エピローグ1
戦闘終了からおよそ二時間後、ヒルメス村の駐屯地と中央広場はかがり火が煌々と焚かれ、勝利を祝う宴が開かれていた。ある者はかがり火を囲み料理や酒を手に戦友と語り合い、またある者は自身の武勇伝を披露しているのか武器を手にして立ち回りを演じている。そんな彼らの脇には吟遊詩人が控えていて、この宴の為だけの叙事詩を作っていた。
兵士や冒険者の中には料理の得意な者もいて、数人が集まって軍から提供された野外調理器具を囲み、村から集められた食材を手際よく調理していた。その脇には行列が出来ており、腹を空かせた者達が出来たてを狙って待ち構えている。
ここまで大規模なものはそうそう無いが、いくさ後の宴は武芸者の嗜みである。彼らにとっては非日常から日常へと戻るための儀式であり、仲間を交えての反省会であったり、情報交換の場でもあったりもする。
故に一つや二つ宴会芸を身につけている者も多く、ある者は手持ちの、またある者は周囲の廃材を利用した即席の楽器を用意し、その場限りのバンドを組んで即興の演奏を奏でていた。彼らの演奏は決して洗練されてはいないが、陽気であり、荒んだ心を癒やし宥めるものであり、生の喜びに満ちあふれていた。
彼らの演奏を肴に皆は酒を飲み交わし、暫くすると腹ごなしに踊りや舞、歌を披露する者が現れ始めた。すると演奏にもいっそうの力が入り、それに釣られてさらに多くの人が踊りや歌に加わりだした。
そんな賑やかで平和な宴会であるが、早い者は既に酔いが回って建物や木に寄りかかって寝こけたり、虚空に対して説教をしたりしていた。また、かがり火に背を向けるようにして宿舎や空き家を目指す男女の姿も見受けられたが、大きな宴ではよくある光景であり、これらを含めて宴というものであろう。
そんな喧噪に包まれる駐屯地、その一角にある兵舎の貴賓室で俺は横になっていた。
「疲れた。しんどい。おうちに帰りたい。……けど動きたくない」
用意されたベッドは決して上等なものではないが、限界まで酷使した俺の身体を優しく包み込み、決して離そうとしなかった。
そんな俺にライアン達が苦笑するが、彼らとて疲れ果てているのは同じであり、背もたれに寄りかかって動く気配を見せていない。
「いやー。フミヤ王子ほどではないですけど、疲れましたねえ。Dランク相手に結界張ったのなんて初めてですよ、俺」
「まったくだ」
「ですわね」
フレッドの言葉にライアンとエミリアが頷く。確かに彼らの結界がなければ今頃この村は壊滅していたかもしれない。彼らは労われてしかるべきだろう。
「ははっ、皆さん相当お疲れのようですね。伝聞ですが、相当の激戦だったようで。その場に居合わせることが出来ずに申し訳ありません」
「アルフォンス殿にしか出来ない仕事があったのですから、致し方ありません。それにアルフォンス殿の到着が、結果的に最後の一押しになりましたからね。あなたが来るのが遅れていれば結界は保たなかったでしょう。助かりました」
「だよなあ。俺たちの中で余力があったのは、カーマインのおっさんくらいだろうよ。まあアルフォンス殿が、上手い具合においしい場面を掻っ攫っていったのは事実ですけどね」
フレッドの最後の台詞を聞いて、エミリアが思案気な顔をする。
ちなみにカーマインは外で宴を満喫中である。一度宴会で供されている料理を差し入れに来たが、またすぐに疲労を感じさせない足取りで冒険者達に絡みに行ってしまった。同じように結界を張っていたライアン達が疲労困憊であることを考えれば、驚異的な体力である。
「なんでカーマインはあんなに元気なのだか……」
思わずそうぼやく。別に答えを期待していた訳ではないのだが、アルフォンスは思い当たる節があったようで、少々悩んだ後に言葉を発した。
「カーマイン……指揮官……無尽蔵な体力……。ああ、なるほど。彼があの浮沈要塞でしたか」
恐らくは通り名なのだろうが、とても個人につけられる名だとは思えない。
「浮沈要塞?」
「ええ。鉄壁の防御力、卓越した前線指揮能力、何よりも三日三晩戦い抜けるという驚異的な
どうやら彼もまた、アルフォンスや彩花とは違ったベクトルで規格外だったようだ。
「さんざんアルフォンスのことを有名だって言っておきながら、カーマイン自身も有名だったんだね」
「いえ、優れた傭兵ではあるのですが、彼が真価を発揮するのは大概が負け戦ですからね。高位の傭兵や軍関係者にはある程度名が通っていますが、一般人や権力者への知名度はそう高くないはずです」
確かに彼の戦い方は地味というか堅実であり、華がない。まあ、彼自身そんなものを追い求めるような人ではないだろうが。
「浮沈要塞の名は聞いたことがありますね。通りでこの戦いの被害が少なかったわけです」
確かに振り返ってみると、この戦いの被害は少なかった。もちろん人的損害は言うに及ばず、建物などへの被害も殆ど無い。むしろ兵士達が使った銃弾や、防御陣地構築のために取り壊したことによる被害の方が大きいくらいである。
死者や負傷者に関しては、カーマイン達の頑張りによって抑えられたと言うことでも納得できるのだが、村への被害が少なかったことには疑問が残る。そもそも俺たちは、彼らの目的を知らないのだ。天狼を追ってきたことは確かだろうが、何のために天狼を追い求めたのか。そしてそのために死を厭わず軍と衝突したにしては、なぜ効率的な範囲魔術による絨毯爆撃を行わなかったのか。敵に対する謎は募るばかりである。
『魔物による土地の汚染が一番の被害であっただろうな。我がここに逃げ込んだが為に、魔物をこの地に呼び込むこととなってしまった。すまぬな』
そう思念で伝えてくるのは、アルフォンスの足元で丸くなっていた狼である。どうやら天狼はある程度姿や大きさを変えられるらしく、今の見た目は何処にでも生息している狼型魔獣といった風貌である。
「悪いのは敵であって、あなたではありませんよ、天狼殿」
『そう言ってもらえると助かる。それから一時とはいえ共に戦った仲間に、いつまでも天狼殿と呼ばれるのも据わりが悪いものだ。これからはテレジアと呼んでくれ』
確かに、俺たちにしてみれば人間殿と呼ばれているようなものである。知性と社会性を有しているのであれば、名を持っているのも当然だろう。
「あれ? テレジアってことは、お前さん雌か!」
『む、あれだけ一緒に居ながら気付いていなかったとは、少々寂しいものだな』
アルフォンスの言葉を受けて天狼改め、テレジアはしょんぼりとした雰囲気を発し、耳を折りたたんだ……が、送られてくる思念はからかう調子であり、尻尾も面白がるようにぱたり、ぱたりと揺らしていた。
「オオカミの性別を見分けられる訳がないだろ!」
『そうかな? そこな召喚士の娘御は我の性別に気付いておったようだぞ?』
「動物の専門家でもある召喚士と一緒にしないでくれよ」
どうやら、解毒している間にだいぶ打ち解けたようである。
ちなみに当の彩花は、俺の隣でぐっすりと眠っていた。彼女の今日の働きっぷりは相当なものである。疲れて眠るのも当然と言えよう。
(誰のせいでこんなに働くことになったんだっけ-?)
(言ってくれるな。酷使したっていう自覚はあるんだ)
森の探索中における索敵魔術。テレジアの傷の治療。林道での戦闘に敵の無力化、城への転送。通常は数人の召喚士が必要な軍隊の集団転移。止めに魔物との戦闘における魔法の行使である。そして何よりも、彼女が召喚した雷伯には大いに助けられた。
ちなみにその雷伯は、彼女が送還してしまいこの場にはもう居ない。
振り返ると、本当に誰か一人でも欠けていたらここまでの結果は得られなかっただろう。幸運を噛みしめるとともに、エミリアを寄越してくれた父にも感謝する。
そのエミリアはというと未だに物思いに耽っており、時折アルフォンスの方へと視線をやっていた。
喉の渇きを覚えて仕方なしに身を起こし、欠かせない仲間の一人であった御者からグラスを受け取る。口を付けながら思い返すと、彼女がアルフォンスを気にする素振りを見せたのはこれが初めてではなかった。たしか魔物を倒した直後もアルフォンスを凝視していた気がする。
(もしかして、もしかしちゃった?)
