レオハルト様には聞いてないの?」

「聞いてない……なんか聞けなくて。あと、リリカたちと話してからにしようって思って」


 それまで黙っていた、一番年上の側室、ユリウスが口を開いた。

「一度だけ……私たちの世代で噂になっていたことがあるの。三つの選択肢以外のもの……指名があると」


 その場の全員はユリウスのおっとりした声に聞き入っている。

「アルファからの指名を受けたオメガは、王がそれを認めた場合に限り、選択肢を与えられずに下賜される。

ただし、そのアルファには相応の地位と、人格、そして正妻として迎える意思があると……そう聞いたわ」


 リオンはその場の時間が静止したような気がした。

「指名……?」

 文官の言った〝噂〟は本当だった……?

 茫然としながらリリカの顔に目をやると、彼は目を輝かせながら、興奮気味に言った。


「凄いじゃない! 指名なんて!

 僕たちも〝恋愛組〟の噂を聞いたことがあるの。

 お見合いにはそれなりのお年のアルファしかいない。

 それなのになぜか若いアルファと 恋愛しているオメガがいるって!」

 

「でも……指名なんて……会ったこともないのに」


「覚えてない? 凱旋式のときにいつも王宮に出向させられていたよね、王や騎士団を音楽や舞で出迎えていたじゃない」

「その中でも近衛騎士団は一番近くにいるから、お顔もよく見えたね」

「僕たちみんな、レオハルト様のお顔を覚えてるし、リオンもでしょ」

「その時に見初められたんだよ、きっと!」

「そっか! あれってお目に留まるチャンスだったんだ!」


 そんな、舞のときに見ただけで?

 話もしたことがないのに、それだけで正妻として迎えるなんてこと、あるのだろうか。


「レオに聞いてみなきゃ……」

 リオンの独り言に、リリカは敏感に反応した。

「えっ、レオなんて呼んでるの? すごーい、やっぱりラブラブ」

「恋愛組はいいなぁ」

「ねえねえ、あんな筋肉に抱きしめられるってどんな感じ?」

「怖いけど、想像するとドキドキする」

「あれだけイケメンだといいかなって思えちゃう」


 どんどん質問内容が際どくなってきて、リオンの額にうっすらと汗が浮かんだ。

 そんな盛り上がりの中、またユリウスがにこやかに発言した。

 

「でも、レオハルト様が何も言わないなら、聞かなくてもいいのではなくて?」

「……え?」

「こんなに愛し合っているのなら、わざわざそれに水を差すようなことはしないで、様子を見たらいかがかしら」

「そう……でしょうか。でも僕は気になると落ち着かなくて」

「リオン様は、嫁がれてどれくらいなりますか?」

「ひと月半くらいでしょうか」

「それなら、もうすぐ王宮からの使者が来ると思います。その時に聞いてみるのも手かと」


 ユリウスは緩やかな口調だが、その言葉には重みが感じられた。

「嫁いで二か月から三か月目に、王宮からの使者が来て、今の状況を確認してくれるの。

 その時にアルファが暴力などをしている場合は、送り返されることになっています。

 これはザイレム様が仰っていたから確かなことよ」

「そんなことが……」

「今聞くとはぐらかされるかもしれないし、第三者がいる時に聞いたほうが、なあなあにされずに済むかもしれないわ」

「ご助言、ありがとうございます」

 リオンは頭を下げたが、どうしてもすぐに知りたい気持ちを抑えられるとは思えなかった。

 

 それからも過激な質問は次々に飛んできた。

 ユリウスは、穏やかな口調の中に時折『教育係』のような気配を滲ませる。

 けれど今回は、さすがに制御しきれなかったらしい。

 ここの側室たちには『若く、しかし優しく愛してくれるアルファ』というものの存在が空想の産物のように映るらしく、興味が尽きないようだ。



 しかし、リオンも彼らの生活で理解できない部分はあった。


「ザイレム様は本当にリリカたちを平等に扱ってくださるの?」

「そうだよ、それも完璧なまでにね。

 もちろん、正妻はいらっしゃるから、寵を争うようなことはしない。

 後宮の教え通りに仲良くしていると私たちも楽しく過ごせるしね」

「でも……あの、聞いていいのかな……ザイレム様はお年だし、そう言った面で……不満と言うか」

「ああ、リオンの言いたいことは分かる。そこって知りたいよね。

 でも、アルファの体力って……すごいよ。

 あれくらいのお年でもしっかり現役だし、私たち全員を満足させるくらいは余裕なの」


「……えっ……」

 思わず口を押さえてしまう。

 まさかあの年で、あんなに穏やかそうなのに現役とは思ってもいなかった。

「だから、王宮もザイレム様も、あんなに暴力や……やりすぎに注意しているのよ」

「……そんな、だって……」

「もしレオハルト様が一晩に一回とか二回くらいで終わって下さっているなら……それは相当に抑えているのでしょうね」

 リオンは、軽く眩暈を感じながら、レオハルトの夜の自制心にあらためて驚嘆するしかなかった。



 帰りの馬車の中で、リオンはやっと静かに考えることができた。

 リリカの家はとても楽しかったが、情報の洪水のような会話に飲まれ、頭の中がまだぐるぐると回っている気がした。

 その中で、どうしても考えなければならないことがあった。


――後宮から出る時には三つの選択肢が与えられていたこと

 選択肢の他にある指名制という裏制度の噂

 その条件が恐ろしいほど自分に当て嵌まっているという事実。

 

――僕はレオに指名されたのか……?

 その疑問を彼にいつぶつけるべきなのか。

 きちんとした答えを得るためには、タイミングを見計らうようにとユリウスは言った。

 それは正しいと思うが、衝動を抑えられる自信がない。



 王宮からの使者はいつ、来るのだろうか。

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