2285年 1月 本拠地 マリの研究室
中央の実験台では、半透明の液体を満たした円柱容器が静かに泡を立てている。
液体の中で脳がわずかに揺れ、神経束に刺さるケーブルが淡く明滅した。
液面が揺れるたび、青緑の光がマリの頬を撫で、跳ねる彼女の影を壁に映し出す。
「人格層の同期率、99%……!フフフッ、完璧だ!」
彼女の笑い声が響くたびに、どこかで機械のファンが低く唸る。
成功の瞬間にあるはずの安堵は、なぜか――恐ろしく冷たく感じられた。
「マリお姉ちゃん……マジキチスマイル怖いの……。」
ナノがマリの笑顔に引いている。
マリが満面の笑みのままピタリと動きを止めた。
ギギギと音がしそうな動きでナノに振り向く。
「む……。」
「まだ同期しか確認できてないの。ログの精査もしなくちゃいけないの。」
「それはそうなんだがな?ほれ、理論値に近しい値が出たら喜ぶものだぞ?」
「よくわからないの。それに、培養液にプカプカ浮かぶ脳みそを前にピョンピョンするのは……」
ナノが顔を背け視線を外して続ける。
「いささか倫理観がバグってるようにしか見えないの。」
マリが「むぐっ」と詰まり、俺は堪えきれずに吹き出した。
「ナノ、正論だな。マリ、少し落ち着け。」
「むぅ……せっかくの歴史的瞬間なのに、妹が正論パンチしてくる……。みんな反応が冷たいではないか。」
ナノは腕を組み、ぷいとそっぽを向く。
「ほっ、ほら、マリお姉ちゃん、ログの精査始めよう?ね?ナノも手伝うの!ね?」
マリはため息をつきながら、苦笑いで頭をかいた。
「……わかったよ。」
―――
マリとナノはログの解析を続けている。
「マリお姉ちゃん、ナノのログと端末のログの照合終わったの。同期率99.806%なの。0.194%の誤差が出てきてるの。」
「ふむ……。Ghostパルスが外部に漏れていた分だろうか…。」
「漏れないようにする方法考えなくちゃなの。」
「むむ…。」
「なあ、漏れないようにじゃなくて、漏れてもいいようにじゃだめなのか?」
「!そうか!」
俺の質問にマリが勢いよく顔を上げた。
その瞬間、研究室の空気が一変する。
まるで、ひとつの言葉が新しい理論の引き金を引いたかのようだった。
「……そうだ。漏れを塞ぐんじゃない。“閉じ込めて反射させる”んだ。」
マリは端末に駆け寄り、ホログラムを立ち上げた。
実験体の周囲に描かれた電磁場の構成式が次々と浮かび上がる。
「Ghostパルスは、外に流れることで波形が正しい形を失う。
だから、ノイズのような反応になるんだ。
ならば、特殊なフィールドで試験体ごと包み込み、
その“漏れた波”を外へ出す前に反射させれば――」
ナノが目を瞬かせる。
「波が、自分に戻ってくるの?」
「そうだ。往復した波が重なれば、干渉が消え、完全な共鳴状態になる。つまり、同期率が理論上の100%に達する!」
マリは端末を叩き、シミュレーションを走らせる。
画面上の波形が青から白へと変化し、やがて一本の線として安定した。
「見ろ、ナノ!Ghostパルスが完全に収束した!」
「ほんとだ……波が止まってるのに、消えてないの。」
「うむ。波動のエネルギーが均衡を保っている。外に逃がさず、内に閉じこめず――“世界と内側が共鳴する一点”だ!」
マリの声が熱を帯びる。
ナノは苦笑しながらも、どこか感心したように頷いた。
「……つまり、漏れてもいいようにするって、そういうことなのね。」
「そういうことだ、ナノ!」
マリは振り向きざまに親指を立てる。
「このフィールドさえ確立できれば、魂の“波”を安定して閉じ込められる。外へ滲み出たGhostパルスを利用し、完全な人格同期を維持できる!」
「すげぇな……。」
俺は思わず呟いた。
試験体の中では、青緑の光がゆっくりと波打ちながら明滅している。
波が収束するたび、液面が静まり返り、まるで“生きている器”が呼吸を整えているようだった。
「これが安定すれば、次は本体だ。――魂を閉じ込めるんじゃない。帰ってくるための鏡を作るんだ。」
青白い光が脳の表面を照らし、ケーブルのランプがひとつずつ安定した。
Ghostパルスの波形は限りなく直線に近づき、モニターには――“同期率:99.999%”の文字が浮かび上がる。
ナノが小さく息を呑む。
「……マリお姉ちゃん、すごいね。」
マリは満足げに頷いた。
「うむ。これで“波”は完全に調律された。次は――彼女を還すぞ。」
―――
眠れる街の美少女を還す目処が立って一週間。
使い回しの誘拐犯と、新しく近場に出没した
そして今日、彼女を“還す”時が来た。
マリと俺は制服の上に白衣、ナノは何故か狐耳カチューシャとナース服という出で立ちだ。
マリの研究室に彼女を運び込み、中央のベッドに寝かせる。
俺は慎重に電極を取り付け、マリは端末に向かって最終調整を行う。
ナノは急造のGhost磁場発生器を設置し、自分の制御系と同期を始めていた。
「電極貼り終わったぞ。」
「ナノも同期できたの。準備完了なの!」
「うむ。こちらも調整完了だ!」
ッターン!とキーを強く叩きながらマリが言う。
「じゃあ、いよいよだな。」
「うむ。フフッ、気分はフランケンシュタインだな。」
「……11月じゃねぇけどな。」
ナノが俺とマリの会話に首を傾げる。
