第十六話 いざ、塔へ!
三カ月にわたる苛烈な訓練期間が終盤を迎え、最終日の朝を迎えた。
差し込む平たい陽光が僕の瞼を撫でるように照らし、突然ぱっちりと目覚めた。はじめに目に飛びこんできたのは、カーテンのすきまから見える透明な夏空。ずいぶん長く眠ったような感覚があり、体全体が心地よく痺れている。こんなに爽快な気持ちで起床したのは実に九十日ぶり。
夢から覚めた僕は、同室の三人を起こさないように忍び足で洗面台へ向かった。毎日欠かさない洗顔を済ませ、冷たい水が顔を流れると、頭がすっきりと冴え渡る。
洗顔を終えてタオルで顔を拭きながら部屋に戻ると、同室の三人はまだ深い眠りの中にいた。
昨晩は珍しく遅くまで騒いでいたから、ずっと布団の中に潜り込んで昏々と寝ていたい気持ちには同意するけど、もし遅刻すれば何をされるか分からない。
心を鬼にして三人を無理やり起こす。
「おばちゃん、今日まで美味しい絶品料理をありがとうございます!本当にお世話になりました!」
僕たち四人は、訓練所の食堂で朝食を食べながら、いつもお世話になっている食堂のおばちゃんに感謝の言葉を伝えた。おばちゃんは驚いたような表情を浮かべたが、すぐににっこりと笑ってくれた。
「まあ、まぁ、そんなこと言われると照れちゃうわ。でも、今日が最後だものね。頑張ってきたんだから、最後まで気を抜かずにね。絶対に塔でも生き残るのよ!」
おばちゃんの優しい言葉に、僕たちは自然と笑顔を浮かべる。三ヶ月間、毎日欠かさずに作ってくれた料理は、僕たちの心と体を支えてくれた。辛い訓練の合間に食べる温かいご飯は、何よりもありがたいものだった。
訓練期間最後の朝食を終え、訓練場に向かう道中、僕は同室の清龍君が空を見上げているのに気づいた。
「どうしたの、清龍君?」
「もす…もす、もす」
彼の言葉に、続くように僕も空を見上げた。青く澄み渡った夏空が広がり、天へと伸びた『神の塔』がまるで僕たちの胸に秘めた欲を歓迎しているかのようだった。
「確かに、長かった。日数で計算すれば90日と決して長くないけどさ、体感的には永遠に続くんじゃないかって思うくらいだったよ。でも、これが終点じゃない。今日から新しい門出の一歩を僕らが進むんだ」
訓練の過酷さは、時間を引き延ばす魔法でもかけたかのように感じさせた。三ヶ月間、汗と泥と眠気にまみれて過ごした日々は、まるで別の人生を生きていたかのようだ。
でも、今こうして目の前にそびえる『神の塔』を見上げると、その全てがこの瞬間のためにあったんだと実感が湧いてくる。
「ねえ、青龍君…塔の最上部って、どんな景色が広がっているんだろう」
「もすぅ…?」
半分本気、半分冗談でそう呟くと、青龍君は首をかしげて考え込むような仕草を見せた。やがて、分からないと首を振る。むしろ、僕の質問の意味を量りかねている。
「まあ、頂上に何があるかは、実際に登ってみなければわからないよね」
そう言いながら僕は視界に入る『神の塔』を見上げる。雲をも突き抜けるほど高く聳え立ち、天と地を繋ぐ架け橋のようにも見える建造物。
太古より日ノ本を外敵から守り続けてきた『神の塔』。その最上階にはあらゆる財宝が眠るとされ、それを目指す挑戦者は後を絶たない。
幾千、幾万の登塔者が頂点を夢見て挑み、多くは夢半ばで散っていった。
外部からの侵入は絶対に不可能。透視探知で内部を検知しようとも常時、塔が発する特殊な荷電粒子によって阻まれてしまう。
現代科学をもってしても太刀打ちできない神の塔。頂上に待つのは未知の世界なのか、神に劣る人間には想像すらできない。教科書に名を刻む伝説の強者たちでさえ頂点に辿り着けなかったというのに、果たして僕たちにそれができるだろうか。
不安が胸の中に積もっていく。
「やるしかないよね」
そう自分に言い聞かせる。この先に待ち受ける試練がどれほど過酷であろうと、僕たちは歩みを止めるわけにはいかない。
初日の説明会で訪れた広場に足を踏み入れると、先に到着した訓練生たちの姿があった。
皆、緊張した面持ちで最後の日を迎えようとしている。三ヶ月に及ぶ苛烈な訓練を耐え抜いた者たちだけが、今ここに立っている。その顔には緊張と誇りが静かに交錯していた。不合格者は既に施設から退去しており、この場にいない。
目視で人数を数えると百名ほど…初日の半数。これを「半分も残った」と喜ぶべきか、「半分も脱落した」と嘆くべきか、判断に迷う。
そんな思いにふけっていると、奥の兵舎から一人の女性が姿を現した。施設管理者の三船美佐子さんだ。自然と訓練生たちのざわめきが収まり、全員の視線が彼女に集中した。
