第1話 美食家殺人事件.4

 老紳士に案内されて通されたのは広い食堂だった。

こちらには先程の応接室よりさらに大きいクリスタルのシャンデリアが下がっている。


 奥の座席に順々に人が案内され、だいぶ後になってから、私は手前の席に案内された。

アーロンさんは中央付近に案内されている。

どうやらアーロンさんとは離れて食事をする必要があるようだ。

粗相をしなければいいけれど。


「緊張してる?」


 声のする方に目を向けると、正面に女性が座っていた。

年の頃は私とさほど変わらなそうに見えるが、堂々とした佇まいから社交の場に慣れているのが伺える。

淡いブロンドの髪に澄んだ青の瞳が、彼女が身につける淡いブルーのドレスによく映える。


「貴女は……アーロン様の婚約者、かしら?」


 女性の言葉に慌てて首を横に振ると、女性はどこかホッとしたような様子で微笑んだ。


「ご挨拶が遅れてごめんなさい。私はクララ・ハミルトン。歳も近いでしょうし、どうか気軽にクララと呼んでくださいませ」

「えっと、ルーシーです……」


 緊張のあまり口ごもる私を、クララは年の離れた妹でも見るかのように優しい瞳で見つめた。


 程なくして晩餐会はホストであるオスカーさんの挨拶とともにスタートした。


 私の隣には二十代前半くらいの男性が、クララの隣には三十代前半くらいの男性が座っている。


 二十代前半くらいの男性はウィリアムと名乗った。金髪に緑目の真面目そうな好青年で、今は大学で法律を学んでいるらしい。


 もう一人の男性はフランクと名乗った。

実業家の男性で、鉄道や貿易なんかの事業をしているのだと自慢げに語った。


「いやはや、それにしてもオスカー氏の晩餐会に呼ばれるとは。私、この日を大変楽しみにしていたのですよ」


 そう言って、フランクさんは同意を求めるようにクララに視線を向ける。


「ええ、そうですわね。美食家オスカーと言えば、社交の場でも話を聞かない日はありませんもの」


 フランクさんの言葉に同意して、クララはうっとりと目を細める。


「以前の晩餐会では、遠い島国の文化に倣って魚を生で調理したと聞きました。海産物を生でなんて……一体どんな料理だったのかしら」


 恍惚の表情を浮かべたまま遠くを見つめるクララに、ウィリアムさんは苦笑いを浮かべた。


「魚を生で、となれば保存方法も相当気を使ったでしょうね」

「それに輸送方法も!お望みであればうちの鉄道をいつでも解放しますのに!」


 ウィリアムさんの言葉に鼻息荒く飛びついたのはフランクさんだ。

鉄道事業を営むものとして、食材を新鮮に運ぶ輸送方法に興味を惹かれたらしい。


 そんな話をしながら、晩餐会は進行していく。

クララが言う通り、オスカーさんの用意した料理はどれも珍しいものばかりだった。

亀のスープやロブスターのテルミドールとニシンのマリネ風、七面鳥のトリュフ詰めや仔牛の舌の煮込み。

馴染みのない食材であるにも関わらず、そのどれもが素晴らしく美味しかった。


「これが美食家オスカーのフルコースなのね……」


 仔牛の舌の煮込みに舌鼓を打ちながら、クララが感嘆の声を上げる。

同じく隣で料理を頬張りながら、フランクさんがうんうんと頷いた。


 最後にデザートとして、パイナップルとマンゴーのアイスが運ばれてきた。

南国からの輸入品であるトロピカルフルーツをアイスにするなんて、さすがは美食家オスカーだと熱弁するフランクさんを横目に、舌の上で溶けるアイスの感触を楽しむ。


「そういえば、ずっと気になっていたのですが……」


 ふと、フランクさんの視線が私を捉える。

その瞳の奥には隠しきれない好奇心が宿っていた。


「ホルブルック子爵のご子息が家を飛び出して市井で暮らしている、という噂は小耳に挟んでおりましたが、お嬢さんは一体、氏とどういったご関係ですかな?」


 ホルブルック?と疑問に思ったが、話の内容からアーロンさんのことだということはすぐに合点がいった。


 あけすけな質問に、ウィリアムさんとクララが揃って眉を寄せる。

そんな二人の様子に気づかず、フランクさんは饒舌に話を続けた。


「いえね、あくまで噂ですが、孤児院から年若い娘さんを一人引き取ったとか。血筋を重んじる貴族出身の青年が家を捨てて、ましてや孤児院からお嬢さんを引き取るなんて! よほどの事情がおありなのでは、と思ったのですよ。例えば、そう、そのお嬢さんに……」

「フランクさん」


 窘めるようにクララがフランクさんの話を遮った。


「ルーシー様はアーロン様のところにお世話になっているだけですわ。突飛な噂が飛び交うのは社交界の常ですけれども、彼は噂されるほどおかしな人ではありませんのよ」


 そう言って、クララはチラリとアーロンさんの方に目を向ける。

その頬がほんのり赤く色づいているように見えたが、蝋燭の灯りでそのように見えるだけなのか、私には判別がつかなかった。


「これは失敬、少々要らぬことまで喋りすぎましたかな。私は単に、立派な家から出たくなる事情とはどのようなものか、興味があっただけなんですよ。私のような成り上がりものにとっては……」


 そう言って、フランクさんは誤魔化すようにワインを呷った。


✼••┈┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈┈••✼


 食事が終わり、クララに連れられて食堂を退室する。

この後、女性陣は先程の応接室で、男性陣は食堂に残って歓談するのだとクララが教えてくれた。


 応接室には紅茶やお菓子が用意されていた。

紅茶については丁重に辞退し、私は用意されていたチョコレートをつまむ。


 しばし和やかに歓談するムードが漂っていたが、その雰囲気は突如として応接室に飛び込んできたフランクさんの存在によってかき消された。


「い、いいい医者だ! 医者を呼べ!」

「まあ、どうしたんですの。どなたか具合でも?」


 腰が抜けているのか、その場にへたり込みながら声を荒らげるフランクさんに、扉付近に立っていた女性が気遣わしげに問いかける。


「お、お、オスカー氏が、オスカー氏が突然苦しみだして、倒れたんだ」


 その言葉に、私は食べかけの菓子を放り出して食堂へと走った。

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