第3話 恐怖の対象
大人の男が数人で寝転がれるであろうかという巨大なテーブルに、これまた巨大な白いテーブルクロスが敷かれている。
そのテーブルの正面に朔太はひとり腰掛けていた。
いかにもシェフと呼ぶに相応しい装いの男達が、次々とそのテーブルの上に料理を載せていく。
料理はどれも豪快というより他になく、馬の生首をそのまま焼いて丸ごと皿に盛り付けたとしか思えない見た目の物が、堂々とテーブルの中心に鎮座していた。
やがて巨大なテーブルの上に、隙間なく料理が載せられると、シェフは皆両手をクロスさせ朔太の隣に直立して並んだ。
(これは……食べろって事か?)
確認の為にアイコンタクトを送ってみるが、誰一人として目が合わない。
けれどもこちらに無関心かといえばそうではないようで、先程からシェフ達はちらちらと横目でこちらの様子を伺うのを隠しきれていなかった。
彼らの目に何処か怯えの色が見えるのは、朔太の気の所為だろうか。
(いや、あながち間違いでもないのかもな)
普段であれば自分の姿を見て人が恐怖しているなど、天地がひっくり返りでもしなければ信じたりはしない。
しないのだが、なにせ今の朔太の姿は普通ではないのだ。
あの鏡に写った姿は、確かに人々に恐怖を抱かせる何かがあった。
(どうなってんだよ)
正直、朔太は段々と考えるのが面倒になってきていた。
ここまで現実離れしてしまっては、全てが他人事に思えてしまうのだ。
良きか悪きか、変に開き直り始めた朔太は、ここにきて妙な落ち着きを取り戻していた。
(見た目が変わったからなんだってんだ。どうせ中身は卑屈でコミュ障なままじゃないか)
朔太は半ばヤケクソ気味に目の前に並ぶ料理に手を伸ばした。
箸も何も無いので鷲掴みだ。
(うまっ!!)
適当に食べやすそうだから手に取ったロールキャベツみたいな物体、その味は想像の遥かに上をいく。
噛みしめるほどに溢れる肉汁。そしてそれを包み込むキャベツは決して繊維質ではなく、しっかりと肉の味を引き立てている。
(これも、それも、全部うまい!)
気付けば一心不乱に朔太は並べられた料理の数々を食べていた。
その姿を見てシェフ達がほっと胸を撫で下ろすのに、朔太は気付かない。
「いかがでしたでしょうか?」
結局殆ど全ての料理を完食(真ん中に鎮座していた馬の生首は流石に除く)して朔太が満足げに椅子に体重を預けていると、シェフの一人が恐る恐ると話しかけてきた。
素晴らしい味ではあったが、どうせコミュ障にはその感想を伝えることなど出来ないので、朔太は一つ大きく頷いておいた。
物理的に考えても食べられる筈の無い量を食べられたことについては……深く考えないことにした。
その後最初に目覚めた部屋に戻ってくると、いつの間に用意されたのか金に縁取られた桶の中に、お湯が張られた物が用意されていた。
「紅龍様、こちらの方へいらして下さい」
突然横から声をかけられて驚いたが、どうやらメイリィと呼ばれる女が用意してくれていたらしい。
随分と雅で高級そうな桶だ
しかし、それよりも彼女が口にした言葉が朔太には引っかかった。
(セキリュウ?リュウ、龍なのか?)
彼女が口にしたセキリュウという呼び名が状況的に自分を指していることは分かるが、しかしセキリュウとは。
(もし聞こえ通り龍を表す言葉だとするならば、俺の正体は龍なのか?確かに頭に生えるこのツノは龍のツノに見えなくもないが……)
考え込む朔太を見て、メイリィは数瞬の躊躇いをしたが、覚悟を決めたように朔太の手を取ると桶の前まで誘導した。
「失礼します」
そうして朔太を座らせると対面に跪き、桶に足を浸らせ丁寧に布で朔太の足を洗っていく。
何処かおぼつかないが、それでも細心の注意を払って朔太の足に触れていることが、布を通して伝わってきた。
知らない人間に足を洗われるというのは、随分と居心地が悪い。
(改めて見るとこのメイリィって子、結構若いんだな)
最初はテンパっていて気付かなかったが、妙に落ち着きを取り戻してきた今、改めてメイリィを見ると存外かなり若い事に気が付く。
恐らく十五〜十七歳といったところだろうか。
本来この年頃の女の子は朔太の最も苦手とする人種なのだが、不思議と彼女からはそこまで苦手意識を感じない。
(彼女に色々聞くことが出来れば楽なんだが)
といっても会話が出来るかといえば、そうではないのが朔太が朔太足る所以なのだが。
生憎と朔太がお喋りなのは心の中だけなのだっだ。
新しく乾いたタオルで丁寧に足の水気を拭き取ると、次にメイリィは朔太の髪に櫛をそっと通し始めた。
艶々とした赤い髪の間を、抵抗なく櫛が通り抜けていく。
一応自分の髪ではあるのだが、作り物であるかのような美しさに、朔太は思わず見惚れてしまう。
やがてそれも終わると、メイリィは部屋の箪笥の中から何かを持ち出してきた。
どうやら服のようだが、朔太があまり見たことのない見た目をしている。
メイリィが身に着けているチャイナドレスもどきともまた一風変わった服だ。
「失礼します」
(え、ちょっ!?)
