第八話 あと二つ、あと一つ

 地球滅亡までの残された期間を、彗と蒼生は、不定期にどちらかの家でゲームをして過ごしていた。

 スマブラも、マリカーも、桃鉄も、やり飽きるぐらいやり込んだ。

 張り合いのない両親とは違い、蒼生との勝負は刺激的で楽しかった。


 それ以外の時間は、各々の”やりたいことリスト”の消化に努めていた。

 

 蒼生は結局野球部を続け、最後の甲子園の出場に向けて練習に励んでいたが、チームメイト全員がそうともいかなかった。

 どうせ未来がないなら、こんな辛い練習などやめてやる、と思う者がいても、この状況下で責められはしないだろう。

 統率を失ったチームは地区予選で敗退し、蒼生の最後の夏は儚くも幕を閉じた。

 その日、蒼生は、唇を噛みしめながら、”やりたいことリスト”から【甲子園出場】をそっと消した。


 彗は、両親にこれまでの感謝を綴った長文の手紙を書いた。

 彗を産み、育ててくれた両親。

 世間の”星の子”叩きから優しく包み守ってくれた両親。

 父と母のあの温もりがなければ、彗はあのまま命を絶っていたかもしれない。

 

「父さん、母さん。本当にこれまでありがとう。もし別の星で生まれ変われるのなら、また、二人の子供に生まれさせてください」

 

 気恥ずかしさはあったものの、思いを真っ直ぐに伝えたくて、彗はその手紙を朗読した。

 涙で声が詰まったが、自分よりも遥かに大号泣をしている両親を見ると、少し笑いも込み上げた。

 感極まった両親は、その日の夕飯に、彗の大好物の寿司をこれでもかと大量に振舞った。

 

 図らずも、【親孝行をする】と【寿司を腹いっぱい食べる】の二枚抜きを果たした彗は、その夜、ぱんぱんに膨れた腹をさすりながら、ノートにシャッ、シャッと軽快に二本の横線を引いた。


 残る項目は、

 【俺を中傷した奴らを全員殴る】。

 【あのテレビ局に爆弾を仕掛ける】。

 【タイムスリップして、”星の子”の予言ごと消し去る】。

 到底実現不可能なその三つを、彗は苦笑しながら大きな括弧でくくった。

 

 あとは、滲んで読めなくなった最後の二項目だけだ。

 

 2053年10月14日。

 残酷にも、一日一日が確かに過ぎていく。

 最後の夏はあっという間に過ぎ去り、秋の心地よくも寂しい風が吹き始めていた。


 ついに、滅亡の前日となってしまった。


 ”やりたいことリスト”の積み残しは、奇しくも二人とも、あと二つのままだった。


 彗は、ベッドの下にしまい込んだ箱から、埃を被ったを取り出した。

 久しぶりに触れるそれに様々な感情が湧き起こり、少しだけ時が止まる。

 その時、窓の外から、彼を呼ぶ声が聞こえてきた。


「彗、いる?」


 無意識にそれを持ったままカーテンを開けて、思わず吹き出した。

 窓越しの蒼生も、を手にしていたからだ。

 蒼生もすぐに気がつき、笑い出した。

 二人は笑ったまま頷き合い、すぐにそれぞれの玄関へと降りて行った。


  ◇


 幼い頃から何度も通った近所の公園に、パシン、パシンと軽快な音が響き渡る。

 ベッドの下で埃を被っていたグローブは、今の彗の手には少し小さくて、蒼生の速球を捕るのは一苦労だった。

 

「おいお前、……こっちは二年のブランクがあんだぞ。少しは手加減しろよ!」


 彗は膝に手をついてかがみ込みながら、息も絶え絶えにそう叫ぶ。

 その手首には、蒼生からもらったリストバンドが付けられていた。


「十分してるよ。彗、衰えすぎ」


 蒼生は涼しい顔をしながら笑い、少しだけ球を緩めてくれた。

 

 しばらく、心地よい捕球音だけが響き渡る。

 ふと、蒼生の投げた球は彗のグローブで弾かれ、後方へ大きく逸れた。

 彗が走ってそれを取りに行き、しっかりとグローブの中に収めてから振り返ると、蒼生が先ほどよりも遠くに見えた。


 当たり前だ。彗が、離れていったのだから。

 彗は、一歩ずつ、蒼生に近づく。その一歩は、着実にの自分たちに向かっていた。


 元の位置まで戻った彗は、球をぎゅっと強く握り締めた後、全力で送球しながら叫んだ。


「蒼生、ごめん!!!!」


 パシン。


 急な謝罪に面食らいながらも、蒼生はしっかりと捕球していた。

 彼もまた叫びながら球を返す。


「…………何が!?」


 パシン。


 そうして一球ごとに、彼らは思いをぶつけ合った。


「お前を避け続けたこと。八つ当たりして酷いこと言ったこと。……今日まで謝れなかったこと。全部だ!!!」


 パシン。

 

「……彗は僕といるのが、苦しかった?」


 パシン。


「苦しい瞬間がゼロだったとは言わない。……けど、俺は蒼生といる時間が本当に大好きだった」


 パシン。


 蒼生は少しだけ肩を震わせた。

 その球を捕ったのを最後に、彼はキャッチボールをやめ、彗に向かってゆっくり歩いてきた。

 目の前まで来た蒼生は、にこっと笑いながら拳を突き出した。


「彗、後半はナイスボールだったよ」


  ◇


 久方ぶりのキャッチボールに張り切りすぎた二人は、汗だくで公園の地面にどさりと大の字で横になった。

 気づけば、日も暮れて、地球最後の夜が訪れようとしていた。


「…………俺に真の力があれば、地球を救えたのかな」


「さあ、どうだろうね。でも、彗が本当に"救世主様"になっちゃってたら、もう一生僕なんかとキャッチボールはしてくれなかったかも」


 蒼生は少し意地悪な笑みを浮かべ、それからふと、スマホを取り出した。


「おかげで、"やりたいことリスト"、一個消せる」


 蒼生は、二つ残った項目のうち、上の方の一文を嬉しそうに消した。

 

 【彗とキャッチボール】


「……奇遇だな。でも、俺は二つだ」


 彗もベンチに置いておいたノートとペンを取りに行き、滲んだ文字列に二つとも、線を引いた。

 

 【蒼生とキャッチボールをする】。

 【蒼生と仲直りをする】。


「はあ、これで俺の"やりたいこと"で、やれることは全部済んだ! 我が生涯に一片の悔いなし! ……蒼生は?」


「……僕は、あと一つ残ってる」


 蒼生は、少し寂しげに微笑んだ。


「へえ、何なんだ? やらなくていいのか?」


「……彗星がぶつかるその瞬間になったら、言うかもね」


 そう言って夜空を見上げる蒼生の目がどんな色をしているのか、彗には見えなかった。

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