4-2 寝取り野郎のご登場
「帝国大使ともあろうお方が、覗き見とは良いご趣味だな」
言いながら外套の中で、相手に気付かれないよう注意して剣を握る。満月と四阿の照明が光源の薄闇の中、俺は植え込みの影から出てくる人物を注意深く観察した。俺やレスカルよりも頭半分くらい高そうな背丈に、礼装越しでもはっきりと分かる厚い体躯。夕刻、舞踏会の開幕式典の際に確認したのと同じ、艷やかな黒髪を長く伸ばしてオールバックに引っ詰めたシルエットが、四阿の灯りを逆光に佇んでいる。
自称「大使見習い」だったが、この厳つさで文官はだいぶ無理があるだろう。しかし隣国の「皇帝」ともなると高貴過ぎて、一周回ってあまり面が割れていないらしく、ウチの貴族たちも近隣諸国からの客人もこのやたら体格の良い大使見習いをスルーしていた。無論、まさかワスティとは赤の他人だった場合は困るため、レスカルがワスティの顔を知る人物を傍に控えさせて確認していた。
「これは大変失礼を。王妃殿下におかれては、随分と武勇を尊ばれ勇猛そうな御姿であられると我が国にも聞こえております。我ら
……ふん、真っ当っぽく喋るじゃねえかテメェ。言ってるコトは「野郎が王妃になってるって聞いて出歯亀しに来た」ってだけだけど、直截に言わない程度のアタマ――つーか、空気を読む能力くらいはあるらしい。もっと全方位に常時俺様なのかと思ったぜ。
しかしなるほど、ワスティがこの場に来た動機はビミョーにだけど変わってるのかもな。「原作」でのカナンはここでコイツにセクハラされて初めて、男であることを知られる。――いや、何か「男かも?」みたいな疑惑を確かめに、ワスティが直接乗り込んで来たんだったか……? とにかく、股間を直接まさぐられて「男だ」「でも可愛いじゃねーか」される展開だったことだけ覚えている。…………重ね重ね最低だなコイツ。
だがまあ俺の場合は、見た目で「女だろう」と思う方が難しい。レスカルがとんでもねー妃を娶ったと、噂が諸外国を駆け巡ってても不思議はなかった。
(つーて、物見高い迷惑フッ軽なことに変わりはないか)
そんなことを考えながら、俺は険を込めた視線をワスティに送る。
「へえ、俺はてっきり帝国には、暗がりに潜んで女を襲う慣習でもあるのかと思ったぜ」
目には目を、無礼には無礼を。俺は断じて好戦的な方じゃないが、覗き見の挙句にこの言は(上っ面を誤魔化していても)どう考えたって「クソ失礼」だ。ここで引いたら舐められる。
挑発的に片頬を引き上げた俺に、やたらイケボな笑い声が返ってきた。
「ッハハハ! 男であることを隠しもせずに面白いことを言う!! 先程の娘を心配しての言葉なら心配無用だ。
――って、オイ一人称! もうちょっとくらい猫持ち堪えろや!! 被ってる猫の堪え性なさ過ぎだろ!? 秒で逃げてンじゃねーか、前言撤回!
(ウチの陛下が原作に反して真人間だったから、一瞬期待しただろうがスカポンタン!!)
半分くらい八つ当たりな罵倒を脳内で浴びせながら、俺は目を眇めて相手を観察する。そのいでたちは、表向きの立場に相応しく「インスラ帝国大使(見習い)」として帝国風――多分だけど地球で言うなら中央アジア風の、文官礼装を纏っている。たっぷりと布幅を取った、ドレープが多く裾の長いデザインの衣服と、金色に輝く豪奢な装身具が印象的だ。肌はこの暗さでは分かりづらいが健康的に艶めく褐色で、
(っていうか、マジで何か持ってやがるな? 他国の祭事で正気かコイツ)
「左手に物騒なモンぶら下げて、一体俺に何の用だって?」
そう問う声も、当然低くなるってもんだ。ハッキリと睨み付けた俺を見て、大きな口の端が嬉しそうに吊り上がる。肉食獣の笑みが、月下に獰猛な陰影を刻んだ。
武装して会場には入れない決まりなので、俺同様に衣類の中に隠し持って入ったか、あるいは庭のどこかに仕込んであったのだろう。どういうつもりか知らないが、たとえコイツが帝国の大使だろうが皇帝だろうが、招かれた先の王宮、しかも「王妃」の前で武器をチラつかせれば大問題だ。俺は即座に衛兵を呼んでコイツを拘束できる立場にあるし、コレが理由で即開戦でも何の不思議もない。……いや、強姦未遂みたいなセクハラが、開戦理由にならない時空もあるみたいだけど……。
(いやまて、開戦はしてたか? けどノスフェレードからの宣戦布告じゃなかったような気がするし……)
むしろカナンとメーリを攫ったインスラ側が、カナンを人質(というかレスカルに見せ付けるため)に連れて進軍する描写があった気がする。そこまで考えて、俺は余計な思考を振り払った。目の前には薄ら笑いを浮かべたイカレ皇帝が立っている。「
「物騒なモノをぶら下げているのは貴様も同じであろう、随分と用心深い奴だ。――貴様への用事など決まっている。一体何故、男でありながら王妃の椅子に座っている? まさか子を産めるワケでも、
チッ、こっちも得物持ってるのがバレてやがった。これだから百戦錬磨の猛者は相手にしたくない。そして出歯亀理由が余計なお世話過ぎる――と内心毒づいていた俺は、続く言葉に耳を疑った。
「貴様の嫁入りを耳にした時は、折角王女を消してまで潰した縁談が蘇ったことに怖気が走ったぞ。クラウル王も
――は? 王女を、消した?
