三文役者

保坂 花

第1話 違和感

 臭い。ツンと鼻をつくそれは自然と身体が拒絶しているのが分かる。

 すすり泣きが聞こえる。

 「ごめんなさい」

 何度目か分からない母の謝罪の声。

 数分前、私の家の駐車場で野良猫が死んだ。

 父が運転していた。車を発進させる前、父は母に「車の下にクロが居たから見てくれ」と言ったらしい。クロは私の家によく来ていた黒猫だった。いつも唾液と鼻水を垂らしていて、毛並みも悪い。

 きっと病気で残りの寿命も短いだろう、もう家の駐車場には来てほしくないなと思っていた。

 私が今驚いているのは、クロが死んだことに対してではない。父が頭を抱えて呟いた「可哀想なことをしてしまった」という一言に驚いているのだ。

 私の父は決して無情な人間ではないが、情に厚い人でもない。私の周りの人間は誰も口には出さないが、父は統合失調症なのではないかと私は思っている。

 私が中学生だった頃、帰宅すると空気はどこまでも澱んでいた。母は涙を流し、父は怒号を上げ私は部屋で一人静かになるのを待った。

 それから父はよく「お前たちはみんな俺を馬鹿にしている」だの「こいつは俺に隠れてあいつと会っている」だの言って暴れる愚行を繰り返した。

 今まで幾度となく理由もなく家族を傷つけてきた父が、病気の野良猫を轢いたことでここまで心に傷を負っていることに私は違和感を感じているのだ。

 「運転していたら轢いた感触が分かるもの。本当にごめんなさい」

 「もういいよ」

 母と父の会話を横に私は夕飯のカレーライスを口に運ぶ。

 "平然と食事をしている私は父と同じ愚者だろうか"そんな考えが脳裏を過ぎり少しだけ悲しい表情を作った。

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