予言書戦記

竜田スペア

シーン1 オディル

「オディルといったな。どうして笑ってるんだ?」

 頬に手を当てる。

 確かに僕は笑っていた。

 サリートがそう言うのも無理のないことだった。

 焼けた肉と土の焦げ臭さが鼻をつく。遠くではまだ地鳴りのような戦いの音は鳴り響き、魔術の雷のようにちかちかと光って見える。

 僕たちは全滅した部隊で運よく生き残った敗残兵。僕はどさくさに紛れて身を隠していたため、難を逃れた。その後、重傷で倒れていたこの傭兵の男に肩を貸し、本陣へ戻るためにさまよっているのが現状だ

 周りは見晴らしの悪い林になっている。方角は合っているし、ちゃんと後退しているはずだ。しかし、それがどこに通じているかについては確証がなかった。足跡を頼りに進んでいるので、いずれはどこかに出ると思いたい。

 敵は撤退したのだろうか。それとも勝利に気を良くして先に進んだのか。

 野生の鳥が飛び立つだけで心臓は縮み上がりそうになる。

 恐ろしい。

 恐ろしいが、僕が死ぬ『予兆』はない。

 こんなときに笑っているなんてどうかしていると思われても仕方ない。

 でも、これが僕なのだ。

「癖、ですかね」

「癖?」

「元々あまり表情の出ない方でして。昔、仕えていた領主様にそれならずっと笑っていろと言われたんですよ」

「はあ。妙に礼儀正しいと思ってたが、結構いいところに仕えてたんだな」

「そんな。小さな町の領主様ですよ」

 もう亡くなりましたが、とは言い出せなかった。

 歩みは遅い。

 サリートは背は高いが体格は良くない。腰に杖を下げているところから見ても魔術士だろう。血だらけのマントも靴も年季が入っているから旅でもしていたか。

 一方で僕はまだ小さな片手剣しか扱えないほど小柄だった。

 サリートの重みが肩に食い込み、傷ついた体は今にも倒れそうになる。

「オディルはこの戦いをどう思う?」

 ぼんやりとした問いだと思いながら答える。

「エイドが魔術に長けた国というのは嘘ではありませんでしたね。射程も範囲も驚くべきものです。ザラメルギスではあまり魔術士が育たないのに、と領主様もぼやいていました。あの殲滅力をなんとかしなければ勝利は危いかと」

 部隊がやられたのも魔術の連続攻撃によるものだった。

 こちらも魔術で応戦していたが手数が違い過ぎた。

 雨のように炎が降り注ぎ、地面が吹き飛ぶほどの爆発が起こった。たった数分の攻撃で半分の戦力が失われた。生き残った兵士たちは散り散りに逃げていった。白兵戦すら起こらなかった。勝負にすらならなかったのだ。

「そうじゃねえよ。周りに他の部隊はいなかったし、支援も来なかった。あんな殺風景な場所で敵さんを待ち構えるなんて……」

 サリートは一段声を低くした。

「囮だったんじゃねえかな」

「まさか」

「俺たちは捨て駒にされたんだよ」

「そんな話、聞いてません」

「上手く使われたな。敵をおびき寄せ、本命の部隊で拠点や側面を叩く。よくある作戦だ。もし、その攻撃が成功していたとすれば敵が撤退していった理由が説明つく」

「そんな恨みを買うようなことしますかね」

「逆だ」

「逆?」

 傷が痛むのか、顔をしかめた。空咳を吐く。

 ゆっくり呼吸を整える。

「指揮を執る奴が恨みを買ってたのさ」

 ……あり得る。

 指揮を執っていたのはうちの領主様だ。あの方なら恨みのひとつやふたつどころでは済まないだろう。いつ殺されてもおかしくないと思っていた。

 決して人徳があるとは言えなかったが、死んでしまうと多少は思うところはある。

「まあそんなに上手く引っかかる奴もいないだろうから与太話とでも思っておけ。悪い奴ほど自分の死に関しては敏感なもんだ。わかっていて国や領地のために志願したかもしれないぞ。俺にはさっぱりわからないが、貴族ってのはそういうもんらしい――」