「王女ってまさか、ルチア・クラウルか……?」
「如何にも。あの
センシュって何だ。いやそれ以前に、なんでお前はそこまでしてクラウルの……いや、言い方からして「レスカルの結婚」の妨害をしたんだ? 頭の中に湧き出して渦巻く疑問を何ひとつ口から出力できないまま、俺は呆然と立ち尽くす。本当に、一体何がコイツにそこまでさせたんだ……。
「だが! 明らかに男であるというのにあの若造は、貴様を王妃の椅子に座らせて離さない。色ボケという可能性も無くはないが――あやつにそこまでの可愛げはないであろう。答えろ。貴様、一体何を使って若造とこの国を誑し込んだ? 返答次第では……そうだな、苦しまずに死ねるよう努力してやろう」
殺すことは確定だ、と言外に言い放ち、イカレ皇帝が剣を抜いた。良く斬れそうな白刃が月光を弾く。
「……ここが何処だか分かってンのかテメェ。ウチの衛兵舐め腐りやがって」
言いながら俺も、外套から腕を出して剣を構えた。下の衣装がヒラヒラしてるせいで、袖の下から冬の夜気が入り込んで脇を冷やす。
「フン、応援を期待しているなら諦めることだ。『協力者』が全て辺りから遠ざけている――呪うなら、迂闊に単身ほっつき歩いた己を呪え!」
最後の一言と同時、ワスティの上体が沈んで弾丸のようにこちらへ迫る。その振りかぶられた白刃の描く軌跡を、どうにか頭の中でシミュレートして軌道上に自分の剣を構えた。ガィン! と金属同士がぶつかり合う重い音が響く。~~ッてぇ!! 一撃が重い! 片手でコレか。
どうにか初撃を弾き返し、痺れる両手で剣の柄を握り直す。再び横薙ぎ気味に振り下ろされる刃の動きを、必死に捉えてその手元近くを狙った。俺の剣は太く短く、殺傷力は低いが重たい、刃というより警棒に近い造りだ。上手く当てられれば相手の得物を弾き飛ばせる。
リーチは向こうが上だ。その切っ先がこちらを裂くより前に、己の剣先で敵を捉えなければならない。角度とタイミング、どっちがズレても斬られる。
目ん玉カッ開いて懐に飛び込む俺の動きを読んだか、ワスティが柄に左手を添える。大きく体格差がある中で両手対両手、しかしもうぶつかるより他にない。俺は奥歯を噛み締め衝撃に備えた。
先程よりも重たい音が鳴り響く。どうにか弾いた! 両腕から全身に突き抜けた衝撃で弛緩しかける体を、なんとか踏ん張れと叱咤する。重心を落とし、左手を剣から離して衝撃を逃がすが、完全には踏みとどまれず少し上体が泳いだ。それをみとめた相手の口角が更に上がる。
「持ちこたえたか、悪くない反応だ。クラウル王族なぞに生まれねば、勇士として名を上げたであろうな」
言ったが早いか、野郎の右脚がガラ空きだった俺の左脇腹を鋭く蹴った。俺は為す術なく地面に転がる――とまでは行かず、ギリギリ膝を突くだけで堪える。外套下に仕込んであった鋼鉄製の鞘が、敵の向こう脛にめり込む感触があった。
「ぐっ……!!」「――ッ!」
互いに痛みを堪えて歯を軋ませる。どうにか抵抗できている。が、本当に「無抵抗じゃない」だけだ。もう二撃、三撃と応酬して競り勝てるビジョンはまるでない。
(衛兵を抱き込んだだと……協力者、それこそブロウゼンか!?)
