7.勝手を知らない家
(洗い物もできないのか自分は…)
心に陰を落としたまま食事を終え皿を洗うべくシンクへ向かった。
しかし、スポンジと洗剤がないことに困惑する。
どこかにあるのかもしれないと顔を軽く動かしたが、それらしいものは見当たらない。
気合いを入れて探すのは面倒なのでとりあえず水で濯ぐだけに留め、立てかけておくことにした。
頭の中に“後で考えることリスト”を作り、そこに書き加えておくとしよう。
さて、お腹が満たされた現在、気になるのは身体の汚れだ。
(お風呂に入りたいなぁ)
顔を下に向ければ映るのは白い薄手のシャツに白いズボン、それから焦茶色のショートブーツ。
改めて見るとこの出立ちは有りなのか無しなのか気になってきた。
柄もボタンも無い丸首の白い長袖シャツと裾をブーツにinした状態の白いズボン。
生地は絹のようにしっとり滑らかで柔らかくもあり着心地はいいのだが、いかんせん薄い。
それに、高級感溢れるこれはブーツと合っていない気がする。
日本ではダサいと言われるのか否か…
この世界では珍しくない服装なのか否か…
(分からんし、今はどうでもいいな)
そんなことよりも気になるのは汚れの方だ。
衣服は薄汚れ湿り気があり、ブーツは泥が所々乾き白っぽくなっている。
肌は汗と湿気でベタつき不快でしかない。
(転んだりもしたからなぁ…しかも、森でってなんだよ…)
風呂場が何処にあるのか分からないので、とりあえずキッチンにある扉を開いた。
その先には廊下と壁。
顔を出し首を軽く動かすと玄関ホールが視界に入った。
どうやら直接キッチンと行き来できるようだ。
納得したところで顔を引っ込め、もうひとつの扉へ向かう。
(おっ、ここっぽい)
そこには幅広の洗面台などが設置されていた。
タオルや衣服が綺麗に重なり置かれている棚や腰の高さのチェスト、そして、すりガラスが嵌められたドアがある。
期待を込めて足取り軽くそのドアへ近づくと視界の端に己の姿が入り込んだ。
思わず足を止めて顔を左に動かしてしまった。
視線の先でこちらを見ているのは端正な顔立ちをした20代程の青年。
乱れた黒髪に闇夜のような瞳を持つ儚げな美男子。
髪も肌も衣服も薄汚れているがそれでも損なわれぬ美貌。
目を見張り驚くその姿でさえ美しい。
洗面台の鏡に映るあれが己だと認識した瞬間全ての感情が削ぎ落とされた。
要は引いたということだ。
(………嫌だなぁ)
綺麗なものを見るのは好きだ。
それが人でも絵でも景色でも。
だがその対象が自分自身となると話は変わってくる。
とにかく視線が苦手だからだ。
小学生の頃クラスで作文を発表するときでさえ声が震えたというのに…
鏡の中の青年を見つめながら立ち尽くす。
(誰?中身がこれでは品がいいとも…)
ふと先程キッチンで見た野菜や果物を思い出した。
ゴボウ、リンゴ、梨、バナナ。
そのどれもが見るからに品質が良く、実際に食べてみれば格別な
ゴボウだけは食べていないので分からないが、あちらのよりも大きいからと言って大味だろうとは思えない。
(もしかして…)
こちらの世界のものは地球のものと比べるとサイズも品質も数割増しなのかもしれない。
そう、人でさえも。
暴論のようだがその可能性を否定できる何かはない。
地球ではため息が出るほどの美貌でもこちらでは平均なのかもしれない。
確認は取れないが、その可能性が浮上しただけでいくらか楽になった。
(うん。今は気にしないことにしよう)
さっさとお風呂に入り身綺麗にしたいよね。
再度足を動かし、すりガラスが嵌められているドアを開いた。
(やっぱりね。広いなぁ…)
そこはやはりお風呂場で床も壁も白で統一されたシンプルな造りになっている。
入口の右手側にはシャワーが、左手側には大きな大きな浴槽が備え付けられていた。
10人入っても余裕が出そうなほどに大きい浴槽だ。
それにしても、湯船に浸かる文化があって良かった。
桶で水を被る覚悟もできてはいたが、やはりお湯に浸かれるならそちらの方が断然いい。
(けど…)
あの大きな浴槽をお湯で満たすとなるとかなり時間がかかりそうだ。
入りたい気持ちはあれど、本日はシャワーで済ませよう。
そう決まったところで一旦その場を出た。
(さっさと…あ、着替え…あ、あった)
扉の無い棚の上段には肌触りの良さそうなふんわりとしたタオルが重ねられており、その下の段に衣服が揃っている。
真新しい白いシャツと黒いズボン、下着と靴下それぞれ数枚ずつ。
そのどれもが無地のシンプルなもので好感が持てる。
シャツ以外は真っ黒でそれもまた好ましい。
(部屋着?室内向け?)
