シーン19 オディル

 最初に異変に気付いたのは頭上を飛ぶ矢の本数が目に見えて減ったことだ。

 敵が押し寄せる圧力は高まり、味方はじりじりと後退せざるを得なくなる。

 そこに怒号が飛ぶ。道を開けろ、と声がした。

 獣人たちが左右に分かれ、新しくできた空間を裂くように騎兵の集団が、いや、ケンタウルスの群れが走り抜けた。

 ひとつの槍のように一体となって敵の戦列へと突き刺さる。

 ある者は吹き飛び、ある者は雷に打たれて倒れた。

 先頭を走る猛者は雷光を放ち、何者をも寄せ付けない。その姿は魔獣よりも猛々しく、神獣よりも神々しい。闇夜を照らす一筋の光だった。

 迅雷のグラニ。

 自然とその名が頭に浮かぶ。

 蹄鉄隊は勢いを保ったまま食い破ったところから森へと進軍する。

 目指す場所はひと目でわかった。彼らは魔術による遠距離攻撃を阻止するために出撃したのだ。一方的な敵の攻撃を許していればザラメルギスに勝ち目はない。

 雷の光はすぐに魔術の放たれる地点へと到達した。

 その戦いは火花が散る間のようだった。

 森から魔術の弾幕はなくなり、そこで魔術の応酬が行われていることを示す光が点滅するのみとなった。いつの間にかファルナの防御魔術も消えている。

 以前僕に向けられたグラニの攻撃を思い出す。あれは試すだけだったあの攻撃が敵の魔術士を殲滅するために振るわれる。恐ろしくも頼もしい想像だ。

 だが、陣地の守りは依然として厳しい。

 ウルガル小隊に匹敵するほどの連携を見せる上に数はこちらの倍以上。それが遠方からの魔術攻撃が途切れたタイミングで前に出てきた。

 僕はサリートに向かって放たれた炎の弾丸を小盾で払いのける。

「少ししゃがんでな」

 サリートが杖を振るうと火の玉が三連続で重装兵に向かって飛んでいく。一、二発目は躱されたが、獣人に体当たりを受け、三発目をもろに受ける。

 サリートの魔術は森からの魔術を見た後だと決して強いものには思えない。だが、それでも人ひとりを倒すだけの威力はあった。その攻撃を小隊を俯瞰し、一番いやらしい場所を狙ってねじ込んでいく。それが上手い。味方の攻撃に合わせて避けられない一撃を見舞い、次は逆に避ければ味方の攻撃に当たる魔術を重ねる。

 その厄介さに気づかれ、次第に魔術が向けられる回数が増えていく。

 もうサリートは土壁に身を隠すことなく魔術を使い続けていた。攻撃に専念しなくてはならないほど敵が多い。必然的に守りはすべて僕が受け持つ。

 盾で受け、剣で払い、ときには敵に斬りかかる。

 あまりの攻防に息が上がる。血と汗の臭いと喧騒にくらっとした。その瞬間、僕はほんの少しだけ思考が止まった。『予兆』もなかったし、油断していたのかもしれない。

 イノシシの獣人が僕を突き飛ばす。

 飛んできた巨大な炎の塊を彼の盾が受け止めた。その盾は僕の持つ二倍以上の大きさがあり、重さもその四倍はあるかと思われた。

 突っ立っていただけなら死んでいただろう。

「戦場でぼけっとしてんじゃねえ! 息が上がったなら壁の後ろで休んでろ!」

 ウルガルだ。

 助けてくれた獣人に礼を言おうと思ったが、すでに戦いに戻っている。彼は僕に代わってサリートの守りをこなしていた。

 冷静に自分の状態を確認する。

 握力は尽きかけて手が震え、いつの間にかできた火傷の痛みを今更感じている。死力をふり絞れば戦えないわけではないが、僕は万全でも弱い。身体能力に優れる獣人と魔術によって肉体を強化しているエイドの重装兵の戦いに割り込むだけの力がない。それが疲れてへとへとの状態では足を引っ張るだけ。

 自分の無力はよくわかった。

 土壁の裏に回り、上半身を壁に預けて座った。

 ウルガル小隊は仲間意識が強い。

 薄っすらと感じていたが、今は確信できる。

 きっと彼らは味方を誰も死なせたくないと思っている。戦争だから死ぬのは仕方ないことだけど、できるだけ死者を減らそうとしている。

 これは新入りの僕に対しても同じだ。だから、最初はずっと待機を命じたし、斥候に出たいと告げたときもいい顔をしなかった。ミラだって危ない場面で僕を守って当然のような顔をしていた。そして、今も僕は庇護されている。

