第11話 勇者御一行。聞いていた話と違いますわね。

 風は温く、空は高い。だが、フロリアーナの胃袋は地の底に沈みきっていた。昼も過ぎた頃、山道脇の茂みに腰を下ろし、フロリアーナは苦い顔で木の実を口にしていた。それは食料というより、もはや“ギリギリ食べれるもの”に近い。


「はぁ……。そろそろ果実は美味くなるべきですわ」


 口を動かすたびに眉が寄っていく。かつては王都の菓子職人に仕立てさせたマカロンを摘んでいた手が、今は何が付着しているかもわからない木の実を摘んでいた。


 ミセラは傍らで、静かに火打石を弄っていたが、やがて苦笑を漏らす。


「その果実も、生き長らえたいのでしょう」


「分かってますのよ、だけど嫌なものは嫌なんですの」


 フロリアーナは地面に寝転がる。顔を覆い、空を見上げながら呻いた。


「……魔物を食うのを拒絶した二日前のわたくしを、ぶん殴りてぇですわ……」


 肩を落としながら、思い返す。あの時、道中で遭遇したヘドロの魔物。見た目こそ忌避すべき異形だったが――


「獣型でしたのよ。ヘドロみたいなのは纏ってましたけど、内側には確かに肉体がありましたわ……食えたんですの。アレは……絶対、食えたんですわ……」


「ええ。あの時、お嬢様が“もし肉があったとしても舌が腐る”と仰らなければ、今頃……」


「言うなですわミセラ、思い出させるなっ……!」


 ばふんと地を叩く音。拳に力がこもる。だが、その拳が振り下ろされる先は空腹を満たしてくれるわけではない。


 沈黙。鳥の囀りだけが、皮肉のように優しく響く。


「……ああもう。次、食えそうな魔物がいたら、絶対に狩りますわよ」


「それは前向きなご決断かと」

 

 ミセラが微笑んだ、その直後だった。ガサリと茂みが揺れた瞬間、ふたりは即座に構えた。しかし、現れたものを目にして、フロリアーナは絶望の吐息を漏らす。


「……はぁ……なんですの。あの可食部の無さ。カスですわ」


 茂みの奥から這い出てきたのは、ヒキガエルを極限まで乾かしたような、どす黒い皮膚の魔物。

 四肢は異様に長く、頭は小さく、腹はペシャンコ。まるで皮のみ。身体を動かす筋繊維すらないように見える。


「肉がねぇ。筋肉もねぇ。皮は硬そうで、まるで食わせる気がない。あれが一瞬でも食事に思えたのに嫌気がさしますわよ」


 フロリアーナは顔をしかめ、そっと腹を押さえた。キュルルと嫌な音が鳴ったのは、たぶん気のせいではない。

 ミセラが、手にした斧の柄を握る。


「お嬢様はお休みになられてください。私が仕留めますので」


「いいですわよ。憂さ晴らしにわたくしがしますから」

 

 言い終わるが早いか、魔物が異様な叫びを上げ、飛びかかってきた。

 だが、フロリアーナの手にはすでに魔力が集まっている。


「全く――食える肉付けてから出直してきやがれッ!!」


 握った魔力の塊を、容赦なく投げつける。爆ぜた衝撃に、魔物の身体が木の幹に叩きつけられて潰れる音が響く。


「……見た目どおり、カスですわね。食えない上に口当たりも悪そう。焼いてもたぶん、皮が焦げるだけですわね……マジで次は、ちゃんと肉ついたヤツを出しなさいな、この森。こんな嫌がらせされる筋合い、ありませんわ……」


 しゃがみ込んでため息を吐くフロリアーナ。二月は前の食事を夢想していたところ、山林の静寂を破る、低く、重く、腹の底まで震わせるような咆哮が響いた。しかしそれは魅力的な声だった。その声にフロリアーナは、目を輝かせた。


「……ミセラ。咆哮、聞きましたでしょう?」


「ええ、しっかりのこの耳で」


「きっとでっけぇ獣の声ですの。肉ですわ。獣肉が、存在をアピールしてやがるんですの。ふふ、愛らしい自己主張ですわね」


 腹を空かせたフロリアーナの眼差しは、もはや狩人のそれであった。声の主を求めてふたりは駆けだす。近づけば近づく程に、獣の声だけではなく、人の声。闘いの音が聞こえてくる。


