第11話 調査②
市立図書館の奥にある郷土資料フロアは、普段の利用者もまばらで静まり返っていた。
学習室とは違う、古書独特の紙とインクの匂いが漂う。職員に利用申請を済ませ、案内されたのは「古地図閲覧室」と銘打たれた小さな一室だった。
壁際にはキャビネットが並び、引き出しには県ごと、年代ごとに仕分けられた地図が収められている。閲覧机には大型のビューワーが据え付けられ、古地図を丁寧に広げられるようになっていた。
端末で「白埜」を検索しても、ヒットはゼロ。代わりに「水没」「廃村」といった関連ワードでひっかかる古地図や地誌を、根気よくページを繰って探していった。
昭和三十年代の地形図、関東と東北の間の山脈にへばりつくように「白埜」の小さな文字が確認できた。だが、その十年後の地図からは跡形もなく消えている。
代わりに青々と塗られた水面──「桜谷ダム湖」と印字があった。
「……やっぱり、水没か」
古地図を指でなぞりながら、真一はつぶやいた。
そこには確かに集落があったはずなのに、今は湖の底だ。やはり白埜は志良野様とは関係ないのではないか…頭の片隅でそんなことを考える。
「とりあえず行ってみるか…何かわかるかもしれない。」
明日の仕事は有給休暇を申請すればいい。
幸い、撮影や取材するようなイベント事もしばらくなかったはずだ。
翌日、真一は現地へ向かった。
車で約二時間、東北との県境を走る山脈に聳え立つ桜谷ダムまでやって来た。灰色のコンクリートで固められた巨大な堰堤、せり出すように立つ管理棟。湖面は静まり返り、わずかに風に揺れて小さな波紋をつくっている。
堰堤の脇には「桜谷ダム竣工記念碑」と刻まれた石碑が立っていた。隣には「殉職者慰霊碑」があり、地元建設業者や町の名が並ぶ。だが「白埜」の二文字は、どこにも見つからなかった。
真一は湖面を覗き込む。そこにはただ鈍い色の水が広がるばかりだった。
「……ここじゃ、何も残ってないか」
ため息をつき、背を向けた。
帰り道、峠を下りたところに古びた道の駅があった。
外観は木造風の造りだが、年季が入っていて板壁の色はすっかり褪せている。自販機の横に設けられた喫煙所で、真一は缶コーヒーを片手にタバコに火をつけた。
「……おや、若いのにこんなとこに珍しいなあ」
声をかけてきたのは、腰の曲がった地元の老人だった。野良着にキャップ、深い皺の顔に柔らかな笑みを浮かべている。手には道の駅で買ったであろう野菜と惣菜の入った袋を持っていた。
「どっから来たんだ?」
「〇〇市からです。ちょっと調べものをしてて……」
「ほう、調べもの?」
ためらいながらも、真一は口にした。
「白埜集落って、ご存知ですか?」
老人は一瞬目を細めたが、すぐに小さく笑った。
「白埜か。あそこはもうねえな。」
「やっぱり……」
「みんな、奥桜谷の方に移ったんだよ。ダムに沈んじまったからな」
「奥桜谷……」
思わず真一は復唱した。メモ帳に素早く書きとめる。
「桜谷ってことはダムの?」
「そうだ。あのあたりからさらに深いとこに移転したんだ。」
老人は煙草をくゆらせながら、続けた。
「まあ、移ったっつっても、ただの引っ越しじゃねえ。あそこの連中は、山にしがみつくようにして生きてたからな。山岳信仰っつーのか?土地は沈んじまったけど、信心だけは奥桜谷に持ってった。そういうもんだ。」
その言葉に、真一の背筋がわずかに冷えた。
さっきまでただの水面に見えたダム湖の下に、確かに暮らしと信仰があった。その断片が、まだどこかに残っている。
「奥桜谷……」
真一は小さくつぶやいた。新しい手掛かりの名が、じわりと胸に広がっていった。
「お兄ちゃん、一つ忠告しとくぞ。あそこに行くなら気をつけた方がいい。俺は昔、猟師をやってて何度か足を踏み入れたが……どうもな、あの辺は山の気配が違うんだ。普通の山じゃねえ」
老人は煙を吐き出し、視線を遠くの稜線に投げた。
「それに……移った連中も、ありゃあ…」
そこで口をつぐみ、首を横に振った。
「いや、やめとこう。ともかく行くなら気をつけな。」
そう言って老人は吸っていたタバコを消し、去って行った。
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