第1律 星の空を駆け上り

第1話 タマゴに恋をして

 ご存じのとおり、人類で初めて『卵』を立てて見せてとある逸話をつくったのは、新大陸までの航海路を発見したコロンブスである。


「みなのもの。この卵を立ててみよ」


 と云い、卵は不安定でころころと転がって誰もできず、言い出しっぺのコロンブスが最後に卵の底尻を机に叩きつけ潰し、


「ほら、立てて見せた」


 という話である。そんなの方法がありかと文句がでそうであるが、この話のキモは一見簡単そうにできることを、初めてやるのは難しい、ということである。

 まあしかしながら、この逸話。実際の諸説を正しく辿れば、遠近法を見つけた建築家フィリッポが残した逸話で、ともあれ、人類で初めて『卵』に恋をしたのは目尻のほくろがなんとも艶やかな男、シュラン・エアス・アクウィラである。


 え? なにをいっているんだこいつ? と思ったかい。


 その通りである。

 

 もちろん、このシュランという人物が、卵を研究し一生を捧げた研究者からなどで、そういうのでない。シュランは実際に『卵』に一目ぼれしてしまったのである。


「はぁ……なんて愛らしいタマゴなんだ……! ツノ踊る!」


 むろんのこと、鶏の卵とか、啄木鳥きつつきの卵とか、ダチョウの卵とか、マンボウの卵とか、そんなありふれた卵を彼は恋の相手に選んだのではなかった。恋した相手は尋常ではなかった。


 恋した卵は直径約二〇〇メートルもあり宇宙空間に浮かんでいたりした。


 それも――


 土星あたりに。最悪な一目惚れである。


「……花束でも持っていくべきだろうか……」


 シュランは呟いてはっと我にかえる。


「『卵』に思いを抱くなんて! 普通じゃない! 正気に戻れ、俺!」


 恋する者は理性を失っている。そんな言葉があるが、まさに、それ。

 日に日に高まる『卵』への情熱と、そんなことはダメだという理性はせめぎ合い、シュランは混乱と憔悴の極みにたしっていた。


『こら! 宇宙の果てに飛ばされちまうぞ! なにをしておる!』


 通信器より、怒声が響き渡った。


「何でもありません!」

『何でも無いであるか! よく見ろ!』


 激怒されシュランは仰ぐ。


 まず橙黄色の一面が視界いっぱいに広がった。

 次に半透明や緑色をしたツブが数億の数で一本の帯を作るように流れている。

 そのツブの側には白い棒状の物体一本が浮かんでいる。


 橙黄色の一面は巨大な土星であり、半透明や緑色をしたツブはピンポン玉から車サイズまであるという氷の塊が集まり漂流してできた土星の輪だ。


 白い棒状の物体は、全長八キロのシリンダー型をした建築物。通称オニール型と呼ばれる宇宙コロニーであった。宇宙コロニーとは何十万の人々が居住するための人口基地みたいなもの。宇宙空間で浮かぶ巨大居住施設といったところか。

 

 そのコロニーが小さく見える。いつの間にか、コロニーの建築作業場から離れてしまった。


「磁気嵐に煽られただけですよ、親方!」


 シュランはあっけからんと大嘘をつき、作業宇宙服ハードスーツの小型エンジンを作動させ宇宙空間を一気に飛行する。


 無窮の闇に点在する星々がキラキラと流れゆき、土星がのし掛かるような圧迫感をもって迫ってきた。


「あいかわらず、土星はでけーな。人がちっぽけな蚤サイズになっちまう」


 シュランは感慨深く土星を眺めた。地球の約十八倍――直径十二万キロもあり、水素やヘリウムなどから形成される、太陽系の内側から六番目にある巨大惑星・土星だ。


 宇宙にでると人がいかにちいさいか。

 常々、シュランはそう思い知らされる。


 次にコロニーを見た。いまだに建設中であるが、それでも雄大で、銀色に輝く美しいコロニーだ。左半分はまだ完成しておらず、合金製の鉄骨林が露出している。


 シュランは宇宙コロニーなどの恒久的宇宙施設の建築作業員であった。宇宙空間を行き交いし、運ばれたモジュール部品をコロニーに溶接したり、はめ込んだり、点検したりとする作業員だ。

 

