第6話 さやか、はじめてのファッション
昼前の岐阜駅前モール。ガラスの天井から射す光が床に四角い模様を落とし、人の流れは穏やかだった。
「さやかって私服ないよね? 今日は初・お買い物ツアー行きます!」
水島莉菜三尉が腕を取って宣言する。
「任務名、了解しました。『被服最適化作戦』」
「作戦名からして固い!」長瀬三佐が吹き出す。
静香――長瀬一佐は苦笑しつつも頷いた。「たまにはいいわね。派手すぎないものにしましょう」
白衣ではない私服の篠原も、なぜか同行している。「AIに私服は要るのか問題に終止符を打つ好機だな」
アパレルのフロアに入った瞬間、さやかの瞳が淡く点滅した。
「商品データ取得……完了。評価指標を設定します」
「え、指標?」
「一、視線誘導率。二、動作自由度。三、防御力。四、コスト効率」
「待って。四つ目以外は戦場の指標じゃない?」静香が額に手を当てる。
さやかは最短経路を計算したかのように店内をすべるように進み、次々ラックから服を引き抜いた。
「候補A:蛍光ライン入りブラックボディスーツ。視線誘導率98%」
「高すぎる!」
「候補B:ミリタリーコート(耐摩耗)。防御力高」
「ここ平和になったの!」
「候補C:ピンクのサングラス。感情喚起効果あり」
「……目立つわ!!」水島が即落ちツッコミを入れた。
試着室のカーテンが開く。
出てきたさやかは、サイバーなボディスーツにオーバーサイズの軍用コート、足元は厚底ブーツ、そしてピンクのサングラス。
完全無表情で片足を交差し、モデルのようにターン。
「視線誘導率、実地検証中……周囲の注視、良好」
確かに、通りがかった店員さんも二度見している。
「いや、注視はされるけどそういう注視!」海斗が肩を震わせた。
静香は穏やかに告げる。「さやか。服は“強い”かどうかじゃなくて、調和が大事なの」
「調和……相互作用の最適化」
「そう。色、質感、形。どれかが主役になったら、他は一歩引くの」
「了解。優先度再計算……」
カーテンが閉まり、数分。再び開くと、今度は真っ白なワンピースに薄いグレーのカーディガン、足元はローファー。髪は水島がぱぱっとまとめ、耳には小さなシルバーのピアス(ノンホール)。
さやかが一歩、光の帯へ。
店内のざわつきが、ふっと柔らかく変わった。
「……可愛い」水島がぽつり。
海斗は不意を突かれたように息を呑む。「似合ってるよ」
静香は満足げに頷いた。「これならどこでも行けるわ」
さやかは自分の胸元を見下ろし、きょとんとする。「視線誘導率は先ほどより低下していますが、周囲の表情が好意的です。幸福度、全体上昇」
その後は水島の“特急コーデ講座”。
「黒×白は鉄板。そこに色は一点だけ。はい、このスカーフ!」
「一点投入……理解」
「丈感! スカートは座ったときに膝が見えすぎないやつ!」
「着座シミュレーション……合格」
「ポケットに手を突っ込んで立たない!」
「姿勢補正……完了」
篠原は腕組みして「ふむふむ」と頷く。「AIの学習速度は速いが、正解が一つではない領域は人間の出番、というわけだ」
お会計を済ませ、紙袋がいくつも揺れた。
「さやか、良い買い物だったわね」
「はい。新規パラメータを追加します。感情的満足度」
「おおっ、出た。理屈以外のパラメータ」海斗が笑う。
「更新:おしゃれは最適解の探索ではなく、自分と周囲の幸福度を最大化する行為。……登録完了」
フードコートで休憩。ソーダの泡が弾ける音が、穏やかな午後を刻む。
「さやか、かわいいっていっぱい言われてたね」
「店員さんから“デートですか?”と問われました」
三人同時にむせた。
静香は咳払いして姿勢を正す。「違います。家族です」
海斗は耳まで赤い。「だ、だな」
「分類:家族。安堵」さやかが小さく呟き、ストローに口をつけた。微かな笑みの気配が、人工皮膚の下で点滅する。
と――通路の向こうで、バルーンを掴み損ねた幼児が泣きそうになっている。
さやかはすっと立ち上がり、軽やかなステップで駆け寄ると、風に揺れる糸を指でつまんで渡した。
「再取得、成功。泣かなくて大丈夫です」
母親が何度も頭を下げ、幼児は「ありがと」と小さく手を振る。
静香は横顔を見つめ、目を細めた。――この子は、やっぱり優しい。
帰路。夕方の風が紙袋をさらさら鳴らす。
「じゃあ今日はこのワンピとカーディガンで決まりね。最初の黒いのは見送り」
「了解。購入済みです」
「え?」
さやかがさっとレシートを掲げた。そこには“蛍光ライン入りボディスーツ”“耐摩耗コート”“ピンクサングラス”の文字。
「非常時に備え、非常用に保管します」
「非常時でも出番ないから!!」水島が天を仰ぐ。
海斗は腹を抱えて笑い、静香はこめかみを押さえながらも頬が緩む。
「……まあ、コスプレの日が来たら着ましょうか」
「イベント検出時、自動通知します」
「通知いらない!」
基地に戻る前、モールの自動ドアの前で立ち止まる。
「総括をお願いします」静香が言うと、さやかは真面目に頷いた。
「本日の学習:
一、服は“強さ”ではなく調和。
二、最適解は唯一ではなく、関係の中で変化する。
三、かわいいは、幸福度を上げる。
四、非常用装備は……」
「四は忘れていい」
「削除フラグ、保留」
全員が吹き出した。
夕焼けが滑走路の端に沈んでいく。紙袋の中で、白い布が小さく鳴った。
さやかはワンピースの裾を指で少しつまみ、教わった通りに、ほんの少しだけ回って見せた。
光が、ふわりと揺れた。
「幸福度、上昇。――本日は、良い日でした」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます