第10話 心は違うと叫んでいるのに
女性とは、誰しもが理想の王子様に憧れ、その王子様が自分を迎えに来る日を待ち侘びる、夢見る乙女である。それが年頃の女子ならば尚の事。娘たちは、早起きして施した化粧を褒め合い、お互いお洒落な西洋のワンピースに身を包み、気になる異性の噂をしてキャアキャアと黄色い悲鳴をあげる。そうやって、どの時代の女性たちも、青春を謳歌していくものなのだろう。
しかし、彼女だけは違った。白と赤を基調とした巫女服に身を包み、黒く艶がかった髪を靡かせる。白い肌と、桃色の唇に、濁りの無い綺麗な瞳。服は最早時代遅れの着物だし、町の娘たちのように流行りの化粧をしている訳でもない。それでも、彼女を知らない人ならば、きっとすれ違い様に目を奪われるだろう美しい女性。………小さな田舎町に住む、巫女の菖蒲である。これだけの美人だが、町の人たちは一切寄り付かない。その理由は、この町の人ならば誰もが分かっている。巫女様に近付けば祟られるという、それこそ御伽話のような噂のせいだ。また、国全体が第一次世界大戦後の貧しい生活を強いられている中で、儀式や行事の度に沢山の金や食べ物を献上しなければならない点においても、巫女は疎まれる原因となっていた。
しかし。そんな孤独な巫女様にも、つい先日4人の付き人が出来た。
胸元で揺れる勲章。カッチリと着こなされた軍服に、深く被られた軍帽。軍人である若い男が4人、世継ぎの儀式の為に巫女の元へと派遣されたのだ。それ以降は、巫女が外出する際には、まるで用心棒のように必ず彼らが同行している。
「何であんな女に軍人様が………」
それを面白く無いように見つめる、2つの影。揺れる茶色の髪はクルクルとウェーブを刻み、唇は赤く光っている。鮮やかな色が煌めく瞳は、恨みを滲ませながら菖蒲を見ている。いや、睨んでいるという方が正確か。
「あんな根暗な女には勿体無いわ」
「ええ。儀式なんて、そこらの貧乏臭い町の男を当てがえばいいのに。わざわざ軍人の殿方を呼び付けるだなんて」
「きっと菖蒲が我儘を言ったのではないかしら。良い男を用意しなさいと」
「まあ………。菖蒲の分際で生意気」
菖蒲を取り囲む男たちは、町の女性たちから見ても色男で、ましてや軍人。隣を連れ歩くのには鼻が伸びて伸びて仕方がない事だろう。彼女らにとってパートナーとなる男性は、流行りの服や化粧と同じように、自分のレベル、階級を示す、謂わばアクセサリーのような感覚であった。
………あの男たちが欲しい。あの巫女があんな良い男を連れているなんて許せない。私たちこそ、彼らのような男性に相応しい。
勝手に対抗心を燃やして、負けたような気分に陥る女2人は、悔しさに拳を握り締めた。………あの軍人様を、忌まわしき巫女から奪い取る。そんなくだらない動機によって、菖蒲と黒馬たちは、またしても厄介な出来事へと巻き込まれていくのである。
「あら、巫女様。奇遇ね」
突然声を掛けられて、私はゆっくりと振り返った。町中で、和尚様に頼まれたちょっとした買い出しをしている最中に、背後から2人の女性に名前を呼ばれたのである。いつもならみんな私には寄り付かないので、珍しい出来事であった。
「………
ハイカラな衣服に身を包み、お洒落な髪型と化粧でこちらを見つめるのは、私も知っている人物だった。霞様と、椿様。すっかり流行りに染まり切った彼女らは、ちょうど私と年齢が同じで、幼い頃からお互いに存在を認識していた。2人はよく共に遊んでいて仲が良かったが、私は当時から巫女として寺に篭り、和尚様との修行の日々に明け暮れていた為、そこまで関わりが深い訳ではない。それでもたまに町中で会ってちょっとでも遊ぼうものなら、彼女らの親がすっ飛んできて、『巫女と関わるな』と無理矢理引き剥がしていったものだ。
小さい頃は、巫女という立場のこととか、巫女が嫌われてるだとか、そういった事が理解出来ないままに遊んでいたが、いつしかお互い大きくなり、色んなことを理解するようになってくると、気付けば彼女らもまた、町の人たちと同じように私を軽蔑し、見下すような目を向けるようになっていった。だから最近は殆ど会話などしていなかったし、こうして声を掛けられたのは何年振りかという程である。
