第6話 野いちご

「ティモ起きて!すごいことになってるよ!」


新しい布団にくるまれた心地よいまどろみの中で朝寝を堪能していれば、ゆさゆさと揺さぶられる振動で目が覚めた。こうなれば、何か反応を返してやるまで声も揺さぶりも止まらない。諦めて仕方なく目を開け、犯人を見やる。こちらに手を伸ばしていたリースは満面の笑みで俺を見ていた。


本当に、何度見ても俺好みの綺麗な面をしている。拾った時から造形自体は変わっていないはずなのに、どうしてこんなにかわいく見えるんだ。おかしいな、隷属紋を付けた時点で術者に魅了は効かなくなるはずだけれど。目を細めて頭をなでてやればふわふわしたくせっ毛が指先に絡まり、するりとほどけていく。その感触が気持ちよくて、何度もくり返してしまう。ゆっくりとまぶたが落ちていく。朝寝はこうでなくては。しかし、まどろみに戻っていく俺をリースは許さないようだった。


「ティモー!寝ちゃだめ!」

「あー、うるせぇ奴だなぁ」


男の色を残しつつも柔らかく甘く響く声を張って、リースは俺を強く揺さぶった。一声唸り、むちうちになるより先に布団をはぎながら体を起こした。ベット端に屈み込んでこちらをのぞき込んでいたリースは、俺を見上げてぱっと立ち上がった。いつもの白いシャツの腰辺りで、黒い羽がふわっとはためく。


「やっと起きた!ねぇ、庭に行きたいの。行っていいよね?」

「あー…いいよ。庭だけな」

「うんわかった!」


言うが早いか、リースはどたばたと寝室を出ていった。ここで二度寝をすればリースは拗ねてめんどくさいことになるだろうし、眠気も飛んでしまった。仕方なくベッドから降りてローブを羽織り、靴を突っかけて庭へ向かう。


扉を開ければ、途端に朝の爽やかな風が草の香りと共に吹き込んだ。扉の前には灰色の飛び石が長く続き、その両側が膝下程の高さの草地になっている。すらりと伸びた鮮やかな黄緑の雑草たちは風の撫でるままにたわみ、そこかしこで銀色の波紋を広げている。同時に、互いがこすれ合ってしゃらしゃらというささやかな音を何重にも響かせている。空は、雲が少しだけたなびく晴天だ。


「ティモー!こっちこっち!」


心地よさに深呼吸をしていれば、リースの声が聞こえた。そちらに目をやれば、リースは草地の奥でこちらに手を振っている。どこにも踏み入った跡がないのに、よくあそこまで行けたもんだ。追いかけるように草地へと踏み込んでいく。


「ここだよ!」

「お、これは…」


草の中でしゃがみ込んだリースの視線の先を見れば、草地より一層濃い緑色の中で、無数の真っ赤な粒が実っていた。


「ほら、向こうまで!」


リースの指差す先、裏の林の方まで赤と緑のコントラストが続いていた。途中、背の高い草に紛れている場所もあるが、見える範囲だけでもかなりの面積だ。


「驚いた。ここは野いちごの群生地だったんだな」

「野いちご?」

「食える草の実だよ」


一粒つまんで口に入れればほのかな芳香が鼻に抜ける。少しばかりの酸味と渋味の奥に、予想以上の甘味があった。丁度よく熟れている。

真似をしたリースが一粒口に含むと、途端に顔をきゅっとしかめた。どうやら未熟な実を取ったらしい。


「これ、すっぱい」

「よく見ないからだ。これはたぶん甘いぞ」


真紅を通りこして黒く見えるような実を渡せば、リースは疑いなく口に入れた。甘い、とつぶやく唇の内側が、真っ赤に染まっている。目を離せずにいれば、桃色の舌が赤い汁をぺろりとなめ取った。思わず目を逸らし、林の方向を眺める。


「しかしこんな所、よく見つけたな」

「窓から外を見てたら、赤い粒が見えたの。たくさんあるから、何かと思って」

「へー。すごいじゃん」


リースは照れたように眉を下げて笑う。俺もどちらかといえば大きい方なのに、いつのまにか身長を抜かれちまったな。淫魔の変化能力に感心していれば、リースはしゃがみ込んで野いちごを摘み、手のひらに盛り始めた。


「僕たち2人で食べ切れるかな?」

「そのままだと無理だろうな。もったいないし、ジャムにでもするか?」

「ジャム?」


話を振れば、リースは食い付いた。緑の目がきらりと光る。


「これで作れるの?」

「ちょっと手間はかかるけどな。とりあえず、収穫しちまうか。家から大きいカゴ、持ってきてくれるか?」

「うん!」


リースは嬉しそうに走り出し、中に布を敷いたバスケットを下げてきた。想定していた通りのサイズを選んできたリースに頷く。チェック柄の布の中で、リースの摘んだ分の野いちごがコロコロと転がっている。


「それで、どうやって集めるの?」

「あー、こうやれば楽だろ」


手先に魔力を込めて薙ぐように手を払えば、風で煽られるように野イチゴが宙へと吹き上がる。そのまま指差すように振り下ろすと、バスケットの中へ吸い込まれるように収まっていく。立つ場所を変えて数度くり返していると、リースはバスケットを持ったまま目を丸くしているのに気が付いた。


「なんだお前。初めて見たような顔して」

「近くで見たのは、初めて」

「は?こんなの初歩だろうが。使ったことないのか?」


思わず手を止めてリースの方を見る。顔にかかった髪を払い向き直ると、リースはバスケットを両腕で抱えてうつむいていた。


「生きる分だけでギリギリで、こういう魔術に使う分の力、余らなかったから」

「…そーかい」

「でも、今は違うよ。ティモがたくさん、精をくれたから。だから…」

「だから?」

「その力の使い方、教えてほしいな」


リースはバスケットを抱えたまま、少し期待するような上目遣いで俺を見た。どこで覚えてきたんだ、それは。ひとりごちてバスケットを手に取り、片腕に下げる。ほんの少し熱のたまった頬をこすり、リースの柔らかな手の甲を後ろから掴み、そのまま宙へ掲げた。


「感覚でしか教えてやれねぇから、後は実践で覚えろよ。勉強したければ、自分でマチェールにでも頼め」

「…うん!」

「ほら、手先に集中しろ」

「わかった!」


明るい返事と共に、リースの手の先へ魔力が集い始めた。こいつ、筋がいいかもしれない。教えがいがありそうだな。





リースがこの魔術を習得するのに、30分はかからなかった。

その後、毎日毎日バスケットいっぱいの野いちごを収穫してくるので、俺は空を仰いで後悔した。

砂糖とジャム用の瓶を買い足さなくては。それと、新鮮なレモンも。

想定外の出費だが、仕方ない。でき上がったジャムをマチェールにでも押し付けて、恩を売っておこう。

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