(どうだろうな。恋慕の表情には見えないが……)
まあ、高位の貴族は表情を自在に操れるのが必須技能である。その仮面の下で恋心が激しく渦巻いている可能性を否定することは出来ない。
「エミリアは何か気になることでもあるのかい?」
「いえ……戦後処理について考えていました」
……全くの嘘というわけでもないようだ。
「戦後処理……か。あまり思い返したくないなあ」
「ええ。王子には大変感謝しております。フミヤ様がいらっしゃらなかったら、未だにこの建物は非戦闘員で一杯だったでしょう。それにテレジア殿と雷伯殿のおかげで土地の浄化も早急に行う事が出来ました。ですが、やはり事が甲種非常事態と判断された以上、国と協会による合同の調査団が派遣されるのは確実です。調査が終わるまでは現場の保持や警備をしなければなりませんし、それによって妨げられるであろうヒルメス村の経済活動への補填も考えねばなりません」
本来であれば魔物への対処後、現場を封鎖して調査団による被害の確認をしてから浄化部隊を呼び寄せる。また、その間に現場に居合わせた者を隔離し、魔力汚染の検査と誓約魔術による部外者への口止めを行うのが常である。
それが今回は俺と雷伯、それからテレジアが居合わせたことで、土地と人の浄化や口止めがその日のうちに解決してしまったのだ。そのため調査団が来る前に、この地で人々が普段通りの生活が送れるようになってしまい、エミリアは人々の生活を妨げることなく戦いの痕跡を保存する手段を見出すべく、頭を痛めているのであった。
もしここが何の変哲もない村であったら、村人の苦情を無視してでも一時疎開させることもできただろう。だが、ヒルメスの森はリソニア王国の特産品であり、日常生活から軍事行動まであらゆる分野で必要とされる戦略物資でもある、魔石の産出地だ。
戦闘終了直後ならばともかく既に浄化されたとあっては、エミリアの持つ権限では村人達を疎開させることはできない。故にこうしてエミリアは悩んでいるのだろう。
『すまぬな。世界の調和を保つのが我ら一族の使命でもある。幼き頃から土地の浄化を叩き込まれてきた故に、反射的に祓ってしまった。我がもう少し人の世に詳しければ、そのように悩ませることもなかっただろうに』
「いえ、いずれは浄化せねばならなかったのです。魔物を呼び込む危険性を考えれば、早いに越したことはないでしょう」
「まあ、おかげで僕まで駆り出される羽目になったんだけどねー」
そう、テレジア達が土地を浄化したおかげで、本来なら隔離されたままであったはずの非戦闘員たちまでもが自由に行動できるようになったのだ。そうなれば、あとは宴へと流れ込むのが自然な流れである。放っておけば暴動が起きかねない村人達の様子を見て、俺は仕方なしに居合わせた全員に誓約を掛けることにしたのだった。
かなりの精神的疲労を受けたことから余り思い出したくないのだが、エミリアとテレジアの会話を聞いているうちに次々と戦後の記憶を思い出してしまった。
あれはそう、戦闘直後の出来事だったか……
勝利に沸く皆の顔を、アルフォンスの肩の上から眺める。すると、その中にひとり雰囲気の違う者が居た。通りの中央にそびえ立つ大木から放たれる光を頼りにその者の顔を見ると、聖域結界を担当していた一人である、エミリアだった。彼女は真剣な表情でこちらを……いや、アルフォンスを見つめているようであり、その胸中には様々な思いが渦巻いているようだった。
とはいえ、何時までもこうしているわけにもいかない。魔物討伐の充足感もだいぶ味わったことだし、そろそろ事態の収拾を図るとしよう。アルフォンスから降り、未だに思考に囚われたままのエミリアに声を掛ける。
