ハーバリウムと青年
shiki
第1話 ミスマッチな忘れ物
ぁんだよ・・・
ノボリが邪魔で階段が見えないじゃん・・・
多田野アキヒコの勤めるヤマト不動産は駅前の雑居ビルの2Fにある。
目印であるノボリ旗が入り口をふさいで奥の階段が見えずにいたのだ。
・・・そうでなくてもどこから入るのか?と問い合わせの電話がくるってのによ。
アキヒコはよっこいしょ、と腰をかがめて社名の入ったノボリ旗をスタンドごと少しずらした。
イラついた気分で階段を駆け上がると、真新しい店舗兼オフィスは目の前にある。
さほど広くはないが、手前には4人分の顧客ブースとその後ろに各自のデスクフロアがある。
社に入ると、仕切りのスイングドアを押し開き、一直線に右手奥のホワイトボードに向かって『多田野』のマグネットを内勤のところに貼りなおした。
・・・ノボリがさあ~
アキヒコは愚痴の一つでも聞いてもらおうと、事務作業をしている同僚のところへ歩み寄ったとき
「あっ!忘れてる!」という声が顧客ブースの端から店舗内に響いた。
その声の主は入社3年目になる生島カオルである。
なんだなんだ?契約書の不備か?
朝から2件の内覧に同行していたアキヒコは今日契約の顧客は誰だったか?と思い出しつつカオルにゆっくり近づいた。
「どうしたの?何を忘れた?」
「あの、これ・・・」
とカオルが差し出した手には書類ではなくボールペン。
エメラルドグリーンの持ち手の上に、何やら液体の中を小さな花が泳いでいる。
たしかハーバリウムとかいうやつだよな。
よく見ると持ち手にも蒔絵が施されていて、高級そうなボールペンだ。
彼女の前に広がる物件情報のファイルをみて、まだ契約に至っていないことを察し、落ち着いた声で
「大丈夫、すぐに私が電話するから顧客情報の用紙はある?」とアキヒコは聞いた。
どこぞのご婦人かしら?と書類に目を落とした瞬間、飛び込んできた名前欄には
『飯塚悠太(22歳)』とある。
「え?男性なの?」とアキヒコは拍子抜けした声を漏らした。
「そうなんです。就職を機にというには少し遅いんですが・・それにウチの物件だけじゃなくて他もみてきますって20分ほど前に出られたんですが。」
と契約に繋がらなそうな雰囲気にカオルは首をすくめていう。
確かに今はもう5月。
新生活にしては中途半端な時期だ。
「めずらしくないよ、気にすんな。それよりさっさと連絡して取りに来てもらうよ」
アキヒコは自分のデスクに戻り、さっそく顧客情報にある携帯番号に電話する。
預かったボールペンを上へ下へと動かすと液体の中の花もゆっくり動く。
・・呼び出し音はなるが、7コール目あたりで留守電に切り替わった。
「ヤマト不動産でございます。ボールペンのお忘れ物がございましたのでご連絡差し上げました。当店でお預かりしております。ご来店いただけますようお願いいたします。」
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