第12話 この気持ちは何なのでしょう

「菖蒲!大変なの!」


 地獄の夕飯が終わり、そろそろ霞様と椿様も帰ってくれるだろうと期待しながら、台所で洗い物を済ませる私に、切羽詰まった声が呼び掛ける。時はもう既に夜の8時は回っているのではないだろうか。どうやらそう簡単には終わらないことを突き付けられたような気がして、内心ゲンナリしつつも手を止めて振り返った。慌てた様子でこちらに駆け寄る霞様と椿様は、半ば強引に洗い物で濡れた私の手を掴んだ。


「こっちに来て!」

「変な物音がするのよ!もしかしたら泥棒かもしれないわ!」


 果たしてそれは、本当なのかどうか。とても信じられない。というか、多分、確実に、嘘だ。けど、証拠も無くここで「どうせ嘘なのでしょう」と言っても、無理矢理連れて行かれるだけ。仕方無く濡れた手を拭くと、私は霞様たちに案内されるがまま、台所を抜け、廊下を歩き、みんなの寝室も通り越した奥の方へと歩いて行った。


 辿り着いたのは物置き部屋で、霞様たちが言うには、普段私たちも殆ど近付かないここから不審な音が聞こえたとか何とか。


「怖いから見て頂戴」

「泥棒だったら大変だわ」


 ぽん、と背中を押されて、私は物置き部屋へと一歩踏み出す。その瞬間、背後の扉は勢い良く閉まり、辺りはあっという間に暗闇に包まれた。2人に閉じ込められた事を理解して慌てて戸に手をかけるものの、何か棒のようなもので開かないようにされていて、押しても引いても叩いてもビクともしない。


「霞様、椿様………!何を………!」

「まんまと引っかかって、アンタって本当に間抜けなのね、菖蒲」

「泥棒だなんて嘘に決まってるでしょう?巫女様の家に忍び込んだら、祟られてしまうもの。誰も寄り付かないわ」


 クスクスと嘲笑う高い声が、1枚の扉を隔てた向こうから聞こえてくる。それが悲しくて悔しくて、ギュッと唇を噛み締めた。どうして私がこんな目に遭わなきゃならないのか。何度も言うが、私は黒馬様たちと特別な関係では無いし、お互い恋愛感情も無い。彼らが好きならば、私に嫌がらせなんかせずとも勝手にやってくれればいいのだ。けど、霞様も椿様も、何かと私に固執する。きっとただ私に嫌がらせをしたいだけなのだろう。


「私たち、もう少し黒馬様たちとお話ししたいの」

「でもさっきからアンタに邪魔されてばかりだから、しばらくここで大人しくしてて頂戴」

「そんな…………」


 そうして無慈悲にも、2人の足音はどんどん遠ざかっていき、やがて静寂に包まれた。段々と目が慣れてくると、申し訳程度に備え付けられた小窓から差し込む月の光で、ぼんやりと周りが見えるようになってくる。乱雑に置かれた、沢山の物が積まれただけの、小さな小さな物置き部屋。ここで私は、いつ出して貰えるのか分からないまま、ボーッと誰かが来るのを待つしか無い。


(…………静かだな…………)


 どうする事もできない状況にすっかり脱力し、ズルズルと壁に背を付けて座り込む。膝を抱え込んで、そこに顔を埋めて物思いに耽る。私は死ぬまでずっと、このまま町の人たちの悪意に虐げられ続ける人生なのだろうか。こんな空間に夜1人で取り残されると、普段は考えないようにしている悪い思考が、生き生きと頭に浮かんでくる。その思考は簡単に私を負へと引き摺り込み、ズタズタに心を引き裂いてくるのだった。