 茂みをかき分けて向かったその先。開けた岩場に出たふたりは、そこで思わぬ光景を目にした。


 大地を抉るような爪痕。火の矢が空を裂き、重厚な盾が唸りを上げる。

 そして、その中心には、黒銀の鬣を逆立てた巨大な獣型魔物――《雷牙の巨獣》と呼ばれる獣“サンダーファング”がいた。


 その獣と相対しているのは――五人の戦士たち。一際目を惹く剣を振るう剣士。双つの短剣を構える軽戦士。盾を掲げる老騎士、後衛で詠唱する魔法使い、そのさらに後ろで祈りを捧げる神官。彼らの動きは洗練され、連携も悪くはない。


「……あれは、傭兵。ではないですわよね」


 フロリアーナが訝しげに問いかけると、ミセラがすぐに目を細めた。


「あの鎧の紋章……月下に翼を広げる鷲……隣国の王家の紋章です。おそらく、あれが――隣国の勇者御一行かと」


 風が吹くたび、青銀のマントがはためく。その背に背負うは“選ばれし者”の証。


「へぇ。アレが勇者。実物を見るのは初めてですわね。弱っちそうですのに、ずいぶんと綺麗な衣装を着ていらっしゃいますこと」


 フロリアーナは興味深そうに、細い指で顎を撫でた。次の瞬間、獣が咆哮し、盾持ちの騎士を爪で弾き飛ばした。

 それを見てフロリアーナはほくそ笑むように小さく呟く。


「……さて、どうしましょうか。助けて借りを作らせるのも、悪くありませんわよね。ついでにあの肉もいただけたら、一石二鳥なんじゃありませんこと?」


 その目に宿ったのはほんの少しの興味。


 視線の先ではサンダーファングが咆哮を上げ、地を砕き、剣士が傷を負う。魔法使いが魔法で隙を作り、老騎士が再び前に出る。拮抗。まさに、一進一退の戦。


 そこへ、フロリアーナは歩いていった。琥珀の髪をなびかせ、悠々と。まるで目の前の死闘を、遊戯とでも言うように。


「……せっかくのランチを見つけたというのに、その肉を目の前で持ってかれるのを、指を咥えて待つ訳にもいきませんしね」


 そんなフロリアーナの姿に気づいたのは双剣の軽戦士。その声に神官の女性が反応する。


「おい、誰だあれ……!?」


「離れてください! ここは危険です!」

 

 神官の声に耳を向けず、彼女は微笑を浮かべ、軽く右手を掲げる。


「横槍、失礼させていただきますわ。――勇者御一行」


 掌に収縮されていく魔力にサンダーファングは警戒の色を見せる。その隙を狙ったのか、勇者の印を背負う剣士が剣を振るい――


 その刃が届くより先に、フロリアーナの魔力を固めた球が、サンダーファングの頭に直撃した。轟音と共に、サンダーファングの巨躯はよろめく。


「あら。わたくしの一撃を耐えるなんて、なかなかしぶとい獣ですわね」


 関心したようにフロリアーナはサンダーファングを見やる。

 サンダーファングが体勢を立て直そうと動いた直後、茂みの中からミセラが地を蹴って飛び出す。

 鈍い音とともに、ミセラの斧が巨獣の脚を砕き、姿勢が完全に崩れる。その瞬間を見計らって、再びフロリアーナが魔力を高密度に凝縮――強固に固められた魔力の塊が、真っ直ぐに巨獣の身体へ。


 ――轟ッ!


 着弾した瞬間、風が吹き荒れる。サンダーファングの唸りが一瞬だけ聞こえ、すぐに風の音に呑み込まれた。

 

「嘘だろ……あの女、どうなってやがる」


「魔法は、使ってない。一体何者」


 五人の選ばれし者たちの警戒心は、一瞬にしてフロリアーナとミセラへと向けられた。構えこそされていないが、いつでも戦闘に移れるようにしていた。

 そんな中、フロリアーナは凛とした声を上げる。


「改めて、こんにちは、勇者御一行。一緒にランチでも――どうですの?」


 その提案に、答えられた者は誰もいなかった。

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