 西暦で年を語るのはすでに古く、宇宙標準時間。銀河歴で年を語る時代。


 コロンブスが海の先に新大陸を求めたように、人類は人口の爆発的増加の問題を、その住むべき新天地を星々が輝く大海――宇宙に求め、コロニーや宇宙ステーションが乱立建造されていた。


 人々は宇宙空間で生活するという時代なのである。


『シュラン! きいているのか! 太陽フレアまであと五時間もある。嘘をつくな!』


 再び、通信より親方の怒声が響き渡った。


「ばればれか……」


 シュランは返答に窮した。恋をしてしまい仕事が手につかない。それ所か、恋の相手が『卵』であるなど言える訳がない。うっかり話そうものなら、完全に狂人扱いだ。


『いい訳はあとでいい! 研究ルームの方が大変なんだ! 急いできてくれ!』

「研究ルームと云うと……」


 シュランの胸が奇妙な喜びに踊った。


「あの、タマゴがある場所!」


 ×  × ×


 研究ルームの鉄の壁に赤い熱線がしなやかと上下左右に走る。


「扉が開かなくなるとは! 電気系のショートか?」


 シュランはレーザー火器で焼き切った箇所を、蹴り飛ばす。四角く開けられた穴より侵入してきたのは作業宇宙服ハードスーツを着たシュランと中年の男であった。


「シュラン! 消火ガスの――」


 中年の男がシュランに声をかける。研究ルーム内は火災を察知したのか、それとも誤作動なのか、消火ガスの白靄に包まれ前方が全く見えない。


「解っています。バルブ、閉めてきます」


 シュランは真っ白な視界をものともせず悠然と進みだした。


 シュランが着用しているのは、スーツ感覚の作業マシンを実現させた作業宇宙服ハードスーツだ。右手にはボルト打ち込み機を内蔵し、左手には熔接用レーザー火器、磁力靴、そして赤外線視野などの建築作業用装備をほどこしているため、前方が見えているのである。


「じゃあ、あたいは配線盤の方ね」


 気っ風のいい女性の声がし、開けられた穴から反重力装置で浮遊する鉄球体が入ってきた。この鉄球体は建築用アームポッドというもの。鉄球体の周りには蜘蛛を思わせる機械の手であるマニピュレーターがいくつかあり、これで作業する。大きさは、シュランの身の半分ぐらいで、搭乗者が人間にしては小さすぎるのが伺えた。


「ミャウ。わしは感知計器類を見てくる!」

「あいよ!」


 ミャウと呼ばれた人物が乗るアームポッドは右奥へ進み、親方と呼ばれた中年の男性は左奥の通路へと進んでいた。


「これで、ガスはおさまる、と」


 シュランはバルブを閉め終り、ふとあるものを目撃し、身震いをした。

 消火ガスがたちこめる、最も濃密な箇所。黒い物体が浮かんでいる。いかにも、それはこの場に、場違いな品が浮かんでいたのだ。


「……あれって、何百年も前の帽子だったっけ……」


 シュランは己の眼が見たものを疑うように呻いた。何百年前の地球で愛用されていた黒い紳士帽が高速回転して浮かんでいる。

 奇異で不可解な光景あった。


(俺は、そんなにだめなのか……幻覚をみるほどに……いっちまったのか? ツノマジ?)


 呆然とするシュランをよそに、回転するシルクハットは青い放電をばちばちと発した。


(電気?……現実?) 


 シュランが判断しようと目を凝らすと、シルクハットはふっと掻き消えた。


(いや――)


 シュランはただでさえ、『卵』に思いを抱くという感情をもてあましている。混乱している。アホウである。大馬鹿者である。希望の光を求めるように発想転換をした。


「――また、ミャウ姉のいたずらだな。全く、ミャウ姉の星族は悪戯ずきだから……」


 シュランはぼやき、歩きだした。


「異常はなしだ」


 中年の男性が奥の通路から戻ってきた。続けて、ふよふよと浮かびながら、


「あたいのとっこもなし。ショートしているかな、と思ったんだけどね」


 ミャウが乗ったアームポットがやってきた。


「熱反応もなしです、親方」


 シュランが答え、ロックを外し作業宇宙服ハードスーツのメットを脱いだ。ウエーブのかかった長髪がゆれ、褐色の肌で、泣きほくろ。額には角が生えた顔が外気にさらされる。


 シュランの額に角があるのは地球人とシリウス星人との混血児だからだ。


 シリウス星人は『星界の妖精』とも呼ばれる程の美しい種族で、最も特徴的なのが額にある主眼角アイホーンである。人間でいうところの第六感を司る。この時代、恒星間跳躍飛行――所謂、ワープ飛行技術によって、地球人と他の惑星に住まう異星人との交友があり、結婚も珍しくない。