「ずっと独りだなぁ………」


 私のお母様も、同じ気持ちで日々を過ごしていたのだろうか。町の人たちに疎まれながらも巫女としての役目を全うし、やがて儀式によって私を身籠った、私の母。和尚様の話では、私を産んですぐ、私を抱く事もなく亡くなったという話だが、叶う事ならお母様と話をしてみたかったし、せめて顔を見てみたかった。そして今のこの状況を、相談したかった。お母様ならどうしますか、と。あと世継ぎの儀式に関しても、お母様は好きでもない人とどうして子を作れたのですか、と聞いてみたかった。


「………巫女なんて、なりたくなかった」


 巫女じゃなければ、もしかしたらあの霞様や椿様と仲良く友達でいる未来があったかもしれない。町の人たちに睨まれることもなく、裕福では無いが細々と平凡な暮らしをしていたかもしれない。そしてその中で、運命の人と出会い、恋をし、結婚をして、子を産んでいたかもしれない。そんな平凡な人生を、何度夢描いただろう。


(………でも………)


 でも、もし。もし、私が巫女では無かったら。黒馬様たちと出会うことは無かったのだろうか。一般人だったら、軍人の彼らとなんてきっと一生関わらなかっただろう。そう考えた時、自分でもなんて表せばいいのか分からない、不思議な感覚を覚えた。別に彼らの事なんて、儀式の相手としか認識していない筈なのに、この気持ちは何なのだろう。


 私は既にこの時、彼らに対して何かを感じていたのだと思う。もしかしたら、私のこの地獄のような人生を………、運命を、切り開いてくれるかもしれない。


 寂しさと、孤独と、暗闇と、悲しさと切なさと期待と………。もう感情がぐちゃぐちゃだ。はああぁ、とこれでもかという位大きな溜息を付いて、項垂れる。誰か………、誰か私をここから出して。私を見つけて。私を


「たすけて…………」


 消え入りそうな自分の声に、自分がハッと顔を上げた。思ったよりも素直に出てきた助けてという単語に、私自身が驚くなんて。誰に届くでもないこの言葉を、普段からもっと素直に言えたなら。誰かに救いの手を求められたなら。私の人生は、もう少しだけマシになっただろうか。………なんて。今ここで小さく助けてなんて言ったところで、誰も助けになんか…………。





 ガラリ、と戸を開ける音と共に、突然部屋に光が舞い込む。ハッとしてそちらに視線を向けると、驚いた様に私を見下ろす白鹿様が、灯りを手にして立っていた。


「何してんの菖蒲ちゃん」


 ポカンとした様子で状況を飲み込めていない白鹿様と同様に、私も何故ここに白鹿様がやってきたのかが分からず、目を丸くしたまま固まっていた。こんな奥にある小さな物置部屋に、何故白鹿様がやって来たのか。そして、この部屋の戸を開けようと思ってくれたのか。普段だったら絶対に来ないし用もない部屋だ。きっとしばらくは見つからないだろうし、霞様たちに開けてもらうまで我慢しなければならない事を覚悟していたのに。


「は………白鹿様………なんで………」

「菖蒲ちゃんに用があったんだけど、姿が見当たらなかったから探してたんだよ」

「探す………?私を………?」

「うん。こんな所にいたんだね」


 フワリと笑った白鹿様の微笑みに、やっと私は見つけて貰えた安心感を噛み締め、ブワリと色々な感情が込み上げてくるのを感じていた。………私を、探してくれたんだ。たったそれだけのことが、今の私には心に沁みて泣きそうだ。


「で、菖蒲ちゃんこそ、どうしてこんな所に………、っ!?」


 白鹿様が言葉を飲み込んだのは、私が勢い良く彼の体に飛び付いたからだった。居ても立っても居られず、感情のままに抱き着いてしまったのだが、突然のことにも関わらず、白鹿様はしっかりと私を受け止めて下さった。小刻みに震える私の肩を見て何かを察した白鹿様は、辺りに人がいないかを確認すると、私諸共物置部屋へ入り、再び扉を閉める。白鹿様が灯りを持ってくれているお陰で、閉め切っても先程のような真っ暗闇にはならず、お互いの顔をぼんやりと認識する事ができた。