出てきた服を眺めていたら、突然メイリィが先程まで朔太の身に着けていた羽織りを一息に脱がせてしまった。
一応下着は穿いているようだが、それでも朔太の白い肌が露わになる。
年下の女性の前で半裸になるなど、今の朔太の見た目が子供でなければ法に裁かれても文句は言えない事案。
ましてや中身は二十歳になる朔太だ。
羞恥心で顔が真っ赤に染まる。
(いやいやいやいやいや、やばいって!?)
だが朔太の内心の動揺には全く気付かない様子で、メイリィは淡々と朔太に服を着せていく。
着せられた服は意外にも現代調であった。
例えるなら物語の中の貴族が着ているタキシードを、もう少しカジュアルにして動きやすくした感じに近い。
黒いブーツも履いて鏡を見てみれば、それらの服は全て今の人外な姿を持つ朔太に似合っていた。
(──かっこいい)
封印したはずの古き厨二病の心を、再び刺激してくる装いだ。
「用意が出来たようでございますな」
朔太が着替え終わるのを待っていたかのタイミングで、再び初老の男が扉を開けて入ってきた。
「王が待っておられます、こちらへ」
さも平然と王という単語を口にする男に、朔太は動揺する。
(王がいるのか……、その王様が俺に用がある?なら俺は一体何者なんだ?)
これまでの周囲の反応や態度を見るにかなり位が高いことは間違いない。
(これってもしかして、かなり危険な状況なんじゃないのか?)
今更ながら開き直った筈の朔太の心に、再び不安が生まれ始めてきていた。
この身体を持つ者の正体はよく分からないが、それでも本来この身体を持つ者とは違う存在が中にいることは確かなのだ。
(もし俺が別人だってことがバレたら──結構マズいんじゃないか?ましてや相手は王様ときてる)
朔太の頭に悪い妄想が次々と浮かんでくる。
(最悪の場合殺されるんじゃないか?そしたら俺は一体どうなるんだ?)
目覚めたら横をドラゴンが飛んでいる世界だ、何が起きても不思議ではない。
死んで元の世界に戻れるなら大歓迎だが、何となくそうはならない気がしていた。
(取り敢えず俺の正体はバレないようにしないとな)
そう結論付けて、朔太は王がいる場所に向かった。
長く広い通路を自分の正体に推理を働かせながら朔太は歩く。
その姿を、横を歩く初老の男が訝しげに眺めていることには微塵も気付くことはなく──。
大きな扉の前で二人は立ち止まった。
扉の両端には白い鎧を着たガタイの良い男が二人ずつ立っている。
「紅龍様がお付きだ、扉を開けよ」
初老の男の言葉に、鎧を着た一番ガタイの良いが頷くと扉に手をかけて押す。
すると、ゆっくりと扉が開かれていった。
──扉の前には大きな広間が広がっていた、真ん中を開けて両端に人が立ち並び、中央に道を作っている。
その道の先を見れば、少し高い位置に巨大な椅子が置かれ一人の男が座っている。
その男は僅かに口角を上げたかと思うと、広間の隅々まで響き渡る野太い声をこちらに向けた。
「よくぞ来た!我が龍の子よ!何をしているのだ、もっと近くにこい!!」
皮膚がビリビリとする程の声量が響き渡った。
龍の子というのが自分を呼ぶものであることは流石に理解できる。
そして、あの男が王であることも。
朔太はゆっくりと人で作られた道を歩いて、王の下に向かった。
周囲の人々からの視線が朔太の神経を粗く削ってくる。
期待や羨望、畏怖に憎悪、あらゆる感情が朔太を中心に渦巻いていた。
左に立ち並ぶのは鎧を着た者たちだ、5人の黒い鎧を着た兵士を先頭にして、白い鎧を着た兵士達が隊列を組んでいる。
その威圧感に圧されて、右を見れば華やかに姿を着飾った人々が奇異の目でこちらを伺っていた。
(居心地が悪い)
元々注目されるのを苦手とする朔太にとって、この状況は最悪と言って良かった。
それでも何とか形だけは取り繕って堂々と歩ききった事は称賛に値するだろう。
(普通の人間……なんだな)
王の下まで何とか行き着いた朔太が顔を上げると、そこにいたのは頬にヒゲを生やした人物であった。つーかおっさんだ。
(龍の子とか言うから、てっきりこの男にもツノがあるのかと思ったけど)
年の頃は五十代といった所だろうか、少し痩せていること以外は至って普通の男性だ。
ただ、確かに王というだけあってその眼光にはこちらを見透かしているような鋭さがあった。
「久しいな、我が息子よ。聞く所によると随分と好き勝手に過ごしておるようじゃな」
喋るとボロが出そうなので朔太は基本的に黙っておくことにした。
というかこんな人前で話そうと思っても話せない。
「全く、ワシが呼んでも中々顔を見せんとは、相変わらずお主には国を背負う自覚というものが足りておらんようじゃの。だが、そろそろお主には龍としての威厳を各国に示して貰う必要がある」
王はこちらを見ると、笑みを浮かべる。
それが邪悪な笑みに見えたのは、果たして朔太が捻くれているからだろうか。
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