第28話 紅葉舞う

「あ……」

「主様っ!」

「おはよう、アテナ」


 ゆっくり目を開けると、アテナが俺の顔をのぞき込んできた。ここは……村長の家か。窓からはオレンジ色の夕焼けが差し込んで来ている。今は夕方――俺たちが『霧の鹿角』を倒した時は、まだ朝だったはず。


 もしや、俺はとんでもない時間寝ていたのか?

 ふと腕に重みを感じて視線を動かすと、俺の左手を握ったままスカディがベッドに突っ伏していた。


「主様、大丈夫ですか? 随分とうなされていましたが……」

「そうだな、何と言えば良いのか。かなしい夢を見ていたんだ」

「哀しい夢……『嵐の孤狼』の時と同じということですか?」


 頷くと、アテナの顔がくもる。

 以前、『嵐の孤狼』の記憶を夢として見たと伝えると、アテナは難色を示した。

 名付きの魔獣の衝動をのぞき見ることで、俺に何か悪い影響があるのではないかと心配している。


「とはいえ、勝手に流れ込んでくるからなぁ」

「それはそうですが……主様、体に違和感は――」

「お、やっと起きたぁ」


 アテナが話している中、のんびりとした口調が部屋に響く。

 左側へ視線を向けるとベッドに伏せていたスカディが、むくりと上体を起こしていた。スカディはムッとした表情を浮かべたアテナに構うことなく、俺の胸元へ顔を寄せて言う。


「ルシェ様、私、頑張ったから撫でて欲しいなぁ〜?」

「お、おぉ……」


 そう言って頭を差し出してくるスカディは、真っ白な服装も相まってグレート・ピレニーズのような大型犬に見えてしまう。

 俺がスカディの頭をで始めると、嬉しそうにおでこをこすり付けてくる。目の前の真っ白な美少女が、名付きの魔獣を討伐したなど想像できないだろう。


「スカディ、戦ってくれてありがと。お陰で、この村を守ることができた」

「えへん。もっとめてー」


 俺の胸元に抱きつくように倒れ込んできたこの少女――スカディは恐らく、アテナと同じく名のある女神のはずだ。

 確か、北欧神話に登場する女神で山や狩猟の女神としてあがめられていた……と思う。


「ねー、ルシェ様」


 俺の手が止まったからか、空を思わせる碧眼がジッと俺を見下ろしてくる。

 こうして見ていると甘えん坊な美少女にしか見えない。とてもではないが、猟犬には見えないな。


「どうした」

「あのね、アテナも褒めてあげて?」

「アテナにはさっき――」


 スカディが突然名前を出したからか、アテナは動揺したように目を見開いた。

 アテナにはさっきお礼を言った、と言おうとした俺の話をさえぎってスカディは言う。


「アテナもね、私みたいに撫でて欲しいと思ってるよ?」

「んなっ!?」

「スカディはこう言っているが……そ、そうなのか?」


 スカディに指摘されてアテナの方を見ると、そこには頬がじわじわと赤く染まって視線はせわしなく宙を彷徨う――明らかに挙動不審な俺の相棒アテナの姿があった。


「――――っ!?」


 先ほどからアテナは一言も言葉を発していないが、スカディの言ったことが正しいか間違っているかは一目瞭然いちもくりょうぜんだ。スカディに視線を送ると、ふにゃりと笑みを浮かべてベッドから降りた。


「アテナ、おいで」

「うぅっ……」


 俺が腕を広げてアテナを見つめると、アテナはグッと下唇を噛み締めてブンブンと首を振る。いつも凛としているアテナが葛藤かっとうしている場面は、見たことがなかった。


「ほら、アテナっ」

「わあっ、スカディさん!?」


 唐突に魔力が持っていかれたと思ったら、目の前にいてもわからないほど気配を殺したスカディがアテナの背後にそろりそろりと移動していたではないか。アテナは自問自答に気を取られていて、スカディの接近に気付かない。