 またサリートはせき込んだ。

 サリートの五指が腹に巻きつけた布をぎゅっと握りしめる。その手に震えが走る。

 ごほっ、という音と共に赤い液体が口からこぼれ、地面を赤く染めた。

 傷は思ったよりも深い。

「英雄になるつもりで戦いに来たのにこのザマだ」

「喋らない方がいいです。傷口が開きます」

 サリートの顔は真っ青だ。すでにかなりの血を失っている。早く本陣に戻って治癒魔術士に見せないと助からないのは明らかだった。

「そうは言ってもな。何か喋ってないと寝てしまいそうなんだ」

「それは……良くないかもしれませんね」

 ここで気を失われたらサリートを抱えて歩かなければならなくなる。僕の筋力では男ひとりを担いでいくのは難しい。

「代わりにオディルが話してくれ」

「いきなりそんなことを言われてもどんな話がいいんですか」

「誰も聞いたこともないのがいい。俺の意識が持ちそうな面白そうな話を聞かせてくれ。できるだけ好奇心をくすぐる語りを頼むぜ」

「無理難題を言いますね……。吟遊詩人じゃないんですよ」

「頼む」

 はあ、とため息をつく。

 ただでさえ荷物があってしんどいのに頭も使わなくてはならないとは。

 すでに緊張とストレスでふらふらになりかけている脳みそに気合を入れる。

 ここで僕は普段なら話さない秘密を話してしまおうと思った。

 今なら笑われることもないだろうし、最悪作り話で通せる。死にかけても軽い調子を崩さないサリートという人物を好ましいと思うようになっていたせいかもしれない。彼になら話しても悪い結果にはならないだろうという『予兆』もあった。

「ひとつ、嘘を思いつきました」

「いいね」

「先程の戦いのときの話です。あの魔術の雨の中、無傷、とまでは言いませんがこうしてサリートを助けられるくらいの怪我で済みました。隠れはしましたが、逃げはしませんでした。逃げようとも思いましたが逃げても助からないような気がしていたんです。いや、確信していたと言った方がいいでしょう」

 ちらりと横眼でサリートを見ると目に生気が戻っている。

 どうやらつかみは上手くいったようだ。

「僕には危険を察知する力があるんです。僕はこれを『予兆』と呼んでいます。『予兆』は僕の頭の中に赤い点滅として現れます。僕に危険が近づけば赤い点滅の光は強く激しくなり、遠ざかれば弱まります。逃げようと思えば強く、隠れようと思ったら弱くなった。だから、僕は隠れて生き延びました」

「便利な力だな」

「そうでもありませんよ。『予兆』はいつも曖昧です。危険が近いことだけはわかりますがが、一体どこから来るのか、何を避けるべきなのか」

 視線を伏せると地面には兜が転がっていた。

 おそらく、逃げ出した兵士のものだろう。

「それにこの力を頼りにしても危険から逃れるのは僕だけです」

「今回みたいなのは初めてじゃないってわけか」

「ええ。二年前、魔獣に襲われまして。僕は領主様にお使いを頼まれていました。海辺の町まで行ってちょっとした用事をこなして帰ってくるだけの簡単なものです。けれど、その日だけは違いました。商隊に同行させて貰ったのですが、大きな牙を持った虎の魔物の群れが出ました。その結果がどうなったと思います?」

 サリートは何も言わなかったので一息を置いて言葉を続ける。

「僕だけが生き残りました。商隊の家族の方に僕だけ助かったことを逆恨みされました。その後、また同じことがあったときは疫病神や死神なんて呼ばれましたっけ。ずっと笑顔が染みついていたのも不気味に思われたのかもしれませんね」

 もっとも無表情もまたいい結果になっていたとは思えない。感情表現の乏しさはなんとかしたいのだが、今のところなんともできていない。

 だから、行動で示すしかない。

「死神か。大層な渾名だな」

「そういうわけでせめてサリートには生き残って貰います」

「はは、そりゃいい。死ねなくなったな」

 森が開け、本陣が見えてくる。

 敵の姿はなく、どこか浮き立っているように見えた。

 更に近づくと勝利を告げる声が響いてくる。陣地を守っていた兵士が僕らを見つけると駆け寄ってきた。担架を持ってくる、と言うので僕はサリートを地面に降ろす。別の兵士が僕たちの所属を確認している。

「勝ったんですか?」

「ああ。大勝利だ」

 兵士は笑顔だった。多分僕も笑顔だろう。

 陣地の中で貴族らしき魔導士服の少女が同じく貴族と思われる人たちに囲まれて歩いているのが見える。中でも少女の装いは華やかでとても戦場のものとは思えない。領主様よりもずっと上の身分であることは容易に察せられた。

 ザラメルギス軍はエイド軍を撤退に追い込み、今も追撃の途中だという。あのすさまじい火力を持った魔術部隊相手に一体どんな手を使ったのだろうか。やはり……。

「作戦は上手くいったらしいな」

 と、サリートは吐き捨てた。

 戦争のため国境まで招集された人々のことを思う。

 勝利に沸く味方とは対照的に僕の心はすっかり冷めてしまっていた。

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