 ちなみにシュランの体形はがっしりとした長身の偉丈夫。


 『星界の妖精』とは程遠い、『星界の蛮族』と呼べる体躯の持ち主で、その容姿は悪くいえば灼熱の砂漠で暴れまくる悪童、よくいえば星降る砂漠で佇むミステリアスな王子を連想させた。


 まあ、シュランは暴走した体重九〇〇キロほどある軍事用強化人間にジャーマン・スープレックスを喰らわし、抱き枕よろしく宇宙大虎を抱きかかえて一緒の檻で寝ていたやらの逸話をもつ男であるから、『星界の蛮族』、『シリウスの怪童』やらの異名がしっくりくる人物であろう。


「全く、訳がわからんわい……」


 親方と呼ばれ続けた男がチャームポイントである口髭を触りながら困惑した。いかつい顔で、美しい太眉をした筋肉質の大男だ。名をゲオルグというが、みなは何故か親方とも呼び、今の時代には珍しい生粋の地球人である。


 この親方ゲオルグはコロニー建設の工事長で、シュランは第三工事作業員、ミャウは電子工事主任という肩書きとなっていった。


「なんか、最近、多いよね。こういうこと……」


 ミャウがアームポットのハッチを開き、顔をひょっこと覗かせた。童顔といって相貌に小金色の尖った耳がついて、全身はリスみたいなふさふさとした毛で覆われている。ミャウはスピカ星族で、地球人から見ると幼児体形だが、これでも成熟した女性だ。


 ミャウのスピカ星族は悪戯好きで、まだ地球人が他の異星人がいることを知らない頃から地球にお忍びでやってきは、プラズマ砲を麦畑なんぞに打ち込んで、ミステリーサークルを作って、地球人の反応を楽しんでいたことがあった。


「やっぱり、原因はあれじゃないの」


 ミャウがそう言うと、三人の目線が一点に集中した。


 消火ガスは消失しつつあり、研究ルームの全景が見渡せるようになっていた。

 この研究ルームは大型宇宙船を停泊させるドックを改造したもので、そこに土星近郊より捕獲されたあの巨大な『卵』があるのだ。

 研究ルームには研究目的で何百もの管や機材がひしめいており、その中央で、『卵』は不思議な光を放ち浮いていた。


 頭の天辺から優雅な曲線を描く、まるで見事な『卵』


 『卵』は心臓の鼓動に似た間隔で点滅し、赤とも白ともいえぬ、神秘的で、吸い込まれそうな白桃色の輝きを放っている。


「あれって、なんなのさ。土星の近くに忽然とあらわれたのよね。んで、ここにもってきちゃったのよね」


 ミャウが頬杖をしながら、ゲオルグに尋ねる。


「マーシャとかの研究員達は、未知のエネルギー物体だとか、宇宙卵とか、いっていたぞ」

「宇宙卵? なんなのさ、それ」

「よくわからん。オリオン座のベテルギウス方から飛んできたともいっていたな」

「ベテルギウス? 膨張している星だっけ。ふ~ん。あのさ、あたい、思うだけど……これって、古代火星人の遺産じゃないの?」

「あの宇宙をつらぬく程の巨大な建造物を造ったやらのか。ホラ話のたぐいだろうよ」

「もう、ホラとかじゃないよ! 古代火星人はいたの! 何億年も太古、全宇宙系を統一しながらも、ある日、忽然とその姿を消した伝説の星族! 星で描かれた鳥の絵。プレアデス星団に漂う謎の巨大銅柱。地球から射手座方向にある光の粒子で作られた亜空間巨大迷路アグラス…」