「エミリア侯爵! 戦後の指示をよろしく頼む!」
俺の呼びかけで瞳の焦点があったエミリアはようやく現状が認識出来たようであり、いつの間にか現れていた大木に面食らっていた。
「……えー、そうですね……先ずは……」
「先ずは宴会に決まってんだろうがぁ!」
エミリアが言いよどんでいると、カーマインが浮かれた調子で口を挟んできた。カーマインの言葉に冒険者達の尽くが激しく同意し、兵士の一部も追従していた。
「気持ちは分かりますが、事が事だけにそうはいきませんの。先ずは……」
『そうだな。宴も良いが、先ずは魔物に汚染されたこの土地を浄化すべきであろう。幸いにも、王子の一撃でかなりの魔力が吸収されている。我とそこな白虎が協力すれば、直ぐにでも調律は終わるだろう。やるぞ』
「ぐぅあぁう」
言うや否やテレジアと雷伯は大木を挟むように立ち、遠吠えの二重奏を奏でながら歩き始めた。
神聖な響きを伴った二匹の鳴き声は緩やかに旋律を奏で、静謐な舞を連想させる彼らの足運びは徐々に理力の光を帯びていった。
一本の木を軸に円を描く二匹から放たれる光は、二重らせんを描いて天へと昇っていく。
何処まで昇ったのであろうか。もはや一本の線にしか見えなくなった辺りで術式が展開する。気がつくと地上にも術式が展開されており、この地は一時的に龍脈の流れに組み込まれていた。
天と地を繋ぐ一本の弦となった螺旋は二匹が奏でる旋律に合わせて振動し、笛の音にも似た音を世界に響かせる。その音が身体を通過するたびに身体の不調が解消され、体内の魔力バランスが整えられていくのを感じた。
(これが幻獣による世界の調律か……)
(きれいだねー)
泣き出したくなるくらいに、酷く幻想的な光景だった。
そしてふと、魔物を呼び寄せた巫女の舞を思い出した。彼女の舞は世界の尽くを否定するものであった。怒りや憎悪といった感情すらも否定し、全てが魔力に溶け、魔力の下に全てが均一となり一体化することを望んでいたように思う。
それに対して目の前の光景は、世界を祝福するものであった。あらゆる存在を肯定し、あらゆる感情を容認する。それでいて受け手が悪徳に走ることなく、周囲との和を成したくなるような慈愛に満ちた光景であった。
誰もが黙して語らず、目の前の光景を見守っていた。中には涙を流し、祈りすら捧げる者もいた。
そして何時しか、儀式は終わりを迎えていた。だが術式が消え、二匹が歩みを止め理力の光が収まっても、誰一人として口を開こうとはしなかった。
『ふむ、これでもう魔物が付け入ることはないだろう』
テレジアの思念により皆は我に返ると、ぽつりぽつりと拍手が鳴り始め、あっという間に万雷の拍手が巻き起こった。
「すげぇな!」
「ああ、こんなに感動したのは初めてだ」
「俺、生きてて良かった……」
皆、思い思いに感想を述べ始める。収集がつかなくなりそうになったところで、村の入り口から灯りが近づいてきた。
「エミリア中佐……エミリア中佐! これは一体何があったのですか!?」
近づいてきたのは、数騎を伴ったロディ少尉であった。
「ロディ少尉ですか。いろいろとありすぎたので詳細は後ほど伝えますが、こちらの状況は無事終了しました。そちらの小隊は無事ですか?」
「はっ。道中で二度小規模な戦闘を行いましたが、負傷者、死者共におりません。現在は橋の手前に待機させ、村の入り口を封鎖しております」
「分かりました。では、入り口の封鎖は一個分隊に任せて、残りは村の探索と遺体の回収を行ってください」
「かしこまりました」
ロディと共に灯りが遠ざかっていく。
