1-5 初夜という名のバトル②

「原作」で明かされるクラウル太王家の加護を得る条件――それは、婚姻したクラウル太王家の王族が、伴侶を心底愛すること。つまり、性別を超えて「愛」があれば結ばれるという、「まあBL漫画だもんね」的な設定である。ちなみに「白百合の盾」と呼ばれるクラウル太王家の力は、加護を授けた相手をどんな凶刃からも護るらしい。たしか砦や軍勢を丸々護ったりもできたような気がする。レスカルが狙う……というか獲得を目指しているのはこの力だ。

 ノスフェレードは大きな国だがまだ新しく、周辺諸国との国境は安定していない。というのも、ノスフェレード領を含む大陸西側地域は、元はひとつの太王家が治める大国だったものが、太王家滅亡によって瓦解した状態にある。太王家に仕えていた諸侯はおのおの新たに国を名乗り、国土の拡大を狙って争いを繰り広げ――という戦国状態を、今ようやくノスフェレードによる統一で脱しようとしているところなのだ。全土を統一するのか、ある程度辺境は放っておくつもりなのかは俺の知るところではない。

 クラウルの他に太王家、すなわち創世神から特別な力を授かった一族は四つあり、まとめて「五太王家」と呼ばれる。うちひとつは、クラウルと東の国境を接するインスラ帝国の皇族で、その受け継ぐ祝福の力は「大鷲の剱」という征服の力だ。そして、現在大半がノスフェレード領となっている大陸の西側をかつて治めていたのは、「森羅の書」という知識・技術の力を持つ大国ラティリアだった。

 そのラティリア太王家は生き残りがいるかも定かでない状況らしいが、ノスフェレードを始め西側諸国には「森羅の書」の遺産というべきオーパーツ知識やオーパーツ技術が残り、活用されている。……ぶっちゃけてしまえばコレは、原作中では「現代日本的な技術や知識を作中に捻じ込むためのご都合設定」状態だった。ファンタジー世界にシャワーがあるとかないとかいうアレの理屈付け要員だ。

 長くなってしまったが、以上がレスカル陛下がクラウル王家の紋章の加護を欲している理由と、なんかカプセルっぽいオーパーツがこの世界に存在する理由である。

 ……などと、悠長に解説していたが、現在の俺は絶体絶命真っ只中だ。筋弛緩剤らしき薬物を口移しで捻じ込まれ、慌てて吐き捨てたが手足に上手く力が入らなくなっている。俺に一服盛った犯人ことノスフェレード国王は、油断なくこちらを窺いながら構えを取った。状況的に、文字通り押し倒して来るだろう。体格は若干こちらが有利といえど、実戦経験は向こうが上、そして薬物の影響がある。

(薬が抜けるまで――耐えきれるか!?)

 鋭くレスカルが跳びかかってきた。両手が的確に俺の両腕を狙い、ベッドに押さえ付ける。両脚も膝で封じられかけるのを、どうにか抗って右だけ逃がした。

 至近に迫った秀麗な顔に頭突きを試みるが躱された。舌打ちしつつ、俺は左肘の辺りを押さえ込むレスカルの手を振り払おうと身を捩る。右肩がレスカルの顎を掠め、少し相手が上体を起す。

「――ッ、即効性の痺れ薬を、限界量入れたはずだが」

「ハッ、クラウル王族ウチの耐毒性訓練ナメんな!」

 クラウル太王家の人間は幼い頃から毒に慣らされて育つ。嫁ぎ先で簡単に毒殺されたのでは商品価値が薄いからだ。それはレスカルも知っていただろうが、万が一にも俺が死んでは元も子もない。そう計算された薬剤の量が、俺のすかさず吐き出した初動と耐毒性に対して不十分だったらしい。どうにかギリギリ抵抗できていた。

 俺は自由な右脚を思い切り上げ、レスカルの腕に引っ掛ける。右腕を拘束していた手が外れ、相手が体勢を崩した隙に左腕も抜き取った。左肘を支点に、全身のバネを使って身体をひっくり返す。器用に抵抗してくる相手の横腹を、右膝で蹴り飛ばした。

