第5話 天使のたまごづまり
ハーピーはぐったりと机に横たわっていた。
部屋を借りるぞと言ったあと、男はツンと刺激臭のある液体を嗅がせてハーピーを寝かせると、銀色に光る刃物をずらりとテーブルに並べた。
「これから何をするのですか?」
「腹を切り裂いて卵管から卵を取り除いたあとに縫い合わせる」
「……腹を裂いて縫う?」
そんな布きれのように体を切り貼りできるものなのか、と言いかけギロリとにらまれた。
「触診したところ、卵はいくつもあるし腹を圧迫しても取り出せない大きさだ。他に方法がない。文句があるなら今すぐに部屋からでていけ。処置中に失神されても迷惑だ」
男はそれだけ言い放つとテキパキと準備を再開した。
机の上のハーピーは荒い呼吸を繰り返している。
こんなに苦しそうにしていたのに気づけなかった。それどころかありもしない妄想を膨らませ悪魔になるのではと恐れた。
もしこの男が現れなかったら、この子は間違いなく死んでいた。
今も僕のせいで苦しんでいる。だから――
「そばにいさせてください。僕は自分の理想ばかり押し付けて何も見ようとせず、その結果、この子を余計に苦しませた。僕がいたところで何も役に立たないどころか邪魔な存在だとは分かっています。でも無知なままでいたくない。何が原因なのか知りたいのです」
男は眉をあげ、ふんと鼻をならすと短く返事した。
「勝手にしろ」
「では、始める」
男はフロックコートに着替え終えると、仰向けのハーピーのヘソの下の柔らかな肌にフォークのような刃物を突き立てた。切られた箇所から血がじわりと滲みだす。そのまま刃物を下へと滑らせ皮膚を切り裂いていくと、下に薄いピンク色のものが見えてきた。
「この膜は皮下組織、その下が筋肉だ。さらに切ると内臓が見えてくる」
男は手際よく刃物を動かし、膜をめくりあげていく。ピンク色の膜の次に赤い膜を切ると、赤黒くボコボコと膨らんだ何かがぬるりと現れた。
「――うっ」
血の臭いが一段と濃くなり、鼻腔に充満した。
「卵管が出てきたぞ。本来はもっときれいなピンク色だが、うっ血して変色しているな」
血の気がひいた。生物の体の中を見るのは初めてだった。神から与えられた肉体。その中身は美しく神秘的なものを想像していた。けれど、皮の下からでてきたのは、どこまでもおぞましく生臭い臭いを放つかたまりだった。
気持ち悪い。見たくない。冷や汗が全身から吹き出て、頭がクラクラする。思わず目を背けようとして、はっとした。
――我々のこの目は真実を見通す目だ
そうだ。逃げてきた目の前の現実と向き合え。頬を噛みしめて、こらえろ。
切られた皮膚の色艶を。どくどくと脈動する血管を。異常な卵管の質感を。この光景を目に焼き付けろ。
男は卵管の一部を腹の外へだし丸く膨れた場所を切開する。切られた隙間からは白色のつるりとした、林檎よりはるかに大きな塊が見えてきた。
――卵だ。
男は膜の隙間を広げそっと割れないように卵をつかむと、近くの器に置いた。
一つ取り出すごとに、あんなにぱんぱんに膨らんでいたお腹は小さくなり、器に卵が増えていく。一個、二個、三個。最後の卵が取り出され、カランと器が鳴り響いた。卵管は空気のなくなった風船のようにしぼんでいた。
「あとは目を覚ますかどうかだ。体力をかなり消耗したまま手術したから体が保たない可能性もある。本来だったら体力のあるうちにやるものだが、緊急で今すぐやるしかなかった」
手早く皮膚の縫合を終えると、オリバーは言った。
「目が覚めなかったらどうなるのですか?」
「死ぬ。こればっかりは彼女次第だ」
硬く目を閉じたままのハーピーを見る。天使と思い込み弱っていたこの子をさらに追い詰めたのは僕だ。このまま目が開かなかったら、罪を償うことさえできない。
己の過ちを悔いながら、祈り続けるしかなかった。
二人でハーピーを見守り続け、どのくらい時間がたったか分からなくなった頃。
彼女のまつげがわずかに動いた。やがてゆっくり瞼が開き、パチパチと瞬きを繰り返す。
涙がこぼれる。机にすがりつき、
「ごめん……本当にごめんよ……」
部屋中に嗚咽が響き渡った。
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