人生を諦めていたおっさん、もう一度だけ立ち上がる〜いずれ史上最強と呼ばれる男のダンジョン英雄譚〜

土野子

第1章 起動

第1話 無色の空

「あぁ……疲れた」


 左腕に刺されたいくつもの注射跡をさすりながら、俺は病院のベンチに座り呟いた。

 現在時刻16:30。普段よりは早く治験のバイトが終わったようだ。いつもは沈んでいる太陽が地平線ギリギリでまだ顔を出している。


「帰るか」


 病院から家へ続くこの道ほど、憂鬱なものはなかった。

 すれ違う中高生のキラキラした笑顔を見たら悔しさで涙が溢れてくるし、雲一つない空は、まるで今の俺をあざ笑うかのように目に映る。

 仲睦まじい夫婦も、スーツを着て忙しそうにしているサラリーマンも、無邪気な子供すらも、俺の目にはあまりにも毒だった。

 


「どうして、俺の人生こうなっちまったんだろうな」


 俺、高津孝二は44歳の今現在、治験のアルバイトで生計を立てている。

 治験のアルバイトとは、製薬会社が開発途中の薬や副作用の判明していない医療技術を試すための仕事。言ってしまえば、人体実験用のモルモットだ。

 

 別に、この仕事がしたかったから始めたわけではない。

 他に選べる選択肢がなかったのだ。


 就活の時期が、就職氷河期と重なって働き口が見つからなかった。

 正社員になれず、育ててくれた母親が他界して一人暮らしで生きるためには金が必要だった。そんな俺の生きるための道はこれしか無かった。


 もちろん最初はいろんな副作用の存在だったり、もしかしたら死ぬかもしれないという恐怖もあった。だがそれも3年経てば慣れていた。

 そしてそこから20年。俺は生きるために惰性で色んな治験バイトに参加している。

 

 赤青黄色、時には紫色など数えきれないほどの種類の錠剤を取り込んだ俺の血液は、もしかしたら緑色とかに変色しているんじゃないか?と思うほどである。



「まぁ考えていても仕方がないか」


 夢なんて持たず、希望なんて抱かず。

 きっとこうやってまた無色な日々が続いていくのだろう、と。

 そう諦めながら空を見上げた。


 空はいつの間にか夕日が沈んで星が輝いていた。なのに、俺の目はその光を直視できなかった。ふいに溢れてくる涙が視界を揺らす。


「クソ、何で今日はこんなに感傷的になるんだよ……薬の副作用か?」


 誰にも届かない独り言が、冷たい夜空に霧散していった。

 その時ふと、一つの通知がスマホに届く。


「なんだよ、また新しいバイトの募集か」


 スマホのロックを解除し、俺は通知を見る。そこには想像通り、新しい治験バイトの募集ページが映し出された。

 ただ、内容が明らかに異常だった。



『科学実験への協力』

内容:昨今人気を博している「ダンジョン」を攻略するための、力を開発する実験

期間:2週間~

報酬:1000万円

備考:国家公認の実験です。興味のある方は以下のURL より登録お願いいたします




「2週間で1000万円ってなんだよ、バグか?」


 2週間の治験の相場はだいたい20万くらいだ。もちろんたまに割のいいものもあるが、そう言ったものはだいたい危険度が高かったり、認知度が著しく低い製薬会社のものが多い。


 それが1000万円なんて言ったら、一体どんな実験が行われるというのか。国からの認可があるのだとしたら、ちゃんとした実験のはず。それが逆に不安を加速させる。


「しかも内容が、ダンジョン攻略のための力の開発実験って、今までこんなもの見たことないぞ」


 ダンジョン。

 確か今から10年前くらいに世界各地にいくつも現れた正体不明の異空間だったはずだ。中に入ると魔物と呼ばれる凶悪なモンスターたちが襲い掛かってくる代わりに、たくさんの財宝が手に入ったり、エネルギー鉱石が見つかるという場所。


 どうやら中に入るとゲームのような仕組みで強くなりながら攻略していくそうだが、ダンジョンが生まれた当時運動不足の30代中盤だった俺に手が出せるわけもなく、完全にスルーしていた。

 まぁ、何か新しいことをする気力がなかったからというのもあるのだが。


 とにかくダンジョンについて一般的な知識くらいしかない俺は、攻略するための力の開発と言われても、何をするのかピンときていなかった。


 そんなわけで何をするかもわからず、明らかにおかしな価格設定のバイト。断るにはあまりにも十分すぎる理由だ。恐らく100人いれば99人がやらないというのだろう。


 だが、しかし。


「1000万円かぁ」


 それだけあれば何ができるだろうか。


 ちょっとおいしい外食なんかにも行けるかもしれない。

 スーパーの半額シールのついた弁当以外のものなんて、もう久しく食べていない。


 普段はしない旅行なんかにいけるかもしれない。

 最後に温泉に行ったのはいつだっただろうか。


 1年くらい働かないでもいいかもしれない。

 生活費を常に気にする生活からの脱却なんて、考えたこともなかった。



「……どうせ、諦めていた人生だ」



 右手の親指が、応募URLに触れる。

 その日、色のなかった俺の人生の歯車は、大きく動き出した。

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