『サムライ・パラドクス』
これは小説なのか?
まず初めに頭に浮かんだのは、そんな疑問だった。
この物語は2221年のネオサイタマから始まる。
スーパーコンピュータによって蘇った陰陽師・安倍晴明と、即身仏から作られたクローン忍者・服部半蔵。
その超常戦争が半世紀続いた末に、伝説の騎士王アーサーが暗殺剣エクスカリバーを手に現代を斬り伏せる――ここまでは「よくある作者の暴走」だと思う読者もいるだろう。
だが著者はそこからさらに時代を遡り、戦国の剣豪・宮本武蔵を投入する。
本書が真に異常なのは、アーサーと武蔵が実は遠い祖先であったと言う「親殺しのパラドックス」対決をクライマックスにしながら、そこで物語を閉じない点にある。
むしろそこからが“開幕”だ。
時空のほころびから雪崩れ込むのは、ギリシャ神話の神々、北欧の戦士、チンギス・ハンにナポレオン、さらにはコズミック・ホラーの神々まで――。
歴史と神話とSFの境界は完全に崩壊し、全人類史を巻き込むカオスの饗宴が始まる。
語り口は真剣でありながら徹底して装飾過剰。
むしろシリアスさが狂気的な笑いを誘う。
ニンジャスレイヤー的文体を彷彿とさせながら、そこにグラント・モリソンのようなメタフィクション性と、型破りな歴史観が融合しているのだ。
読者は気づけば「作者は本気なのか冗談なのか」を問うことすら忘れ、ただページを繰る手を止められなくなる。
終盤の「物語そのものが戦場化する」展開は、ライトノベルとポストモダン文学を無理矢理に接続した離れ業である。
これは単なる暴走の末のメタフィクションか、新たなる文学の幕開けか。
結論から言えば、『サムライ・パラドクス』は傑作か駄作かという二元論をすら拒絶する。
つまらなかった、意味がわからない。
そんな凝り固まった文学の枠組みから逃れられない読者には「いつからこれが小説だと誤解していた?」と言葉をかけたい。
わたしは、こんな狂気を真正面から描き切った著者の胆力に、拍手喝采を送りたいのだ。
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