第一章 鉄腕の猟犬
賞金首の情報交換、非合法な仕事の請負、そんな事にしばし使われるこの店
『紅い雨』
ゴロつきの集まる通称三番街のバー、この店に似合わない客が入店した。
首元までの綺麗な金髪に、生まれの良さを感じさせる仕草、そして、品の良い顔をした女性がカウンター席についた。
「バーボン、ボトルで」
明らかに場違いな彼女は、店内で注目されていた。
酒に酔った一人が彼女に絡む。
「おいおい、こんな所に御姫様がいるぜ!」
女性の手を掴む、その女性は、顔色一つ変えずに煙草に火をつけ、それを上品に吸った。
「何とか言えよ」
「……すぞ」
女性は煙草を口から離すと呟いた。
「あぁ? 何だって?」
「殺すぞ! 素人がっ!」
掴まれた手を返して男の腕を掴む。
その瞬間、鈍い音と共に、酔った男は地面に顔を激突して気絶した。
その女性の右肘の少し前くらいから、銀色の光を放つ義手である事が確認できた。
「おいおいおい! あいつ、鉄腕じゃないのか?」
客の中の一人が青い顔でそう叫んだ。
「元アメリカ軍の特殊部隊出だとかいう、殺しのスペシャリストの?」
全員が店内で凍り付いた。
元軍人だという人間はこの世界には星の数程いる。
だが、鉄腕と呼ばれた仕事の請負人の話は誰もが知っていた。
鉄腕はクライアントでも、気に障ったら、殺す気性の持ち主であると言われていた。
光景を楽しんでいた者が我先にと、店内から飛び出して行く。
無機質にコップを拭くマスター、このような店を開くだけあり、肝は据わっているようで何事もないように業務的に次のコップを拭く。
そして、一人逃げ出さなかった不気味なマスクを着けた男がその鉄腕の隣の席に座る。
「マスター、すまないね。あまりにも有名人を呼びすぎたようだ。今、逃げた客の支払いは私が代わりにしよう」
その男を見ずに頷くマスター。
「やぁ、君が鉄腕の猟犬とは恐れ入った。こんなにも美しいとはね。違う出会い方なら、食事に誘いたいくらいだよ」
感情のこもらない口調で、男は淡々と話した。
「御託はいい。お前がハイルブロンの怪人か? ふざけやがって」
「いかにも」
深く紫煙を吐くと、その女性はハイルブロンと呼ばれた男に尋ねた。
「で? 仕事の内容は?」
一枚の写真を出した。
それは、一人の少女の写真だった。
それを見ると、溜息をついて言った。
「悪いね。子供殺しはしないんだ。他をあたってくれ、こんな無駄足ここの支払いで勘弁してやる」
「君に殺して欲しいのは、この子供を守る。ボディガードの方だよ」
帰ろうとした鉄腕と呼ばれた女性は、面倒くさそうに再び座った。
ハイルブロンは続けて話す。
「以前、四人の武装した男達が、そのボディガードと戦った。わずか三分だよ。殺さずに恐怖を与え、追い払った。まぁ、そんな使えない殺し屋は、私が後で始末したがね。恐らく、君と同じ戦場を知る戦士だね。5万ユーロ払う。それとも、アメリカドルでの支払いが良いかな?」
その女性は、ハイルブロンを睨み付けて言った。
「断る! ボディガードが死んだら、その子も酷い目にあうだろう?」
「ふむ、お堅いな。妹が行方不明と聞いている。今から調べる事になるだろうが君の妹の情報も付けよう。どうかな?」
少し動揺すると、ストレートでなみなみに注いだバーボンを一気に飲み干し、女性は答えた。
「アメリカドルで貰おう。この鉄腕の猟犬、ブリジット・ブルーが、番犬を食い千切ってやる!」
★
ゼッハが目覚めると、お湯が沸騰する音が聞こえた。今までとは違う自分以外の生活音。しかしゼッハは不安になった。
なぜなら隣で寝ているはずのリリトの姿がないのである。
「リリト? リリトぉ!」
遠くから返答が聞こえた。
「はい、ここにいますよ」
昨日のスーツではなく、緑色のボトムズと、黒いシャッという軽装の姿、大きなソーセージをフライパンで炒め、その隣で、器用に目玉焼きを焼いていた。
「ゼッハ、もうじき朝食の準備が整いますよ」
目をこすりながらキッチンに入るゼッハ、リリトの姿を見つけると抱きついた。
「さぁ、ゼッハ! テーブルに着いて下さい。ライ麦の黒パンも、冷たいミルクも、今日朝一番で届けてもらいました」
まだ暖かい黒パンを見ながら、ゼッハは少し不機嫌そうに言った。
「リリトがいなくなったと思った」
ゼッハの皿に、ソーセージと目玉焼きを盛り、リリトは席について応えた。
「ふふっ、私がゼッハの前から居なくなるわけないじゃないですか、私は貴女に再会する為に産まれてきたんですから」
リリトは少し照れて、また誇らしげにそう言った。カチャカチャと上品に食べるゼッハを愛おしそうに見てリリトは話し出した。
「少しの間、学校にはお休みする事を私から伝えます。シンゲン様のお葬式もまだですし、それに……」
大きなソーセージを、ナイフで細かく切りながらゼッハは言った。
「私が学校に行くと、友達も危ないもんね」
ゼッハは、自分が何者かに狙われている事を既に理解していた。
「それもあります。でも、私は1%でもゼッハが危険になる事は避けたいからです」
コーヒーにミルクを入れると、リリトは興奮する自分を鎮める為に、それを一口飲んだ。
「学校には行きませんが、勉強はちゃんとしますよ! それに、私が一緒なら外出だって出来ます。ご飯を食べたら少し散歩に行きましょう」
★
ブリジットは小型ながら、500CCの排気量の単車に乗り、屋敷を視察に来ていた。
双眼鏡の先には、楽しそうに食事をする幼い子供と、笑顔の耐えない黒髪褐色の女性。
「にやけきった女が一人。あれがボディガードか?」
双眼鏡を敷地周辺に向ける。
そこにブービートラップを見つける。そしてもう一度部屋にいる女に視線を移す。
表情から戦士とは考えがたかった。
「……他にボディガードがいると見るのが打倒だな」
青い単車に跨がると、ブリジットは屋敷を後にした。
「父親を飛行機事故で亡くした女の子を攫うのか? 私は?」
それは外道の行いである。
ブリジットは、自分の家を思い出していた。
有名な財閥の家に育った自分、勉学も作法も一流でなければ許さない両親、その時は、親に従うのが普通だと思っていた。
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