「へぇ、覚えてたのね、私たちのこと」
「何言ってるのよ椿。当たり前じゃない。私たち、友達なんだから」
ねぇ、菖蒲?と、滅多に呼ばれない本名と共に、私の手を握ってきた霞様。しかしその言葉が本心では無いことなど、その表情を見れば手に取るように分かる。私を敵視しているかのような、恐ろしい形相。その為、彼女たちが何故私に声を掛けてきたのか、更には友達などと思っても無いことを言ってきたのか、余計に理解が出来ない。
「ところで菖蒲。今日はあの軍人様たち、いらっしゃらないの?」
私の手を握る霞様の後ろで、キョロキョロと周囲を見回す椿様に、私は首を左右に振った。ただの軽い買い出しだったので、彼らには留守番をしているよう告げて、1人で出てきたのである。
「いえ………。今は私1人です」
「あらそう。残念ね」
その瞬間、ギリっと骨が軋む程強く手を握りしめられて、思わず表情を歪めた。そんな私の姿を楽しそうに見つめる霞様は、ぐっと顔を近付けてきて、私に囁く。悪魔のような笑みを浮かべて。
「ねぇ、菖蒲。今晩、貴女の家に遊びに行きたいのだけど」
「え………?」
「ほら、私たち友達なんだし。たまには夕食でも一緒にどう?」
「その時に紹介してよ、あの軍人様たちを」
何となく、2人の狙いを察した。多分、黒馬様たちが目的なのだろう。私を利用して、彼らに近付きたいだけなのだ。その為だけに、私に友達だなんて思ってもない事を言って………。顔に影が落ちる。まあ分かってはいた。どうせ碌でも無い魂胆が隠されているのだろうという事は。
「………分かりました。念の為和尚様に確認してみます。お2人は後程お寺の方へ」
「やった!物分かりがいいわね菖蒲」
「貴女と友達で良かったわ」
断った所で、この2人が簡単に引き下がる訳がないことは分かっている。下手すればより面倒な事になる可能性もあった。ここは2人の提案を飲み込んで、適当にもてなして早々に帰って貰うしかない。
私が彼女らの誘いに乗ると、2人は嬉しそうに顔を綻ばせた。私と共に夕食を食べられることを喜んでいるのではない。黒馬様たちに会える事に喜んでいる。そうして、浮き足立ちながら「また後で」と去っていく女2人の後ろ姿を見送り、私は小さく溜息を吐いた。
今日もまた一波乱起きそうな、嫌な予感が胸に広がっていた。
「こんばんは、初めまして。霞と申します」
「初めまして軍人様。椿と申します」
数時間後。私たちが普段顔を合わせて食事を取っている居間にて、今日は新しい顔が2つ並んでいた。霞様と椿様が、ピシッと背筋を伸ばして正座をしながら、綺麗に頭を下げて自己紹介をする。先程私の前で見せていたあの悪魔のような態度などまるで嘘かのように、にこりと汐らしい微笑みを携えている。
一方で、客人の女性2人を前に胡座をかく4人の男は、いまいち状況を理解できずに私に視線を寄越した。
「………どういう事だ」
「私の友人たちです。今晩一緒に夕食でもとお誘いを頂いて」
下手なことを言えば、霞様と椿様に何をされるか分からない。私は敢えて本当の関係性は告げず、そう適当に誤魔化した。しかし黒馬様たちだって馬鹿ではない。町の嫌われ者である私に「友達………?」と深い疑念を抱く。彼らは、訝しげな目を霞様と椿様に移すと、品定めするかのようにじっと見つめた。
(友達ねぇ…………)
何か言いたげな黒馬様の横では、明らかに嫌悪感を丸出しにした紫狐様が、絶対に言ってはならない爆弾発言を投下しようとして、
「何なんだよこのブs、」
「霞様、椿様。俺は青兎と申します」
青兎様が慌てて紫狐様の口を塞いだことにより、勃発しそうになった戦争は何とか防ぐ事ができた。とりあえずここでずっと怪しんでいても仕方ないという結論に至ったのか、続けるように黒馬様たちも簡単に挨拶をしていく。その挨拶を、頬をうっすらと赤くしながらキラキラとした目で眺める霞様と椿様は、すっかり恋する乙女であった。