 目一杯の一撃だったが、体勢もコンディションも万全ではない。レスカルはベッドの横へ転落したが、すぐに起き上がって再びベッドへ上がってきた。膝立ちの体勢で、どうにか上体を起しただけの俺を見下ろす。

「全く、まるで獅子と素手でやりあっているようだ」

「……光栄だね」

 呆れと感嘆の混じった声音に、強がり十割の笑いを返した。鉄面皮の国王陛下が僅かに目を細める。

「徒に怪我を負わせたいわけではないが」

 無感動な呟きと共に繰り出された拳が、俺の鳩尾を襲った。咄嗟に庇うことも避けることもできない。クリーンヒットを食らい、身体の中心を衝撃が襲う。呼吸もままならず、俺は為す術なく引っくり返った。

 仰向けに倒れた俺へ、レスカルが馬乗りに跨がった。その両手が、今度は容赦なく首の付け根を押さえる。

「グッ……て、めェ……!!」

 苦しさに喘ぎながら、気道を絞め上げてくる両手へ爪を立てる。見下ろしてくる秀麗な面にも、薄暗い灯りの中でも分かるほど闘志と気迫が漲っていた。手足には力が戻り始めているが、鳩尾への一撃と首絞めのコンボで今度は酸素が足らない。

 どうにか膝を立てて逃れようと暴れる俺を文字通りに乗りこなしながら、俺のしぶとさに辟易してきたらしいレスカルが顔を歪めて問うた。

「何故そこまで抵抗する」

 問い掛けと同時に少し首を絞め上げる手が緩んだ。しかし全身の酸欠で俺は大きく喘ぐだけで、それを機に逃れるような余力はない。咳き込みながら声を絞り出すのがやっとだ。

「――ッたり前、だろうがっ! 俺は、男とヤる趣味はねえし、そもそもッ、好きでもねえ相手と、ヤりたくもねえ!!」

 前世も享年十七歳だ。こちとら「愛」に夢もロマンも抱いている。対して秀麗な美貌の陛下は、くだらないものを見たように表情を消した。

「所詮は政略結婚だ。互いがどんな醜男だろうが醜女だろうが、今回の場合は子供でも老人でも関係ない。に適う相手と『できる』ならばやるだ」

 俺とは対照的に、ロマンもクソもあったもんじゃない。発想がガチの暴力であり、ガチの作業だった。

「それに愛欲など、人を堕落させるだけの邪で下劣な感情に過ぎない。為政者には無用のものだ」

 あー、原作陛下も似たようなコト言ってた気がする。感情の死んだ目と声音で淡々と語る麗人は、その愛欲による修羅場で幼少期を滅茶苦茶にされているんだったか。――だが、それはそれとして。

「ンなこと、言って、テメェ、俺で勃つんかよ……」

「元より相手への好悪で選べない以上、強精剤くらいは用意していた」

 言ったレスカルが、ぐいと股間を俺に押しつけてきた。覚悟ガン決まり過ぎるだろ。マジでコイツは最初から、自分の結婚に関して夢も希望も抱いちゃいないのだ。自分自身の身体も、政治の道具のひとつでしかないのだろう。

「多少の手荒な真似で壊れるような、か細い女性や幼い子供が来なかっただけでも感謝している。痺れ薬の追加はないが、出来るだけ身体の力を抜いていてもらえれば助かる」

 助かる、じゃねーよ!

「俺の尊厳は、無視かクソ野郎!」

 思わず喚いたがまあ、分かってはいる。この世界の住人に「人間の尊厳」だの「魂の殺人」だのという価値観は存在しない。身分によって命の重さに明確な差がある封建社会だ。

「ソンゲン……?」

「誇りとか、矜持とかってヤツだ」

「戦士や騎士ならばともかく、クラウル王族である君が、私の元へ輿入れしてその加護をわが国へ与える。そのことで傷付くものなどないはずだが」

 至極不思議そうに問われてしまう。やっぱりなあ! クラウル王族に生まれた俺に付与される価値も尊厳も、「クラウル王族」としてのものでしかない。生き方や矜持について、自分で選ぶことはできないのだ。こういう世界に「基本的人権」という概念があるわけもない。

(理解はされねえ……そんなのとっくに分かってたことだ)

 相手が理解出来ない論法で、説得できるワケもない。だが「対話」できている今が恐らく最後のチャンスだ。

(考えろ! 何か説得の方法を……! 大体、実際はで加護が発動するワケじゃ無ェんだし、俺はこのまま犯されたとしてそれでコイツに絆されるワケねーんだし、強行されちまったらコイツにとってもバッドエンドじゃねえか!)