 どこか夢見る乙女のようにミャウは言う。


「宇宙のあらゆるとこに彼らが残した遺産はあって、これもその一つなのよ。なんか、そういう方が、素敵じゃない?」

「――素敵だ」 


 今まで黙っていたシュランが発言した。


「あら、シュラ坊もそう思うのかい。意外だ」


 ね、と言いかけて、ミャウは眉を歪めた。シュランがミャウとゲオルグの二人をうっとりとした目つきで見ている。


「なんだい! 気持ち悪いわね。あたいをそういう目でみるじゃないよ!」

「わしも、男にそういう目で見られるのは好かんぞ!」


 ミャウとゲオルグが嫌悪感に身じろぎした。シュランはびくっとし、


「いや……何でもないですよ、はっはっはっ!」


 取り繕うように呵々大笑したかと思うと、突然うな垂れて、溜息をもらす。


「相変わらず変な子だね~ぇ。あっ! そうだ!」


 ミャウが突然、思い出して、アームポッドの中をごそごそを探りだした。冷凍蜜柑や尻尾のお手入れ本など得体の知れぬものがぽんぽんと放り出された、ちょっとの間。


「あった……シュラ坊、これ!」


 ミャウはシュランへ向け丸い金属の物体を投げ渡した。シュランは怪訝な表情で、その物体を眺めた。


「なんですか? このホログラフィ装置……また、悪戯じゃ……!」

「うふふ。そんなんじゃ、ないよ。あっ! だめだよ。一人きりになったときに、スイッチを押してくれ」


 シュランが立体映像装置である小型ホログラフィ円盤のスイッチを押そうとしたのを、ミャウが慌てて制す。それはもう重い荷重を背負った嫌な顔をして、シュランは深い溜息をついた。


「悪戯じゃないって……」


 ミャウは頬杖をつき、そんなシュランを微笑ましい笑顔で見詰めた。しかし、シュランは再び溜息をもらす。


「ちょっと……」

「いや、何でもないです……はあ~」


 言った側から長嘆をされて、ミャウはむっとした口調で言う。


「もう、溜息ばかりついて!」

「いや、ミャウ。シュランは最近、溜息ばかり。仕事に身がはいっておらん。ちょっと前なんぞ、作業場から遠くに流れされておったぞ」


 ゲオルグが思案げにいう。


「そりゃ、いけないね。なにか悩みごとかい? 解決できることなら相談にのってやるよ」

「――別に」

 理由を言える訳もなく、シュランはホログラフィ円盤を玩びなら素っ気無く答えた。


「あら、そうかい。じゃあ、仕事を辞めてもらうよ」

「いきなり、そりゃ、ないでしょ!」


 シュランは慌てふためいた。


「うむ、ミャウの言うとおりだ。注意力散漫では大事故を起こしかねんしな」


 シュランが黙り込んだのを千載一遇の好機とばかりに、ミャウとゲオルグは攻め立てる。


「いっちまいなよ。楽になるよ!」

「そうだ。このままじゃ、仕事もままならんだろう?」


 シュランはまじまじと二人を見返した。目が笑っている。もうミャウとゲオルグの瞳を彩るのは好奇心だけであった。


「もう、あんたを――!」

「ああ! 解りましたよ」


 ミャウがしびれをきらし言いかけたのを、シュランは不貞腐れるようにして小声で言う。


「実は……恋をしたのです……」

「はっ? きこえないよ」

「もっと、大きな声でいってくれ」


 ミャウとゲオルグは顔を寄せて近付いてきた。わざとやっているのかと、シュランは渋い顔をしながらも、大声で叫んだ。


「だ・か・ら、恋をしたんです! 好きな人ができたんです!」


 言って、シュランは後悔した。嫌な沈黙の間が場を支配したから。時間が凍り付くような、流星の動きすら止まってしまうかのような間。


「快寝、快食、快便、おまけに屁はこのコロニーイチ臭い! そんなお前が、今までうじうじと思い悩んでいたのかぁ!」


 吹き出して、ゲオルグが笑いだした。


「ちょっと、よしてよぉ。シュラ坊がぁ、恋の悩み! 似合わないよ。きゃはははは! 内臓がよじれちゃう! ああ、胃袋でそう! おえ!」


 黄梔子色くちなしいろの胃袋をおえと出して戻す、というスピカ星族として極当たり前の動作をしたミャウはアームポットのふちをばんばんと叩きながら大笑いし、シュランはむすっとむくれた。