「………黒馬だ」
「僕は白鹿。よろしく、霞ちゃん椿ちゃん」
「何でこんな奴らと仲良くなんて、」
「俺は紫狐だ、よろしくなって言ってます」
「言ってねぇ!!」
「「はいッ!宜しくお願いしますッ!」」
語尾にハートでも付いているんじゃないかと思うほどに甘ったるい声で、霞様と椿様は声を揃えた。2人はすっかり黒馬様たちの虜なのか、周りから桃色の空気が漂っている気がする。そんなにこの人たちが良いのか、と私も改めて黒馬様たちを順に見下ろすが………。
(………どこが良いのか私にはサッパリ分かりません)
「………おい、菖蒲。お前今すごく失礼な事を考えてないか」
「……………………」
黒馬様の鋭い指摘には、敢えて聞こえていないフリを突き通す事にした。
そうして挨拶も程々に、早速晩御飯の準備に取り掛かることになり、私は霞様と椿様と共に台所へと場所を移した。2人の計画としては、黒馬様たちに料理ができる女という一面を見せたいらしい。何か手伝おうかという青兎様の気遣いも断って、私たちは3人だけでここにやって来たというところだ。
「じゃ、菖蒲。私たちの指示通りに働きなさい」
そして、黒馬様たちの目が無くなった今。彼女たちが猫を被る理由が無くなる。化けの皮が剥がれ、さっき迄の2人はどこへ行ったのやら。いつもの太々しい態度に戻り、側にあった材料を私に投げ付けた。………どうやら私1人で晩御飯を作らなければならないようだ。
「美味しく作りなさいよ。それを私たちの手料理だって出すんだから」
「失敗したらどうなるか、分かってるんでしょうね」
こんな展開になる事は、何となく分かっていたので特に何も思うまい。霞様と椿様は、私の事を最初から最後まで利用するつもりしか無いのだ。当然、彼女たちが材料を用意してくる筈もないので、その辺りも私が自ら用意してあったものや、備蓄してあったものを使うしかない。何も言わず、命令通り準備し出した私を、2人は腕を組みながらただ見張っていた。
料理は、和尚様と2人暮らしの時から私が担当していたし、今も黒馬様たちと暮らす中で私が行うことが多いので、何も今日だけ特別ということはない。いつもの慣れた手つきで調理をこなす中、それを見ているだけだった霞様と椿様が、暇を持て余して何やらヒソヒソと耳打ちをしている。
「ただこうして見てるだけじゃ暇ね」
「せっかく黒馬様たちとお近付きになれたんだし………、何かもっと話したいわ」
そして霞様は、何かを閃いたのか、ニヤリと口角を釣り上げた。椿様に何かを耳打ちしたかと思えば、ずっと手伝う素振りなんて見せなかったのに、急に私の隣に立つ。霞様と椿様の前には、グツグツと煮えた鍋が湯気を立てている。味噌汁を作るためにと温めていた湯だ。
「………?お二人とも、一体」
私がそう声をかけるのと、ほぼ同時であった。霞様は鍋に手を掛けると、それをわざと床へと溢したのだ。床に撥ねたお湯が、私の腕にも少し掛かって思わず小さく声が漏れる。しかしそれ以上に、鍋が床に落ちたけたたましい音と、霞様と椿様の甲高い悲鳴が大きくて、私の痛みを堪える声など掻き消されてしまった。
「きゃああぁぁっ!」
当然、そんな大きな音と悲鳴が聞こえれば、バタバタと慌ただしい足音が居間から響いてくる。これこそが、彼女たちの狙いだった。
「大丈夫か!」
「一体何の騒ぎ?」
慌ててやってきた黒馬様、白鹿様、紫狐様、青兎様。その4人に咄嗟に抱き着く、霞様、椿様。ただ私だけが、何が起こったのか理解できずに、呆然と突っ立っていた。自分たちで溢した鍋に、何をそこまで驚いているんだと。頭が追い付かないままの私を、霞様と椿様は指差して言う。
「あ、菖蒲がお湯を溢して………!」
「手に掛かって火傷を…………!」
目に涙まで浮かべながら、心配げな黒馬様たちに手を差し出す2人を、私はただ黙って見ているしか出来なかった。………違う、私じゃない。本当はそう言いたくても、言葉が上手く出てこない。何だろう、この胸のざわつき。別に何をされたって、平気だった筈だ。黙って鍋を片付けて、ごめんなさいと謝れば………。私がただ我慢していれば、この場は丸く収まるはずなんだ。
けど…………。
(………私がやったんじゃない………)
珍しく浮かび上がってきたこの感情は、遠い昔に忘れかけていた、懐かしいものであった。私は、怒っているのだろうか。いや、悲しんでいるのだろうか。そしてこういう時は、どうするのが正解なんだろうか。
「………本当か、菖蒲」
黒馬様が、真っ直ぐこちらを見つめている。その目は決して、霞様たちの言葉を間に受けて、私を責め立てているような目では無い。ちゃんと私の口から、事実なのかそうでは無いのかを確認しようとしている。同時に、蛇のような鋭い目が、私を射抜く。霞様と椿様の、「分かっているよな?」という、無言の圧。
「…………………」
言おうか、どうしようか。少しの間、悩んだ。本当に悩んだ。そして悩んだ末に………。
「………ごめんなさい。私が、溢してしまって」
ただそう一言、絞り出すように小さく呟いた。黒馬様たちの胸の中で、ふ、と笑みを浮かべる霞様と椿様。彼女たちの悪魔の微笑みは、その角度からは決して黒馬様たちには見えないだろう。霞様たちの計算高い部分に、広がり出した胸のざわつきが余計騒がしくなる。嫌な黒い感情が心を支配しそうになるのを誤魔化すように、私はしゃがみ込んで鍋を拾った。ズキズキと痛むのは、お湯が掛かって火傷した私の腕なのか、それとも………。
「菖蒲」
擦り寄ってくる霞様と椿様を交わして、そう名を呼ぶ声に顔をあげた。私を呼び捨てにするのは黒馬様と紫狐様だけだったので、てっきりどちらかかと思いきや、そこに立っていたのは白鹿様だった。私を見下ろす顔は、いつもの柔らかな微笑みではない。私を見透かすような無表情で、私に目線を合わせるように屈んでくる。
「………ここ、火傷したの?」
「え………」
鍋を掴む私の腕を取って、お湯が掛かった部分に唇を寄せる。白鹿様の突然の大胆な行動に、私はまたしても思考が停止した。火傷したこと、いつ気付いたのとか、口付けを落とすその唇が柔らかいとか、みんながいるのに急に何をしているんだとか、様々な感情によって頭が混乱する中、白鹿様はぐっと私に顔を近付けて言った。
「………助けて欲しい時は、ちゃんと助けてって言わないと」
「…………っ」
「じゃなきゃ、俺たち分からないよ」
「わ、わたしは………」
「助けてって言わなきゃ、助けてあげないからね」
霞様と椿様には聞こえないように、低く囁かれた言葉は、またしても私の全てを見透かしていた。思わず吐息が震える。恐らく彼らは分かっているのだ。霞様と椿様が嘘をついていることに。そして、私のいつもの悪い癖が出てしまっていることに。だが、敢えて何も言わず、何も気付かぬフリをして、私がちゃんと自分の本音を自分で口にすることを待っている。白鹿様はそれを私に伝えたかったのだろう。
「菖蒲!!!」
霞様の怒ったような声に、私は我に返った。白鹿様が自分たちより私のことを心配していることが面白くないようで、彼女は怒りを押し殺しながらこちらを睨んでいる。私は霞様のその視線の意味をすぐさま理解して、そっと白鹿様を押し返した。とにかくこの状況を何とかしなくては。目を逸らしたい黒いままの感情に蓋をするように、私は床に転がった鍋だけを見つめる。………白鹿様と目を合わせる事が出来ない。
「わ、私は大丈夫です。霞様たちの手当てをしてあげてください」
「…………そう」
顔を見ないでも分かる。白鹿様が若干怒っている。ここまで言ってもお前は本音を出さないのか、とでも言いたげに。そして白鹿様は私に言われた通り、私の元を離れて霞様の方へと歩み寄った。
今までもずっと独り、孤独だった筈なのに。この狭い台所での黒馬様たちと私の距離感が、今までよりもとてつもなく、孤独を感じさせられたのだった。
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