「菖蒲ちゃん、大丈夫。俺以外誰もいないから」

「白鹿様…………」

「何があってこんな所に?正直に話して」


 まるで子供をあやすかのような、柔らかい声音。鼻の奥がツンとして、慌てて奥歯を噛み締めた。私はぽつぽつと、今まであったことを全て話し始める。


「………本当は、お湯を溢したのは私じゃないんです」

「うん」

「料理を作ったのも、私です」

「やっぱり」

「ここにいたのは………、騙されて、閉じ込められたからです………」

「………霞ちゃんと椿ちゃんに?」

「……………」


 まるで告げ口をするみたいで、素直に頷く事が出来ず躊躇いを見せていたが、でもそれが真実だ。全て、霞様と椿様にされた事。腕の火傷も、抓られた痛みも、孤独と闇を味わされたのも、全部。


 黙り込む私を肯定と捉え、やっぱりかと言うように溜息を付いた白鹿様は、すっかり意気消沈している私の頭を慰めるように優しくポンポンと叩いた。多分私が言わずとも、きっと白鹿様の事だからとっくに全て察していたと思う。それでも、私から行動を起こさない限り静観を決め込んでいたのは、私が殻を破ろうとする手助けをする為だったのではないだろうか。俯く私とは対照的に、白鹿様はどこか嬉しそうな、満足げな微笑みを携えていた。


「………やっと言ってくれた」

「え………?」

「人形みたいで可愛げが無いなって、最初見た時から思ってたからさ。安心したよ、ちゃんと感情があるんだって」

「それは…………」

「気持ちを上手く言えなくて、我慢してるだけだったんだね。心を失って、何もかも投げやりになってる訳じゃなかったんだ」


 どうして、白鹿様が嬉しそうなんだろう。それを理解するには、私にはまだ経験のない事だらけで難しい。和尚様以外でまともに関わったのは白鹿様たちが初めてなのだ。


「巫女様を根拠も無く差別するこの町の人たちも嫌いだけど、全てを諦めて何もしようとしない巫女様も、嫌いだったから」

「白鹿様………」

「そうじゃないなら、よかった」


 どこか遠い方を見てそう呟く彼の言葉の裏には、どんな意味が含まれているのだろう。ただ言葉の意味そのままを受け取るだけでは足りない何かが、そこに隠されているような気がする。きっと白鹿様にも複雑な過去や事情があるのかもしれない、とそこで私は初めて、ちょっとだけ白鹿様という人間に触れたような気がした。


 やっぱり私たちは、まだまだお互いの事を知らない。


「さて。とりあえず菖蒲ちゃんはどうしたい?霞ちゃんと椿ちゃんに仕返しでもしてスッキリする?」

「いえ………。ただ帰って頂ければ大丈夫です。もう何も揉め事を起こしたくありません」

「平和主義だねー、菖蒲ちゃんは。僕だったら絶対に倍返しにするけど」

「………白鹿様って、とても優しそうな雰囲気なのに、実はとても怖い人ですね」

「そう?」


 悪戯をする子供のような笑みを浮かべる彼に、思わず小さく笑みが漏れてしまった。そういえば黒馬様も、白鹿様のことを「アイツは優しくない」とか何とか言ってたっけ。


 私のその顔を見て、白鹿様はまた一瞬だけ驚いた様な顔をする。しかし、彼もまたつられる様に微笑みを溢した。私の表情の変化がそんなにも珍しいのだろうか。


「なら菖蒲ちゃん」

「はい?」

「少しだけ付き合って欲しいんだけど」

「…………?」


 首を傾げる私に、一方的に話を進めていく白鹿様。一体何を考えているのか、彼の悪巧み顔に一抹の不安を覚えながら、私はただ白鹿様に促されるまま、そこを後にしたのだった。

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