第4話 女店主溺死事件.10
「……かくして、女店主溺死事件は幕を閉じたのであった」
最後の一文字を書いて、私は一瞬手を止める。
迷ったが、日記の隅に小さくメモを書くことにした。
「私は、この街で一番の名探偵になる」
小さな小さな、だけど大きな私の決意だ。
恥ずかしくなって日記を閉じ、私は頬杖をつく。
この街を平和にするために、名探偵になる。
人を傷つけようとする悪意を残らず暴く。
そう思っているのは本心だ。
本心だけれども……。
「それは、どうして?」
問いかけても答えは出ない。
ベアトリスに正しくあれと教えられたから?
もしくは父親譲りの正義感?
それとも……アーロンさんに認められたいから?
どの理由だったとしても、それは人から貰った意見の受け売りではないだろうか。
本当に、私の夢だと言っていいのだろうか。
無性に不安で、不安に飲み込まれそうで、ベッドに逃げ込んだ。
余計なことを考えないように目を瞑る。
それでも、一度浮かんだ不安が心臓を撫でるようにまとわりついて、離してくれない。
何度も寝返りを打ったあと、私は諦めてベッドから抜け出した。
部屋の時計は誰もが眠る深夜を指し示している。
妙な動悸に胸を抑え、部屋を抜け出す。
ふらふらと歩いて、私は廊下の突き当たりに向かった。
そこにあるドアを躊躇いながら開く。
「アーロンさん……起きてる?」
部屋の中は真っ暗だった。
暗闇に慣れた目でベッドに近寄ると、アーロンさんが薄らと目を開く。
「……るる?」
寝ぼけた様子で、アーロンさんは私の名前を呼び、数度瞬きをする。
「どうしたんだい」
「……不安で、眠れないの」
舌足らずな問いかけに、自分で思うよりも随分弱弱しい声が出た。
アーロンさんがゆっくりと起き上がって、ベットサイドのランプをつける。
部屋の中に淡い光が広がって、私は目を細めた。
「いけないよ、こんな時間に女の子が男の部屋を尋ねるなんて」
言葉では注意しつつも、寝起きの蕩けたアーロンさんの瞳は優しく細められている。
「ごめんなさい」
謝罪の言葉に、アーロンさんは困ったように眉を下げた。
「私の方こそ申し訳ない。突然いろいろな事件に巻き込まれて、神経がすり減るのは当たり前だね」
アーロンさんに手招きされ、ベッドの側へと歩み寄る。
「少し触れても?」
頷くと、アーロンさんの指が優しく私の髪に触れた。
指先でゆっくりと、梳くように髪を撫でられる感覚が心地良い。
「良い子だね、ルル。君はよく頑張っているよ」
低く掠れた声が妙に艶っぽく聞こえた。
ふと、今まで気にならなかった様々なことが一斉に脳内に流れ込むような感覚に襲われる。
優しげに細められた漆黒の瞳が、寝起きで少し乱れた服から覗く肌が、微かに弧を描く形の良い唇が、触れられた指先から伝わる熱が、どうにもくすぐったい。
綺麗だと言うことは理解していたが、改めて寝起きのアーロンさんの破壊力は凄まじい。
暴力的な美しさの中に、どこか隙が混じっている様が見るものを魅了する。
これは美というよりむしろ、蠱惑的とか妖艶と呼ぶべきものだ。
美は神からの祝福であり、同時に呪いである――と、昔読んだ道徳書の一文が不意に頭をよぎる。
誰もが美人が好きで、美人が嫌いだ。
少なくともこの国では、美人には堕落や非道徳のイメージが付きまとう。
どうも世間の人は、自分が美しさに惹かれているだけのことを、誘惑したと言って相手のせいにしたがるらしい。
息をするだけで美しい男を何とも言えない心持ちで見つめていると、不意にアーロンさんが目を伏せた。
「その……あまり真っ直ぐ見つめられるのは慣れていないんだ」
軽く咳払いをするアーロンさんの言葉に首を傾げると、アーロンさんは眉を下げた。
その頬がじわじわと朱に染まっていく。
「……大抵の人はね、私を一瞬見つめたとしても、すぐに悪いことでもしたみたいに目を逸らすんだよ。だから……そう真っ直ぐ見つめられると、気恥しい」
「それって、アーロンさんが美形だからってこと?」
「どうかな……私に聞かれても何とも言えないけれど」
そう言うと、アーロンさんは膝を抱えてふにゃりと笑った。
たまに見せる子供っぽい仕草も、夜に二人きりの状況だとまた意味も違ってくる。
プライベートな姿を見せられたようで、なんだか自分が彼の特別な相手にでもなったような気持ちになってしまう。
「アーロンさん……あなた、いろんな人を勘違いさせそうだから気をつけた方がいいわ……いつか襲われるわよ」
「……それ、夜に男の部屋に単身乗り込んできた君が言うことかな」
それもそうか、と舌を出しておどけて見せると、アーロンさんはため息を吐いた。
「ともかく、気持ちは落ち着いたみたいだね」
「ええ、ありがとうアーロンさん」
「どういたしまして」
そう言うと、アーロンさんはベッドから立ち上がる。
「部屋まで送るよ」
「別にいいわよ。すぐそこの部屋だもの」
「いいから」
強引に押し切られ、自室へと向かう。
ほんの数歩の距離を歩いて部屋に入り、振り返るとアーロンさんが微笑んだ。
「おやすみ、ルル。良い夢を」
「……おやすみなさい、アーロンさん」
アーロンさんが静かに閉めたドアをしばし無言で見つめた後、私はベッドに潜り込んだ。
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女店主溺死事件 fin.
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