「何の話なの?」
「うむ、昔々の小説にあったのだよ。」
「今度読んでみたい!」
「うむ。確か俺のストレージにあったはずだ。」
「そら、やるぞ。」
「うむ。オペレーション Ghost Syncスタート。」
マリがクリスタルストレージを取り出す。
いつもより力強く虹色に輝いているように見えた。それはまるで"あるべき場所"へ帰れる事を喜ぶようにも見えた。
それを少女と繋がれた端末へ差し込む。
小さく電子音がなり、少女と繋がるケーブルのランプが順に灯っていった。
「お注射するのー!はーい、少しちくっとするの!」
ナノがピンクに怪しく光る注射を少女に打つ。
「どこで覚えてきたんだ…。」
「フフッ、可愛いものじゃないか。」
マリはそう言いながらコマンドを打ち込む。
「プロトコル、フェーズ・ワン。ロードを開始する。」
マリは落ち着いた声で告げる。
「バイタル安定。脳電位上昇中。」
「うむ。プロトコル、フェーズ・ツー。Ghost磁場発生装置起動。」
「はいなの!」
ナノの掛け声とともに装置が起動し、青白い光のフィールドが少女の体表に沿って形成される。
光はまるで膜のように彼女を包み、呼吸と同調するかのように微かに脈打っている。
装置の低い唸りが、まるで心臓の鼓動のように研究室全体へ伝わった。
「これが…?」
「うむ。機能しているようだな。プロトコル、フェーズ・スリー。人格層への接続を開始。」
マリの指が滑らかに端末を操作し、複数のウィンドウが次々と立ち上がる。
コードが流れ、同期グラフが上昇を始めた。
「磁場安定、フィールド展開率80%……ナノ、干渉波は?」
「基準値内!Ghost波、外部漏洩なしなの!」
「よし……フェーズ・フォーへ移行。反射フィールド、形成開始。」
マリがコマンドを送ると、
少女の周囲に展開されたフィールドが一瞬ゆらめき、
今度は内側から淡い光の輪が複層的に重なっていった。
――反射フィールド。
Ghostパルスの漏れを完全に閉じ込め、外界との境界で“跳ね返す”層。
「外へ逃がさず、内にも閉じこめず……鏡のような境界だ。」
マリの声は静かだが、どこか祈るようでもあった。
少女の髪が、フィールドからの微風にふわりと揺れる。
青白い光が反射し、彼女の肌に薄く走る静電のような筋が煌めいた。
「反射波、戻ってくるの!」
「干渉率、低下中……同期率、上昇を確認!」
「……いいぞ。このままいけば――」
マリの指先が止まる。
モニターの波形が、静かに整列しはじめた。
ゆるやかに、だが確実に――二つの波が、重なろうとしていた。
「……人格層の波動が、Ghostパルスと位相一致を始めてる。」
俺の言葉に、マリが無言で頷く。
その目には、焦りではなく確信があった。
モニターの数値が跳ね上がる。
――99.998……99.999……
少女の胸が、ゆっくりと上下した。
まるで“息”を取り戻したかのように。
「呼吸反応あり……脳電位、上昇中……!」
「フェーズ・ファイブ――魂層との再結合を開始!」
マリがキーを強く叩く。
途端に、光が弾けた。
フィールドの表面で反射していたGhostパルスが、今度は内側へと還流する。
光は少女の全身を包み、フィールド内で渦を巻いた。
虹色の粒子が宙を漂い、彼女の指先、胸元、そして額のあたりへと集まっていく。
「……マリお姉ちゃん、波の密度が上がってるの!」
「うむ……臨界点を超えたか。」
マリの声がかすかに震える。
彼女の白衣が、磁場の風で揺れた。
「反射波、再帰率一〇〇パーセント――完全共鳴状態!」
「やった……!」
マリが息を呑む。
同時に、少女の瞳が一瞬だけ開いた。
だがそこには“視線”がなかった。
光だけが、深い海の底のように静かに揺れていた。
「……成功、なのか?」
「まだだ。最終同期を取るぞ!」
マリが端末に指を走らせる。
だが、その瞬間――
モニターが一瞬ノイズを吐いた。
「……あれ?」
ナノが眉をひそめる。
「反射波、ひとつだけ逆位相になってるの!」
「なに!?」
マリが顔を上げた瞬間、
少女の周囲を包んでいた光が――黒へと変わった。
キィィィィン――!
耳鳴りのような高音が研究室全体を貫く。
空気が震え、光が粒子のように崩れていく。
「干渉波発生!Ghostパルスが自己反転してる!」
「出力絞れ!反射波を止めろ!」
「無理なの!自動補正が追いつかないの!」
マリの目に焦りが浮かぶ。
だが少女の身体は穏やかに浮かび上がり、
その口元が――わずかに動いた。
――…た……だ……い……………。
かすかな声。
それは風のように微かで、確かに“彼女”の声だった。
光が再び青へと戻り、ノイズが静まっていく。
モニターには“同期率100.000%”の文字。
ケーブルのランプがすべて安定した。
マリは固まったまま、息を呑んでいた。
「戻ったのか……?」
ベッドの上の少女が、ゆっくりと瞼を開けた。
その瞳の奥で、かすかな虹色が揺れていた。
ナノが小さくつぶやく。
「……おかえり、なの。」
マリはゆっくりと笑った。
それは、狂気ではなく――安堵と涙が混じった、人間らしい笑みだった。
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