 最早他に切る手札はない。そもそも発動条件を勘違いしてやがることを指摘して、ちょっとでも時間を稼ぐべきだ。

「ソレで、ホントに加護を、与えられるんならな……! お前が過去の、どの事例を根拠に、交合セックスが加護の発動条件だと、判断したのか知らねえけど……俺の、知る限り、本当の……発動条件は、ソレじゃ無ェ」

 荒い息の下、どうにか言を継ぐ。案の定と言うべきか、レスカルにはそれが苦しい言い逃れとして聞こえたのだろう。少し不審げに目を眇めて、冷淡な声が返した。

「根拠は」

「――ハッ。言っても、馬鹿みてえなだけだがな。俺の頭ン中には、二人分の人生の記憶がある。ひとつは今生きてる、カナン・クラウルの人生。そんでもうひとつは、こことは全然違う世界に生きてた異世界人、コンドウ・イオリとしての人生……言わば『前世』の記憶ってヤツだ。そんで、イオリの記憶の中に、この世界の――いや、アンタとを主人公にした漫画……あー、物語絵巻を読んだって経験がある」

 冷静に考えて、相手からすれば馬鹿馬鹿しい話なのは百も承知だ。しかしこちらも必死である。怯んだり誤魔化したりしている余裕はない。無言無表情のまま俺を見下ろすレスカルが、何を思っているかは分からなかった。

「だから俺は、七歳で洗礼受けてイオリの人生を思い出した時点で、今日こうやって、男なのに野郎と結婚する羽目になる未来に気付いたんだ。ンなもん願い下げだったから、どうにか回避してやろうと努力した。結局無駄でイマココだけどな。クソ、何の証明にもなんねーなコレマジで!!」

 前世の記憶が一切役に立ってねえ!! その事実に歯噛みするが、レスカルが妙ちきりんな話に付き合ってくれているお陰で、だいぶ呼吸は整ってきていた。

「ふむ――それで、君のその前世の知識によれば、白百合の盾の発動条件は何だ?」

 ……あれ? なんかコレ、話聞いてくれる流れか?

 この陛下、存外付き合いが良いのか。あるいは冥土の土産(?)というのか、せめてもの情けなのか。いや殺されるワケじゃないだろうけど。

「アンタにゃキツいやつだよ、『愛と絆』ってやつ。今後俺らの間にそれが成立するかは知らねえけど、今ココで無理矢理犯されりゃ、ソイツはになる。俺はアンタほど割り切れてないんでね、性暴力振われた相手を『愛す』なんて無理だ」

 何故だか大人しく、俺の荒唐無稽な主張を聞いていたレスカルが、とうとう俺の首から両手を放した。

「――君に関して、ずっと不可解だったことがひとつある」

 白くて長い指を、形の良い顎に添えて麗人が言葉を紡ぐ。俺の上で。クソ、重いし暑い。その両の大腿は未だガッチリと俺の胴体を挟んでいるが、目元は思案げに伏せられていた。ずっと一箇所に釘付けの上、遮二無二暴れた後なので、背中は汗と熱でジットリと湿っている。というか、全身汗だくだ。俺の胴を固定しているレスカルの内股も熱い。暴れる俺を押さえ付けるのがよほど骨だったのか、あるいは強精剤の作用か、多少レスカルの息も上がって見えた。

「君は確かにクラウル王族、第三王子のカナン・クラウルだと確信しているし、確証に足るだけの証拠も手元にある。だが……こう言ってはクラウル太王家には失礼だが、君の勇敢さと誇り高さは、到底らしからぬモノだ」