「どーん」

「きゃぁっ!?」

「ぐえっ」


 嫌な予感がした次の瞬間、スカディが「むむむ」とうなるアテナの背中を押した。

 不意をつかれたアテナが思いっきり倒れ込んでくる。俺も俺でうまく受け止めることができず、お腹にアテナの肘が入って変な声が出しまう。


「だ、大丈夫ですか!? すぐに退きますから!」

「アテナが嫌じゃないなら、このままで良い」

「それはそにょ……嫌じゃ、ない、です」


 痛みに耐えながら抱きしめると、ビクリと肩が跳ねたがそのままでいるとおずおずとアテナの両手が俺の背中へと回された。俺は壊れ物に触るように、アテナの金髪をそっとでる。


「アテナ、よく『霧の鹿角』から村を守ってくれた」

「あっ…………はい、ありがとうございます」


 すると、アテナの体から徐々に力が抜けていく。

 アテナを召喚して以来、俺たちはいつも隣にいたけどこうして抱き合ったことはなかった。


「アテナ、アテナ……?」

「すぅ……すぅ……」


 やけに静かだなと思っていたら、胸元から規則正しい寝息が聞こえてきた。

 うーむ、これでは身動きが取れない。


(スカディ、どうしたら良いと思う?)

(うーん、アテナはずっと気を張っていたみたいだし、しばらくそのまま寝かせてあげたら?)


 困って念話を飛ばすと、俺とアテナが抱き合っているのをニマニマと眺めていたスカディからは、何とも反応に困る返事が返ってきた。

 息がしづらいが、俺もまだ体が重たくて動きたくない。仕方がないので、俺も目を閉じてアテナが目覚めるまで大人しくしていようと思う。


 少しだけウトウトしていただろうか。窓から射す日光は、オレンジ色のままだ。

 相変わらず体は重たいまま……いや、休んで魔力も回復したはずなのに、眠る前よりも体が重たいとはこれ一体。

 うっすら目を開けると、その理由が明らかになった。


「すぅ……すぅ……」

「すぴー、すぴー」


 俺の体の上に、すぴすぴと鼻を鳴らしながら気持ちよさそうに眠るもう一人分スカディが追加されていたのだ。

 どうせ寝るなら、村長がわざわざ用意してくれたベッドで寝れば良いのに。


 まあ、たまにはこういうのも良い、か?

 ゆったりとした時間が流れていたところへ、扉が開く音とともに一人分の足音が近付いてくる。

 足音は俺の部屋の前で立ち止まったかと思った次の瞬間、扉が勢いよく開かれた。


「ルシエル!! 大丈夫!?」


 聞こえたのは、もう何週間も聞いていなかったような幼馴染の声。そこに立っていたのは真紅のマントをまとったリゼットだ。


「リゼ……!」

「ルシエル、良かっ――――た?」


 心配そうな表情を浮かべて、部屋の中へ入って来たリゼットの足がピタリと止まる。リゼットの視線を追うと、俺の胸元辺りを凝視していた。ま、まずい……何が拙いのかは分からないが俺は今、とても拙い状況に居ることだけは確かだ。


「二人とも起きて、起きてくれ」

「ん、んぅ……」


 俺に縋り付くようにして眠る二人に声を掛けると、幸いにもアテナはすぐに目を覚ましてくれた。スカディは眠りが深いようで、肩を揺さぶっても起きる様子はない。


「わ、私ったら申し訳ありません……主様に撫でていただいたら、何故か心が安らいで気付いたら寝てしまっていました。す、すぐ退きますね?」


 恥ずかしそうに頬を染めながら体を起こしたアテナは、未だに眠ったままのスカディの体を揺さぶる。

 一気に騒がしくなった部屋でただ一人、顔をうつむかせて不気味な笑い声をあげる者ありけり。


「ふ、ふふふ……」

「り、リゼットさん!? スカディ、起きてください。スカディ!」


 そこで初めてリゼットの存在に気付いたアテナが、ギョッとした表情でスカディを俺から引きはがす。ようやく起き上がれる――と随分と軽く感じる体を起こした次の瞬間、俺が見たのは鬼の形相ぎょうそうで平手を振りかぶるリゼットの姿だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る