「どなたか照明をお願いします」
エミリアの言葉に数人が照明の魔術を発動する。
「小隊長、駐屯地に村の照明を作動させるように伝令を出してください。それから申し訳ありませんが、皆様は暫くここで待機をお願いします。王都から急ぎで調停官を呼び寄せますので、それまでお待ちください」
調停官は、誓約魔術を専門に取り扱う職業である。誓約魔術の使用に資格が必要な訳ではないが、確実に契約内容を守らせることが出来る、あるいは契約を結んだ相手に破ったことが伝わる誓約魔術は、様々な場面で必要とされている。
故に殆どの国は、誓約魔術に精通した術士を調停官として取り立てている。
今回のような甲種非常事態の場合、各国の軍あるいは熟練の武芸者が持つ魔物の討伐手段を秘匿するため等の理由から、誓約魔術により情報を規制するようにとマニュアルには記載されていたはずだ。
たしかに未熟な若手が魔物の討伐手法を知り、実入りの良い魔物討伐に赴いてしまう等の事態を防ぐにはある程度効果があるかもしれない。だが、長い歴史により魔物討伐のノウハウも蓄積されてきており、マニュアルが作られた当時に比べればかなり安全な討伐方法が確立され、広まっている。
故に、形骸化したマニュアルだと考えていた…………今日までは。
憶測でしかないが、協会の上層部は今日戦った敵の存在を、昔から知っていたのではないだろうか。魔物を呼び寄せることが出来、恐らくは世界の崩壊をもくろんでいるであろう組織のことが広く知られるのは、非常に厄介である。
そもそも魔物は通常、異界や僻地に生じた魔力溜まりを足がかりに侵入、あるいは発生する。そのため、都市部に近づく前に発見し対処することが常であり、市民の生活が脅かされるような事態はまず起こらない。せいぜい、交易ルートが寸断される程度である。
それが人為的に、人口密集地で魔物の召喚が行われる可能性があると広く知られれば、深刻な社会不安が引き起こされるのは間違いないだろう。
さらに言えば、破滅願望や社会への不満を持つ者が敵組織に加入する恐れがあるし、権力者などが支援と引き替えに、競争相手に魔物をけしかける等の事態が起こりかねない。
それを考えれば、情報規制もやむなしだろう。
だが、一兵士や一協会員がそんな規則を知るはずもない。縦しんば知っていたとしても、従うはずもないだろう。
故に、戦いが終わった後も拘束を要求するエミリアの言葉に、冒険者のみならず兵士達も不満の表情を見せる。
一方、エミリアは立場上マニュアルの内容を把握しているのだろう。国王に任されて訪れた地で甲種非常事態に遭遇した以上、彼女も引くわけには行くまい。
場に不満と緊張が満ち始める
「ただいま戻りました。ノーマン分隊長からの連絡ですが、駐屯地の防衛は成功。軽症二名の他には損害はないとのことです。また、光の柱を確認した村人達が解放するようにと要求しており、エミリア中佐に判断を求めています」
伝令の言葉に、不満を現していた者達は我が意を得たりとさらなる無言の圧力を掛ける。すでに場の空気は一触即発の状態であり、何かきっかけがあれば暴動が起きかねないだろう。
「なあ、エミリア殿。その調停官様はどれくらいで到着するんだ?」
「協会の調査団の到着を待ってからということなので、余程早くとも一時間は掛かると思われます」
「……それまでこの状況で保つと思うかい?」
カーマインの問いにエミリアが小声で答える。
……最低でもあと一時間か。まず保たないだろうな。しかたない、やるか。
(えー、まだやるの? もうくたくたじゃない)
(かといってこのまま眠る訳にもいかないだろう?)