なんとなく外向き用のシャツとは思えないものの安っぽさがあるわけでもない。
そっと触れてみると手触りが良くついさわさわしてしまう。
今自分が着ているものよりは厚手でしっかりとした生地だ。
(下着もあるとはねぇ…)
ボクサーパンツであることにほっとした。
ブリーフは嫌だと心が語っているのでね。
どちらも履いたことがないというのにそこを気にするとは不思議なものだ。
(履いたことはないよ?本当に)
驚くべきことに今の私は下着を着用していない。
靴下も履いていない。
その2つを身につけずに森に入るなんて意味が分からないね。
(今考えることじゃないか。どうでもいいよ)
それより都合よく衣服が置かれていることの方が気になる。
ご都合展開というのは疑問が湧くよね。
(あ、そもそも別に私に向けてなわけないか)
おそらく客人用かなんかだろう。
この家もあのお風呂も人を呼ぶには充分な広さだ。
納得できたところで身につけているものを脱ぎ風呂場へ向かう。
脱いだ衣服はとりあえずチェストの上に。
洗濯カゴが見当たらないし、探すよりもこの身を綺麗にする方が優先度は高いから。
(広いなぁ…)
先程見たにも関わらずまた同じ感想が生まれる。
室内を見回しながらシャワーの方へ向かった。
(これだね)
赤と青の石が1つずつ嵌め込まれたシャワーのハンドルを手前に動かす。
「っ!熱っ!」
降ってきたお湯の熱さに驚き、慌てて温度を下げた。
使い方が分かりやすくて助かるよ。
ほっと息を吐きながら適温になったシャワーを浴びる。
残念ながらシャンプー類は見当たらなかったが、唯一置いてあった石鹸でも全身を磨けたので問題ない。
そうしてさっぱりした身体に満足しながら風呂場を出たが、新たに問題が発生し頭を悩ませる。
(靴どうしよう…)
服はあるが靴やスリッパがない。
タオルで身体を拭き服を着ながら考え込む。
素足で履いていた靴にまた足を入れるのは嫌だ。
それがなくともお風呂上がりは裸足を望む。
(となると…)
何も履かない。それが今回の答えだ。
床は充分綺麗だが、自分がブーツを履いて歩いたところは気にして避けることにしよう。
悩みが解決したところでツヤツヤの床を一瞥し裸足のまま洗面所を後にした。
髪の毛はタオルでガシガシしただけなので濡れたままだが、どうしようもないので放置だ。
汚れた服とブーツについても後で考えることとする。
「はぁ…」
今はとにかく横になりたい。
一旦キッチンに向かいグラスに注いだ水で喉を潤した。
それからリビングに移動しソファーへ腰掛ける。
「………」
思わず腕をさするのは怯えからだ。
ふと横を見れば窓を通して外が見えた。
この家を囲う森は月明かりを浴びて輪郭だけが白銀に浮かび上がっている。
空に浮かぶ月は美しいが、放つ光が闇夜に置かれた森の存在感を強めており、そちらに気を取られてしまう。
今もあの森にいたらと思うと…
「…っ…」
また腕をさする。
これになんの意味があるのか全く分からない。
明るいうちにここに辿り着けたことを喜ぼう。
そう思えばいくらか息ができた。
安堵を覚えると共にソファーの背に身を預ける。
(さて、どこで寝よう)
今からベッドが置かれた部屋を探すのは骨が折れそうだ。
何よりもうこれ以上動きたくない。
すっかり身体の力は抜け、気力は削がれている。
(今日はここでいいか)
幸いこのソファーは横になっても問題ない大きさだ。
ゴロンと身体を横に倒し足を乗せ寝る姿勢を整える。
慣れない硬さと革の感触に少々不満を覚えるが仕方がない。
諦めながら天井を見つめる。
(
照明の光を顔に受けたことでそんな疑問が湧いた。
だけど、その答えを見つける気のないまま微睡む。
瞼の裏に残る光は明日どうなっているのだろう…
(どうか明日は晴れますように…)
そう強く願ったすぐ後、闇に沈んだ。
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