「エッ、マジで……。俺そんなに――まあ、浮いてたけど、な」

 クラウル太王家は、言ってしまえばクズ一族である。妃にひたすら王女を生ませては他国へ輸出し長らえている王家が、マトモな矜持や勇気を持っているはずがない。「輸出」される王女たちは耐毒性を得るための訓練をさせられ、輿入れ先で夫を盲目的に愛するため、徹底的に従順に仕上がるよう、外界から隔離したまま歪な教育をされる。……でないと加護の発動が安定しないからな。つまりクラウルの王女はまさに「商品」なのだ。

 他方、王族の男に求められるのは、周辺諸国の情勢を敏感に察知することと、必要な時、必要な相手におもねって擦り寄り、王女を贈って援助を貰う才だ。そして第三王子の「カナン」がみそっかす扱いだったように、クラウル王族の中で国王と継嗣以外の男に大した価値はない。男に生まれ落ちた瞬間から、僅かな牌をめぐって骨肉の争いを繰り広げることになる。騙し、足を引っ張り、蹴落とし、陥れ、より口が上手く狡猾な男が生き残って次の王になる。そこに「勇敢さ」だの「誇り高さ」だのの入る余地はない。

 ――そんな生き方を数世代にわたって続けてきたクラウル太王家について、周辺諸国からの認識はといえば……まあ、お察しである。そして大体合ってる。親父も兄貴もテンプレクラウル王族だ。人の心なんて持ち合わせちゃいないケダモノどもだった。

「君と対面したのは昼間の婚礼が初めてだが、屈辱的な格好を強いられてなお燃え盛るような闘志、鍛え上げられた肉体、全てが――まるで、クラウル王族の身体に、全く別の背景を持つ戦士の魂が入っているかのような印象を受けた」

 自分のこと刺しに来そうなゴリラを前に、そんな感想抱いてたのかこの王様。冷静というか動じないというか……すっとぼけた奴というか。

「随分持ち上げてもらっといて何だけど、普通にクソ状況にキレてただけだぞ」

「だとして、見苦しく暴れることも周囲に当たり散らすこともなく、孤立無援の中でも冷静に機を窺っていた。それだけの落ち着きと――裏付けになるだけの鍛錬を思わせる肉体を持っている」

 口の端だけで僅かに笑んで、陛下は自分の顎に触れていた指先で俺の腹筋に触れた。クソ、顔が良いと全部の動きがサマになるな。しかしまあ、

「ッあ~~~、何か、スゲェ予想外のとこで信用得ちまったのかな、俺……」

 思わず両手で顔を覆う。鍛えた甲斐~って思っても良いとこかな、これ!?

「これまでの調査と観察と対話からの総合判断として、君の言い分は考慮すべき余地がある、ということだ」

 やはりこの国王陛下、頭が良いし冷静だ。視野が広くて柔軟さもある。流石は原作において唯一絶対のスパダリ攻様だ、と今夜何度目だか分からない感慨を噛み締める俺の上から、ゆっくりとそのスパダリ陛下殿が降りた。

「そりゃ、有り難いな……。それで?」

 ベッドのド真ん中に大の字だった俺は、少し端に寄って場所を譲りながら尋ねる。このぶんだと今夜は許してもらえそうな感じか。

「仮に発動条件が交合だったとして、それがでなければならない可能性は、限りなく低い」

 そこで一旦言葉を切り、陛下は俺と並ぶ形でベッドの上に転がった。ふう、と呆れだか諦めだかの溜息を吐いた陛下が、今までで最も感情の乗った、心からの声色で続ける。

「流石に、私も今夜はもう疲れた」

 ぷっはは、と思わず俺は噴いてしまい、隣の麗人から不服げな視線を浴びる。

「はは、悪い悪い。けど、俺も――今夜は、もー、無理……だな…………」

 言いながら、急速に意識が遠のく。完全に緊張の糸が切れてしまった。

 眠たい、と自覚する間もなく、背中から深い穴に吸い込まれるように俺は意識を手放した。

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