濃緑の軍服に身を包んだ彼女は、背筋を芯から伸ばし、揺るぎない風格を放っていた。長年の実戦経験がにじむ佇まいだ。ゆっくりと広場を見渡し、一人ひとりの顔を確かめるように視線を走らせると、彼女は静かに口を開いた。
「雛鳥たちよ、よくぞここまで辿り着いた」
その声は静かな響きでありながら、確かな力に満ちて広場全体に浸透していく。胸の奥を押さえつけられるような重みに、思わず唾を飲み込んだ。訓練で多少なりとも力を得た今なら、はっきりと分かる。
三船さんと他の者たちの、圧倒的な実力の差が。
「三カ月前、この広場に集まった才ある者は二百名を超えていた。しかし今、ここに立っているのは百名足らず。過酷な訓練に耐え抜き、己の限界を超えた者だけが、この瞬間を迎えることを許された。諸君はその資格を勝ち取ったのだ。誇るがいい」
三船さんの言葉に、訓練生たちの表情にほのかな安堵が浮かぶ。隣に立つ清龍君が小さく「もす…」と呟き、どこか安堵したような息を吐くのが聞こえた。地獄の三カ月間、どれほどの仲間が脱落し、どれほどの涙を見てきたことか。
僕も幾度となく、挫けそうになった。そんな時いつも、大切な仲間である舞さんの笑顔と声援を思い浮かべることで、どうにか踏みとどまることができたのだ。
三船さんの話は続く。
「たかが三カ月間、されど三カ月間、お前たちは多くの苦難に直面しただろう。そして、その中で多くの思いに遭遇しただろう。喜び、悲しみ、怒り、憎しみ……それらは全てお前自身の一部であり、他人と共有できるものだ」
一呼吸置いた彼女は、僕たちを再び見渡す。
「雛鳥たちよ、お前たちはこれから多くの困難に直面するだろう。しかし、その全てを自分の力と仲間と共に乗り越えていけ。この三カ月間、私はお前たちの成長を見てきた。そして確信したのだ!まだ孵らぬ雛鳥よ、お前ならきっと頂上まで辿り着ける!」
彼女の言葉には重みがあった。訓練生たち一人一人の心に響き渡り、思わず息を吞んだ。三船さんは一歩前に進み、両手を広げる。
「今日、この場にいるお前たち全員が、『神の塔』に挑む挑戦者として認められた。おめでとう。そして、ありがとう。登塔者として先輩の一人として、諸君の覚悟と努力に敬意を表す」
次の瞬間、教官たちの拍手が波のように広場を包んだ。訓練生たちは互いの肩を叩き合い、笑顔を交わし、ある者は静かに目を閉じてその言葉を胸に刻もうとしている。僕も自然と口元が緩み、無意識に舞さんの方を振り向いた。
「「っあ…」」
その瞬間、私たちの視線が空中で結ばれた。
胸の奥から沸き上がる幸福感が全身を駆け抜け、鼓動が一気に高鳴る。感情の出口に蓋をしないと冷静にいられない!
「さて、儀式的な話はこの辺りにしておき」
三船さんは最後に軽く微笑んで――。
「これから許可証を授与する。この許可証がなければ、塔の門をくぐることすらできん。決して紛失することのないよう、命と同じ大切に扱うように」
三船さんの合図で、脇に控えていた鳥山教官が木箱を抱えて前に進み出た。蓋を開けると、無数の金属製プレートが整然と並んでいる。それぞれのプレートには訓練生の名前と識別番号が刻まれ、光を反射してかすかに輝いている。
『神の塔』への入場を許す「許可証」だ。
「名を呼ばれた者、前に出よ」
三船さんは、一人ひとりの名前を呼びながら、許可証を手渡していく。訓練生たちは順番に前に出て証を受け取り、深く一礼する。
「新田純之介」
「はい!」
名を呼ばれ、僕は即座に前に出る。三船さんは、僕の目をじっと見据えながら、金属のプレートを手渡した。
「今日は通過点に過ぎない。一歩一歩、着実に前へ進め」
「はい!ありがとうございます!」
許可証を受け取ると、冷たい感触が掌に伝わる。刻まれた名前の凹凸を指でなぞりながら、深々と頭を下げた。小さな金属片のはずなのに、なぜか宝物のように重く感じる。
許可証の授与が終わり、三船美佐子さんが再び前に立った。
「これで、お前たちは正式に『神の塔』への挑戦者として認められた。その道は、決して平坦ではない。だがな、忘れるな。ここまで来たお前たちなら、どんな試練があろうと立ち向かえる力がある」
「「「はい!」」」
彼女の言葉が終わるや否や、全員の声が合わさる。
「三十分後、担当教官の引率で塔へ向かう!全員荷物を持ってもう一度広場に集合!では――行け!」
三船さんの最後の言葉を合図に、訓練生たちは一斉に動き出した。僕も彼らと共に、荷物を取りに部屋へと急いだ。
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