いつの間にか雷伯に寄りかかって、船をこいでいる彩花を横目で見る。
(仕方あるまい、僕も手を貸そう)
(俺に出来ることはもう無さそうだな。先に寝るぜ、また何かあったら起こしてくれ)
ジョンの手助けがあるのは心強い。源太の場合この場では武法術は役に立たないことだし、常駐するだけで疲労が蓄積される人格が一つ減るのは助かる。
「おい誰か! 誓約魔術が使える奴は居ないか!」
「ふぇっ!」
カーマインの呼びかけに皆はお互いの顔を見合わせ、首を横に振った。ついでに彩花も起きたようで、辺りをきょろきょろと見回していた。
「彩花、君は誓約魔術を使えるかい?」
「すみません。召喚獣との契約に用いる誓約魔術以外は、からっきしです」
「……分かった。カーマインさん! 僕がやるよ」
俺の言葉にカーマインはこちらを振り向く。
「王子の言葉を疑うわけではありませんが、本当に使えるのですか?」
「ああ。問題無いよ。誓約魔術に関しては網羅しているからね」
「はあ……。本当にフミヤ王子の引き出しは多いというか、何でも出来るのですね」
「必要とされそうなことを優先的に学んでいるだけさ。周囲の人に任せられそうなことに関しては余り力を入れていないし、不測の事態に陥ったら役立たずになる可能性が高いだろうね」
「……はあ。王子はもっと冷静に、ご自分の年齢を認識なされたほうがよろしいと思いますよ。まあ、おかげで今助けられているのですがね」
カーマインの言葉に周囲の皆が賛同する。そんなに人を非常識の塊のように言わないで欲しいのだがなあ。
「そんなことはどうでも良いじゃないか。さあ、仕事だ仕事」
かくして俺は疲れ果てた身体に鞭打って、誓約魔術を行使することになった。とはいえ、村人を含めた二百人以上の数に対して一人一人掛けていった訳ではない。
先ずはこの戦いに臨んだ戦闘員達を一纏めにして誓約を掛けた。内容は、国が許可するまでは村人達や遅れてきたロディ達兵士を含む、関係者以外の人物への情報伝達の禁止。特に魔物の存在と敵組織、及び幻獣を含む魔物を退治した面々に関する情報は、間接的に匂わせることも含めて、表現の一切を禁止させた。
次いで、避難していた村人や戦力に数えられなかった数名の冒険者、そしてロディ達に対して誓約を掛けた。内容は、俺と幻獣の存在の秘匿及び、見聞きした内容に関する口外の禁止、加えて前述した戦闘員達への詮索の禁止である。
多岐にわたる制限を掛けることから反発が起きることを予想したのだが、皆よほど騒ぎたかったのか、唯々諾々と誓約を受け入れてくれた。
ここまでやって、ようやく俺は休息を取ることが出来るようになったのだった。
そこから先の皆の行動は早いもので、片付けられる範囲の瓦礫を速やかに撤去し、どこからともなく大量の酒と食材を用意したかと思うと、あっという間に宴会場を設営してしまったそうだ。しかも誰が発案したかは分からないが、戦闘組と非戦闘組で宴会場を分けるという配慮までされていたそうだ。
おかげで皆は気兼ねなく今日の出来事に対して語り合うことが出来、最高の酒の肴にされているとのことである。
とはいえ、これらは全てカーマインからの伝聞である。俺は、誓約の魔術を行使した後直ぐに御者が用意してくれていたこの貴賓室に移動して、こうして今現在に至るまでだらけているのであった。
「そういえばさ、テレジアは今後どうするんだい?」
俺の問いかけにテレジアが首をもたげる。
『ふむ。まだ我も本調子ではない。叶うのであれば、今後も引き続き解毒治療を受けたいのだが、良いだろうか?』
「それは僕たちと一緒に居たいということだよね。……そうだね、アルフォンスが良いのであれば、別にかまわない。と、言いたいところだけど、幻獣を連れて行くとなると色々問題が生じそうなんだよなあ」
これがただの魔獣であればそこまで問題にならないのだろうが、幻獣という存在はこの世界において非常に影響力があるのだ。もちろんテレジアも偽装は掛けているだろうが、見る人が見ればその正体は分かるだろう。
王城に国の所属ではない特記戦力を連れ込むということも問題ではあるのだが、八龍信仰の信徒や神獣学の連中に知られると、何が起きるのか予測が出来ないのが厄介である。幻獣に一目会えると言うだけでも人が殺到するであろうし、信仰心や好奇心から良からぬ事を企てる者も必ず出るはずだ。
「誰か良い案はないかな? おそらく問題になるのは、王城に戦闘能力の高いヒト種以外の生き物を連れ込むことと、八龍の信徒や神獣学の研究者達に正体がばれたときの対策だ」
俺の問いかけに皆が考え込む。
「そうですわね。王城の警備と研究者たちに関しては、従魔の契約を結ぶことでどうにかなるかもしれません」
「従魔の契約?」
「ええ。そもそもクロックフィールド領で産出している軍馬は、体格や戦闘能力に優れた魔獣です。そのため、都市部に連れ込む際には人へ危害を加えないように、国あるいは個人を主として、その命令に従うように誓約を掛けているのです。また、従魔の契約を交わした魔獣は法的に契約者の庇護下にあると認められているので、許可無く危害を加えることが許されていません。研究者達もそのことは弁えているでしょうから、徒にちょっかいをだすことも無くなるでしょう。まあ、正体が露見しないに越したことはないのですが」
「つまり、僕にもう一働きしろと?」
「そういうことになってしまいますわね」
「たぶんこれから来るであろう、調停官に任せられないのかな?」
「対象の格が高くなるほど、術式の難易度が上がるのはフミヤ様もご存じのはずです。テレジア殿のような幻獣を相手に誓約を掛けるのは、よほど誓約魔術に精通している者でないと無理でしょう。現在我が国でそれ程の魔術が使えるのは、賢者様の他には王子ただ一人だと思われます」
これが西の大国であればまた勝手が違うのだろうが、調停官といっても人間同士の契約を補強することが主な役割である。霊格の高い幻獣と誓約を交わせるほどに、誓約魔術へ傾倒する必要性はないのである。
「……あー、そうだろうね。分かった。これもテレジアの為だ。もう一肌脱ぐとしよう」
『すまぬな、フミヤ王子』
「僕たちは戦友なのだろう? 気にしなくて良いさ。ところで、テレジアの契約相手は誰にする?」
「従魔の契約主には、いざというときに従魔を無理矢理従えることが出来る力が求められます。この場で最も強い方となると……」
自然、皆の視線が一カ所に集まった。
『だろうな。我としても異存は無い。頼まれてくれるか?』
テレジアは伏せた体勢のまま頭上を見上げ、そう語りかけた。
「あー、俺ですか?」
皆の視線に晒されたアルフォンスは、頬を掻きながらそう答えた。
「まあ、解毒を手伝うとも約束しましたからね。良いでしょう。そのお話、承ります。契約はここで行うのですか?」
アルフォンスの問いに、俺は『
「万全を期したい。日付が変わる頃、月の下で行おう」
「分かりました。まだ暫く時間がありそうですね。他に話すこともなければ俺は宴に参加してきますが、どうです?」
「もう一つ、八龍の信徒に知られたときの対応をどうするかだね」
「ああ、それがありましたか」
「城の中に籠もっていれば信徒に会うこともないだろうが、城内に幻獣が居ると知られれば、城の前は大変なことになるだろうね」
さながら前世で言うアイドルの出待ちであろうか。王都の住民に迷惑を掛けるのは確実である。
『そのことなのだがな、我に一つ考えがある。特に心配する必要はないと思うぞ』
「なにか策があるのか?」
『それはまあ、後でのお楽しみというやつだ』
テレジアには何か考えがあるらしいが、アルフォンスの問いかけをはぐらかすばかりである。まあ直ぐにばれるものでもないだろうし、テレジアの案を見て、それが駄目であればまた考えればいいことだ。
「それじゃあ、僕は少し寝るよ。時間が来るか、調査団が到着したら起こしてくれ」
そう言って俺は寝台に倒れ伏す。やはり相当疲労が溜まっていたようで、気を緩めるとあっという間に眠りに落ちてしまった。
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