 ちなみに胃袋を出すという行為。


 地球ではカエルが自分の胃袋を洗うためにしたりする。スピカ星族の場合、胃袋に貯まった毛玉を取り除くためにする行為らしい。よい子は真似してはいけない。


「ごめん、ごめん。で、相手はどんな子なのよ」


 目尻にたまった涙を拭いながら、ミャウが尋ねた。


「えっ? 宇宙を宇宙服なしで活動できる子です」

「おっ! 呼吸が違うのか? そりゃ~悩むかもな。姿はどうなんだ、人間型なのか?」


 ゲオルグが笑いの衝動を抑えつつ尋ねる。


「ミャウ姉みたいに、胸も腰もないようなズンドウかな。それで、光を発します」

「なんか、聞き捨てならない言い方ね。失礼よ! いっとくけど、あたいはスピカ星族いち素敵なボディなんだからね。ミススピカよ! 光を発するといったね」

「ほら、あの子じゃないか? 体が発光体で青く光っている、事務の子」

「え~。ベガ星人なの? いい身体をしているけど、発情すると硫酸を吐くよ。そんなの……」


 言いかけて、ミャウははっとした。また、シュランは我を忘れたように、こちらをうっとりとした目つきで見ているのだ。ミャウはぎこちなく後にある物体を意識した。

 どうもシュランの視線の先は後ろにある物体に注がれているようで……


「あのさ。その子って、まさか……白とも赤ともいえない光をはなってない?」


 ミャウが半信半疑で尋ねると、シュランは心がここに在らずといった感じで、はい、そうですね、と答えた。ういっとなったミャウは自分の後ろにある物体を顧みた。


 後ろにある物体は、どう見ても、白とも赤ともいえない光を放っていて……


 ミャウはゲオルグに目配せし、その意味に気付いたゲオルグが不信を抱きながらも訊く。


「シュランよ。宇宙服なしで活動できるといったな。もしかして、はじめてあったとき、その子は土星の近くで浮いてなかったか?」

「浮いていました。もう、俺は一目見て、この角がスキップしました……」


 シュランは額の角を触りながら答えた。シリウス人が云う、角がスキップとは地球人が云う電撃が奔ったような一目ぼれのことを指す。


「ずんどうって言っていたわよね。まさか、腰のくびれなんか無くってさ。頭の天辺からする~~と曲線を描いているような感じ?」

「はい。虜にするような綺麗な曲線を描いています! 円周率も嫉妬します!」


 口をひくつかせながらミャウがした質問に、シュランはホログラフィ円盤を指先でくるくる回しながら淀みなく答えた。


 円周率の嫉妬ってなんぞやと思いつつミャウとゲオルグが互いの顔をみあわせ、苦いものを見るかのように背後にある物体に対して、首をゆっくりと巡らす。


 この後ろにある物体はどう見ても頭の天辺から見事な曲線を底辺まで描いているような感じで……


「まさか、その、その子は、この部屋にいないよな。シュラン!」


 最後の希望に縋るかのようにゲオルグが叫ぶ。


「いや、いますよ。後ろに……」


 一瞬、ミャウとゲオルグは息をするのを忘れた。


「いやー! このお馬鹿! しっかりおし!」


 悲鳴に近い叫びをあげ、ミャウはアームポッドから飛び出して、シュランの胸の上にのると、平手打ちをぱんぱんと繰り返した。


「卵じゃ、ロリコンも通り越して始末がわるいじゃないか! 嘘だとお言い!」

「ミャウ、違う! あの卵を目玉焼きにして食いたいだけじゃ。きっと、食い気と恋を勘違いしているだけだ!」


 ゲオルグがシュランに飛び掛かった。


「……俺も、そう否定したかったんですけど、二カ月も悩んで、もう悩むの面倒臭いから、好きということで、決着しようかな、と……」


 淀みなく至極冷静に言うシュランの目は本気であった。


「本気? 眼が本気すぎる~ぅ! 何いっての! 卵じゃ、受精した卵子に恋するようなものじゃない! 超ロリコン! ぴぎー! そうよ。あたいの卵子を幾らでもやるから、それで我慢おし! エロいことしよう!」

「そうじゃ! わしの玉もやる! 片方だけでもなんとかなるじゃろ! もぎ取るぞ! わしはもぎ取るぞ! だから、そんな馬鹿なことを言うのはやめろ! 痛いことしよう!」