 彼らは元々傭兵だったという。

 どんな風にして集まったのかはわからないけれど、彼らの根底には深いつながりが、同じ思想がある。クグズット軍で見たものとは真逆のものだ。

 だからこそ、僕は彼らの仲間にはならない方がいいのではないか。

 僕が小隊の仲間になると小隊はいつでも僕を助けるだろう。そうなったとき、僕が死ぬような目に遭う未来が来ても『予兆』は発動しない。僕が助けられて死なないからだ。『予兆』は死の危険があってこその力。他の誰かの死には反応せず、自分の死だけを告げる。もしも、もしもこの状況が続いて僕の代わりに誰かが死んだとき、僕は自分を許せるだろうか。

 僕にはウルガル小隊にいることがいいことなのか悪いことなのかわからない。

 ただ、『予兆』が発動しないことが不安だった。

 陣地の西側で大きな音。

 そちらを見れば巨大な馬の形をした土のゴーレムが壁を突き破って陣地内に侵入していた。

 ゴーレムの上には斧槍を持った男の姿が見える。炎に照らされたシルエットに思わず視線が吸い寄せられるほどの存在感。戦場にありながら、高笑いを響かせる異質さ。ゴーレムからして魔術の腕も並みではない。

 割れた壁の間から次々とエイド軍が現れる。

 男が斧槍をゴーレムの上で一振りした。炎が辺り一面に広がる。

「くはははははッ! 行け! 蹂躙せよ! この勝負、俺の総取りだッ!」

 角笛が響く。

 ウルガルは苦々しい表情を浮かべ、後退を指示する。獣人たちが走り出したのに合わせて僕も後に続く。なんとかついていけるだけの体力は回復している。

 今のが第三防衛ライン。

 ここから先は天幕があるだけで土壁も塹壕もない。これ以上は引けなくなった。

 皆の表情は暗い。あんなに頼もしかった部隊が今や静まり返っている。範囲が狭まったことで兵が固まり、守りは厚くなったように見える。しかし、敵の魔術を考えれば分散した方がマシだ。次、大規模魔術が飛んで来たら……。

 敗北がちらつく。

 喉がからからに乾いていた。

「ウルガル小隊はここか」

 女性のケンタウルスが僕たちのところに駆けてきた。

 見覚えがあると思ったら、今晩だけファルナの護衛についていたケンタウルスだ。大きな弓を背負っているのが特徴的だったからよく覚えている。

「今より撤退戦に移行する。であれば、何を優先するかはわかるな? 我らはこの身に変えても殿下を守らねばならない」

 ケンタウルスが後ろ振り返る。

 真新しい鞄を抱えたファルナが血の気ない顔をして立っていた。鞄の口からは見覚えのある本の角が出たままだった。

「魔力切れか」

 サリートがつぶやく。

「あのファルナ様が?」

「そりゃ姫様だってあんなバカでかい魔術防壁を長時間展開してたら魔力切れもするだろ。それに魔術ってのは魔力だけじゃなくて体力も使う。相当キてるはずだぜ」

 驚いた。

 そして、自分の無知を反省した。

 魔術は万能ではないと知っていた。魔術士に限界があるとも。しかし、ファルナは天から愛された魔術士で誰よりも素晴らしい力を持っていると思っていた。

 だが、彼女も人間。ただの魔術士だ。

 僕たちを守っていた魔術防壁も人の作り出したもの。決して無限に湧いてくるものではない。魔術を使えば疲弊するし、魔力がなくなれば何もできない。その事実が彼女の小さな体に込められた意志の強さで見えなくなっていただけだった。

 僕と彼女は違う人間だが、同じ人間でもあった。

「ウルガル小隊は殿下を守り、本隊へと迎え。私は残った部隊の指揮を取り、撤退の準備が整うまで防衛する。多少は敵の数を減らしておいてやるさ」

「はっ! 大任仰せつかりました!」

 僕たちは馬に乗ったファルナを囲むようにして陣地を後にした。甲高い金属の音も戦士の雄叫びも魔術にまかれた血と土の匂いもすべてが遠ざかっていく。

 味方を残していくのは後ろめたい。

 しかし、自分たちだけが先に行かなければいけない理由も手にしている。その理由となった少女は唇を噛みしめ、じっと耐えている。彼女の立場では残ると主張しても許されることはない。僕と同じように無事を祈るしかないのだ。

 これが敗北。なんとも居心地の悪い。

 まだ『予兆』は遥か遠くにいた。

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