「一体、何だってそこまでこの国に介入する? 皇帝なら、てめえの国の面倒見てりゃ良いだろうが……!」
心底の疑問を呻いた俺に、体勢を整え俺を狙っていたワスティが動きを止めた。
「貴様が知る必要などないことだ。それより、先程から気になっていたが、貴様、元より予の素性に勘付いておったな? それに、内通者の存在にも動じておらぬ。一体なにゆえだ。その勘の良さが、かの僭主に重用されている理由か?」
俺が「王妃」を続けている理由が、よほど気になるらしい。疑問に疑問を返して来やがるクソ野郎に俺は荒く息を吐く。極度の緊張と全身の痛みに、脂汗が顎を滴った。
答えてやる義理はないが、多少のお喋りに付き合うことで命拾いする目があるなら儲けものだ。いくら衛兵が抱き込まれていようとも、あまり長く俺が席を空ければ、レスカルや側近連中が気にするだろう。予定外にユディットの相手で時間を食ったことも、こうなればラッキーだったと言える。――ユディットがグルじゃなければの話だが。
「――さあな、言ってテメエが信じるとも思えねえ。けど、そんなに気になるなら聞かせてやるよ。てめーがインスラ皇帝だって知ってンのも、多分ブロウゼンが裏切ってやがると予想できンのも、そいつを俺が知ってたからだ。過去に読んだ『物語』としてな」
ノスフェレードのオッチャンズに説明したように、ラティリアの遺産を読んだって解釈でも構わねえ。そう思っての言葉だったが、思いのほかワスティがそれに食い付いた。
「知っていただと? 予がこの舞踏会に大使を偽って来ることも、ブロウゼンが裏切っていることも?」
「そうだ。まあ、内通者がブロウゼンだってのは推測だったが……俺が今日お前に襲われること、それから、そもそも王女と偽らされてノスフェレードに送り込まれることも、十年前に思い出した」
こうなりゃ自棄だ、咄嗟にデタラメ言えるほどの余裕はないが、このよっぽどデタラメ臭い事実を全部言って聞かせてやる。どうせ相手は俺が何言ってンのかなんて分からねえだろ――と俺は考えたワケだが、なにやらハッとした様子で目を見開いた皇帝陛下は、右手の剣を下げて大きな左手で口元を覆った。まさか……という小さな呟きが、その指の間から零れ落ちる。
「物語で読んで……それを思い出した…………貴様もしや、転生者――別世界の記憶を持つ者か?」
今度は俺が驚愕する番だ。なんで、
「図星か。――っフハハハハ! これは何という、何という傑作か!! 『森羅の書』も考えたものだ! ッハハハハハハ!!」
心底愉快げな高笑いが夜の庭園に響く。文字通り腹を抱えて笑ったあと、すっかり殺気を消したワスティが、剣を鞘に収めて俺の正面にしゃがみ込んだ。……コイツが何を考えているのか、俺には見当も付かない。既に戦う意思はなさそうに見えるが、油断大敵と右手の剣を握り直す。それを見たワスティが――何というのか、とても嫌味なく微笑んだ。
「どうにも不可解で、やたらに気骨のある王妃だと報告を受けていたが……確かに天晴れな勇士だ。盾の守護を得る為やもしれぬが、よりにもよってクラウルに生まれて、輿入れを利用して直接国王の懐に飛び込むとは――。ここまで、腐らず国と王の信任を得て、疑われることなくやって来たのだろう。見事であった」
教え子か後輩を慈しむような優しい口調で労われ、膝頭を掴んでいた左手をそっと取られる。その冷え切った指先を、大きく厚い唇が掠める様を俺は呆然と眺めていた。
「ここまでよくぞ独り忍んだ、新たなる真のラティリア王よ。予らが其方を、正統なる王の玉座へと導いてやろう」
そのまま腕を引かれて、立ち上がらされる。真のラティリア王……? なんだ、そりゃ。
「まだ何も知らぬようだな――詳しい話はアシェクに聞くが良い。また改めて迎えをやろう。インスラ帝国はラティリア太王国の友人として、新たなる王朝の始祖を歓迎し、祝福する!」
鮮やかにそれだけ言い置いて、ワスティが颯爽と去って行く。
俺はその姿が夜闇に消えるのを、ただ見ていることしかできなかった。
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