「なーに、馬鹿な騒ぎしているの。修理は終わったのかしら?」


 高飛車な声がした。その声に、ミャウとゲオルグは動きをとめた。白いスーツを着た凄艶ともいえる美をもった女性が呆れ顔で立っていった。


「マーシャ! 助けておくれ! シュランが――」

「卵を好きになったって、また、お馬鹿なことを言うの!」


 青髪のボブカットをしたマーシャと呼ばれた女性の、長い両脚。それぞれに、ミャウとゲオルグは助けを求めるかごとくしがみついた。


「ちょっと、何なのよ。『卵』に恋をした?」

「そうなの。マーシャ!」


 マーシャは足元のミャウを一目見てから、自分の耳上あたりをこづいた。


「耳の自動翻訳機、壊れたのかしら。新調したばかりなのに……それとも、昔作った猥語名称に変換翻訳するウィルスがまだ残っていて、変に誤作動している?」

「あれは楽しかったねー。乳首の上にも三年とか。私の祖母は輝く絶倫だとか。お偉いさん、めちゃ困っていて……じゃなくって! 誤作動じゃないの!」


 ミャウが愛らしい手を上下させ騒ぐと、マーシャは肩の力を抜くように溜息をした。


「……疲れているじゃないの? 元々、このコロニー。月と地球のラグランジュポイントに建設予定だったじゃない。それが、あの『卵』を研究する目的で、研究用コロニーに転用されて……もう、移動しながらの強行建設。疲労で倒れたり、幻覚を見たり、血尿だすひとが続出だったでしょ」


 地球人とユプシロン星人のクォーターのマーシャは、莫大な記憶を溜め込める額の紅石をこつこつ叩きながら言った。


「あれが、血尿だすタイプに見えるか?」

「そう、幻覚でおかしくなるタイプ?」


 ゲオルグとミャウに言われて、マーシャは宇宙天然珍重保護異星人を見るようにシュランを見詰めた。シュランは、このコロニーでちょっとは知られた、愉快痛快小粋な星人だ。


「見えないわね……毎日、検尿コップを飲み干してうまいとかいってそうだわ」

「おい! 飲んでないから!」


 とのシュランの猛抗議は無視され、ミャウが頷く。


「でしょ。でしょ。毎日おかわりよ。それで『卵』に恋をしたとか、また、お馬鹿なこというの。どうにか正常に戻せない」

「あるわよ。脳の前頭葉を削除して、思考空虚人間ロボツトミーにすれば馬鹿なことも口にしないわ。ただし、自分で物事考えられない星人になってしまうけど……うふふ」


 マーシャは赤い紅の入った口元を愉悦に歪めた。


「それがいい! 『卵』に恋したなどの戯言をいうよりは、まだ、廃人の方がマシじゃ!」

「そうね。廃人の方がマシ! それがシュラ坊にしてあげる、あたい達の、最後の優しさよね……自分でお尻をふけなくなっても、あたいがしてあげるから……ふきふき」


 マーシャの意見に、混乱の極みにあるゲオルグとミャウが諸手をあげて賛同する。

 シュランはもうそれは嫌そうな顔をした。


「……もう、角へなるわ……ん?」


 と突然、シュランは額にある角に奇妙な気配を察知した。第六感を司る主眼角アイホーンが、である。


 その方向を見上げれば……


「ミャウ姉~ぇ。また、シルクハットですか。止めて下さいよ」


 との発言を受けて、マーシャの美脚にしがみつき、おいおい泣くミャウが言う。


「この子ったら、またまた訳の解らないお馬鹿なことを言って……もう、あたいは尻の毛までぬけちゃうよ……ぷちぷちよん」

「あら、ホント。シルクハットだわ」


 マーシャの冷静な声色に、しがみついていた二人が眉をひそめて見上げた。確かに、シルクハットが高速回転しながら浮遊している。絶えず青い放電を放って浮いている。


「なんなのよ、あれ!」

「地球に昔あった帽子だけど……ミャウ姉は知らないのか。じゃあ、あれ、なんでしょ」


 ミャウの叫びに、シュランが飄飄ひょうひょうと答える。


「小型の宇宙船じゃないかしら、ミクロサイズの異星人が乗るような……」


 知識があるマーシャがそう言ったときであった。


 突如、目を焼きつけんばかりの閃光が迸った。雷撃如き光を発したのは、むろんのこと、シルクハットである。氾濫した青光に対し、四人は各々の悲鳴と動作で目を覆った。


 光が乱舞し、その中から現れたのは、シルクハットを被った黒い男である。


 それは、まさに影の男としか形容できