第7話 「何も変わっていない」
その日の夜、やけに眠れなくて外を散歩していた。
昼間での出来事を考えると変な不安に襲われてしまう。魔王、今もこうしてあいつの名前を思い出そうとしても出てこない。思い出せるのはやつがしてきたこと、やつの顔、そしてその最後。肝心の名前が出てこないせいで、そして思い出せない理由を思うと自身が過ごしたあの2年はなんだったのかわからなくなってしまう。
ムスリカの頼みについてはその場で断った。あの場において自分達が置かれている状況を話したら承諾してもらえると考えたのだろうが、俺からしたら都合が良すぎる。
俺が魔族たちがしてきた悪行、無意味に人々の命を奪って、自分達の都合で戦争を始めて、負けそうになって逃がされた自分たちは無関係だと言うのか。
ふざけるな。そんな簡単に許せるほど俺の周りで、俺の知らないところで流れた血も涙も知らないくせに。いつだって隣で死んでいった仲間や、救えなかった人たちの顔を思い出せる。そうだ、そんな簡単に許せるわけがない。
けれど、それと同じくらい。部屋から出ていくムスリカの顔も。
川沿いに歩いて見れば街灯も少なく、空が澄んでいて星が良く見えた。どこか変わっていたこの町もこんなところは相変わらずだった。
焦燥感から逃げるように歩を進める。そんな時、ポケットから音が鳴る。音は携帯、スマホと言う機器から出ていた。
まだ操作は慣れていないし、高校生の頃には携帯を持たせてもらっていなかったからこういう機器は使いづらくてしょうがない。
「倉屋か…」
フリマに行く際にメッセージをやりとりするソフトの連絡コードを交換していたが、こうして使うのは初めてだった。
メッセージは今通話は大丈夫かという事だった。電話ならとりあえずかければ良いのにと思いつつ、画面の触り方も覚束ない中、なんとか文字を入力して通話に出る。
「もしもし」
「ごめんねこんな時間に」
「いや…むしろ助かる」
「?、なら良いけど」
「それで?どうして通話なんか」
「うん。葵君、行方不明だった間の記憶がないって言ってたでしょ。だから戻ってきてからちゃんと過ごせてるのかなって」
そこから少し間を置いて。
「あと、また突然いなくならないようにせめて定期的に連絡しておこうかなって」
なんだそれ、それなら定期的じゃなくて常に通話を着けてた方が良いんじゃないか。
「ねぇ、この間のフリマ。なにかあったの?」
あの会場において、俺と倉屋は別行動していた。倉屋は仕事で運営会場で関係者と話し合いがあり仕方ないことだったが。
「ムスリカさんと一緒にいて…ムスリカさんなんか落ち込んでたけど」
「さぁ?俺が戻った時にはもうそんな感じだったけど?」
「そうなんだ…」
「まぁ俺は初対面だし、よく知らないからな。俺からは何も言う事なんてない」
「そっか…そうだよね」
夏の夜に吹く風は、もっと涼しかった記憶があるのだが。今はただ次の熱を運んでくるだけで風情も何も感じない。
「ねぇ葵君」
「なんだ」
「もしね、君が気になったらで良いんだけど。ムスリカさんが何か困ってるなら、助けてあげて欲しいの」
「…どうして?」
「葵君は、中学生、ううん。小学生の頃からそうだったから、目の前で誰かが困ってたら手を差し伸べてくれる。泣いてる人に声をかけてくれるような人だから」
昔の話だ。もし向こうの世界に行くことがなかったら、そのままの自分でいられたのだろうが。今の俺は誰彼構わず助ける事なんて、それが魔族のやつらなら余計に。
「でも、今は葵君の身の周りの方が大変だもんね。おじさんやおばさんに妹の楓ちゃんも見つけないといけないんだもんね」
「そうだな、今は自分のことで精一杯だ」
「だからね」
川の方から風を感じた。この暑い気温だと言うのに、それは涼を感じさせた。
「私も…頑張って葵君を助ける。余計なお世話かもしれないけど、葵君がそうしてくれたように私も」
電話越しに倉屋はどんな表情をしているのか想像した。少し照れながらもまっすぐなその言葉に俺の足は止まる。
自分の事ばっかりで手も回らない、それなのに、どうしようもないのに、目の前で消えていく仲間の為に。
今の俺はどうだ。憎い、許せない、この怒りをぶつけられるのならとことんぶつけてやりたい。魔族なんて。
「自分の事ばっかりだったかな」
「え?」
「いや、こっちの話だ」
ずっと何かひっかかっていた物が少しだけ取れた気がした。
「ありがとうな。倉屋」
返ってきたのは謙遜、そこから倉屋が社会人として今どんな大変な目にあっているのかという悲しい現実の話だった。
翌日、今日はマスターが休みで阿久井さんが店を切り盛りしていた。
いや、正直マスター抜きでもこのお店を切り盛りしているのは間違いなく阿久井さんなんだが。そのくらいあの人の仕事量とその捌きは常軌を逸脱している。
ゼーラもこの店の看板娘らしく、彼女目当てで来る男が多い。そんなやつらには阿久井さんの鋭い眼光がダーツのように投げられる。一睨みで並の男は委縮する。
そんなカフェのキッチンで一人食器を洗う俺のなんて花の無い事。無論贅沢は言わないし、阿久井さんからも皿洗いの大切さをまた熱弁されるのも御免だ。
昼時も少し過ぎて店内も空いてきた、それと同時にゼーラの手も空く。
ゼーラはまだ俺の正体を知らない。ムスリカも話してはいないようだが、ゼーラ自身も俺とムスリカとの間に何らかの関係性を感じているのも事実だろう。
俺は深呼吸をして腹をくくる。
「ゼーラ」
「?、はいなんですか?」
「ムスリカに、会わせてくれ」
「あームスリカさんに…え?」
「え?」
「えええええええええええええええええええええええやっぱりそんな感じなんですか?!」
すごい勘違いをされている気がする。ちゃんと話した方が良いな。
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