第六話 やりたいことリスト
夜が更けてもなお、彗の震えは止まらなかった。
本当は分かっていた。
彗がキャッチャーを降ろされたときも、彼が”星の子”だと分かったときも、偽りの救世主と罵られたときも、蒼生が彗に対する態度を変えたことなど、たった一度もない。
幼い頃からずっと、優しく手を差し伸べ続けてくれた、掛け替えのない親友だった。
その手を払いのけたのは、他でもない自分自身だ。
一向に眠れる気配のない彗は、ベッドを抜け出して窓際のカーテンを少しだけ開ける。
そこから見える蒼生の部屋は、今度はカーテンがきっちりと閉められていた。
――そりゃ、そうだよな。
またうっすらと瞳に滲んできた涙を覆い隠すように、再び布団に潜り込んだ。
◇
2052年12月25日。
「彗、おはよう! はい、クリスマスプレゼント」
翌朝、母は笑顔で、リビングに降りてきた彼に小さな包みを差し出した。
包みを開けると、中にはゲームソフトが入っている。
「彗が好きだったゲームの、新しいやつ。……最近、ずっと部屋にこもってるから、少しは気晴らしになるかなって……」
本当は、ゲームをする気分になどなれそうになかった。
しかし、いつになくやつれた彗を見て、どこか気遣うような控えめな声で顔色を窺う母の姿を見ると、そんなことは言えなかった。
「ありがとう。スマブラの新しいの、やりたかった。母さんたちも、一緒にやろう」
彗がへらりとした笑いを貼り付けてそう答えると、母は顔をぱっと明るくし、いそいそとテレビゲームの準備をし始める。
その様子に、少しだけ彼にも本当の笑みが零れた。
家族三人の大乱闘は、何度やっても彗の圧勝だった。
ほとんどゲームなどしたことのない父と母も、彗を喜ばせようと善戦したが、その実力差は歴然だ。
張り合いはなかったが、久しぶりにコントローラーを握る手には、少し力が入った。
「彗はすごいなぁ! 父さんも母さんも、まるで歯が立たないよ」
「……蒼生くんと、小さい頃からずっとやってたもんね」
母から不意に出た「蒼生」の響きに、息がひゅっと詰まる。
彗のその様子を、母は見逃していなかった。
「……彗。本当に、蒼生くんと話さなくていいの?」
「…………」
彗は言葉を返さなかったが、母は躊躇いながらも続けた。
「彗には言うなって言われてたんだけどね。蒼生くん、うちの前のごみとか壁の掃除を手伝ってくれたり……買い物も代わりに行ってくれたりしてたのよ。……できることがあれば何でもするって、いつも言ってくれてた」
心臓が鷲掴みにされたように苦しかったが、特に驚きはしなかった。
蒼生はそういう奴だと知っていたからだ。
彗の苦しそうな表情を見て、母も眉尻を下げる。
「二人の間に何があったのか、お母さん分からないけど…………後悔のないようにしなさいね」
母のその言葉は、彗の心にぽっかり空いた空洞に反響するように、何度も木霊した。
◇
2053年7月7日。
悶々とし続ける彗を置き去りにして、時は無情にも飛ぶように流れゆく。気づけば蒼生を最後に見たあの日からは、半年以上が経過していた。
その間彗がやったことはといえば、睡眠、食事、排泄、ゲーム。本当にそのくらいだった。
毎日思い悩んでいたはずなのに、何かを考えていた記憶も、何故か残っていない。残っているのは、胸に刺さり続ける棘のちくりとした感覚だけだった。
その日は、蝉がちらほらと鳴き始めた日だった。
7月7日。彗の誕生日だった。
――最後の、誕生日か。
彗はそこに至ってようやく、蒼生のことばかりではなく、地球の存亡に思いを馳せられるようになっていた。
”『滅亡までにやりたいことリスト』作ろうぜ”
お調子者のクラスメイトの言葉を、不意に思い出す。
――今更だけど、やってみるか。
相変わらず長い一日を過ごしていた彗は、手慰みにとノートを広げた。せっかくの最後の誕生日、いつもと違う「何か」をしたかったのかもしれない。
しかし、いざペンを手にしてみると、存外やりたいことというのは思い浮かばないものである。
【寿司を腹いっぱい食う】。
【親孝行をする】。
自ずと心の琴線に触れることを避けていたのか、そんなありきたりなことしか書き出すことができなかった。
友達が少ないわけではないと思っていたが、終末に際して取り立てて会いたいと思うような間柄の人も、特には思い浮かばなかった。――もちろん、一人を除いて、だが。
あまりの味気無さに、もう少し何か付け足そうと、彼はペンを動かす。
……【彼女を作る】。
自分で書いたその文字を数秒見つめた後、ぐしゃぐしゃと乱暴にそれを塗りつぶし、書き直した。
【吉田さんの告白を断る】。
自然と口角が上がった。筆が乗ってきたような気がする。
【俺を中傷した奴らを全員殴る】。
【あのテレビ局に爆弾を仕掛ける】。
【タイムスリップして、”星の子”の予言ごと消し去る】。
叶えられる望みでなくていいのなら、いくらでも書けそうな気がしてきた。
――それなら、……これも、書くだけなら、許されるだろうか。
止まった手をゆっくりと動かして、彗は綴り始める。
……【蒼生と――】。
小刻みに震える手で、そのままいくつかリストに書き加えたが、その字はすぐに、ぱたぱたと落ちてきた涙粒に滲んでよく読めなくなった。
その滲んだ筆跡は、妙に彗を突き動かした。
手の甲でぐいと乱雑に涙を拭うと、彼はおもむろに立ち上がって窓を開けた。
蒼生の部屋のカーテンは、あの日以来閉められたままだった。
「…………蒼生」
小さな声で呟くが、当然窓を隔てた部屋に届くはずもない。
「蒼生!!!!!!」
今度は、できる限りの大声で叫んだ。近所迷惑なんて、この世界の終わりにはどうでもいい。
向かいの窓はゆっくりと開き、カーテンの隙間から蒼生が半分だけ顔を出していた。
久しぶりに見る彼の顔は、半分だけでも十分に彗の心臓を飛び跳ねさせた。
彗はゆっくり息を吸い込み、そして、吐き出した。
「………………うちで、スマブラしねえ?」
その軽妙な誘い文句とは裏腹に、硬く握り締められた彼の拳は、ひどく震えていた。
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