3
わたしは一生、怯え続けるのだろうか。知らない人の、たかが足音に。
「
上空から聞き慣れた声がして顔を上げると、陰になった黒い塊が降下してくるのが見えた。
そこにハッキリと映った赤い
それを捉えた途端、ようやく深い海の底から浮かび上がれた気がして、こみ上げてくる何かを下唇を噛んでこらえながら叫んだ。
「プライベートで魔法使ったら、怒られる!」
「人命救助! 電話口で死にそうだったろ!」
ふわりと音もなく着地した
受け取ったお茶の温かさは、いつもの自分を取り戻すのに十分な温度で、わたしは腰に手を当てて勢いよくそれを飲んだ。
「なんだ、元気じゃん」
流風は歩道に置かれていたベンチに音を立てて座った。
「謂れのないことで、人生の一部を棒に振らなきゃならないことに、だんだん腹が立ってきて」
「ふぅん。で? 『いた』って、あのスナイパー?」
流風は前屈みになってわたしを見上げた。
「うん。足音だけだけど。
「顔、見た?」
「見た。でも知らない人だった」
流風は腕を組んで、うつむいた。
わたしは、【竹崎さん】の怯えた目つきを思い出していた。
「ほんとにあの人が、矢尻を投げたのかな」
「スナイパーのこと、許す気になったん?」
「そうじゃなくて。あの人、りーちゃんよりも年上っぽかったから」
「じゃあ、尚更じゃん。体が老いれば魔法も老いる。あのスナイパーの魔法は粗雑で、持続時間も短かった」
そうなんだけど、どうも引っかかる。
確実に言えることはただ一つ。
彼女はわたしを知っていた。
「名前も聞いたし、実家で資料漁ってみようかな」
「あとで、詳細メッセージで送っといて。俺も調べてみる……ん? 何か付いてるぞ」
指摘された通り手首をひっくり返してみると、スーツの袖の隙間から、腕に色がついているのが見えた。袖を捲りあげると……すっかり忘れていた。
「あぁー、電話した時、意識飛びそうだったから、つねってたんだった」
ヘラヘラと笑うわたしに、流風が渦を巻くみたいに息を吐く。
「加減って知ってます?」
「道の途中で倒れたら、洒落にならんでしょうが」
「ばぁか。やりすぎだっつーの」
流風は、帆布製のボディバッグから湿布を取り出して、青紫色に内出血を起こしたわたしの腕を取った。
「自分を痛めつけるの好きだねぇ。マゾだろ」
悪態をつきながらも、優しく丁寧な手つきで湿布を貼ってくれる。
黒い前髪の隙間から見える、下向きに揃ったまつ毛は彼によく似合っていて、思わず見入ってしまった。
流風が視線を上げた。目が合った。彼は特に何の反応もせずに言った。
「手当の魔法、しとく?」
わたしは髪を揺らして首を横に振った。
「来てもらった上に悪いし。いい。ありがとう」
「いや、俺も、あぁ言った手前ね……」
わざわざ袖をおろしてくれて、立ち上がる。
「そろそろ戻るわ」
その一言に、わたしは瞬きを止めた。
戻る?
どこに。
次の瞬間、サーッと青ざめた。
「ごめん。ごめん、ほんと……」
五分っていうから、近くにいるんだと思ってた。電話に出たから、休みか休憩中なんだと思い込んでた。
だけど、彼が身につけているボディバッグは、
すぐに気づくべきだった。叔母は優しいけど、仕事には厳しい人だ。説教、反省文、謹慎……何が待ち受けているか分からない。
「サイアク……ごめん、考えなしに呼びつけた」
冷や汗を流すわたしとは対照的に、流風は平然と、ウインドブレーカーのポケットに両手を突っ込んだ。
「別に。遠慮されて、知らんとこで倒れられても、メーワク」
「魔法まで使わせた」
「いいよ。許可証取り上げレベルのことやった訳じゃないし」
「わたし説明する」
「だーかーら。三ツ稀は気にするなって。俺の意思で来たんだから。そっちも早く戻れよ」
背を向けかけた流風は、「あぁ」と、振り向きざまに言った。
「やっぱ、メッセージいいや。今日の帰り、うちまで送ってく。そん時、聞くし。俺、遅くなると思うから、残業でもしといて」
説教は確実なんだろう。
上手く言えないけど、毎回、申し訳なさだけじゃない、複雑な気持ちが同時に顔を出す。
で、わたしが言えることはいつも一緒。
「ありがとう」
流風は長い舌をチロリと出し、「【貸し】な」と言って、駅に向かって走って行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます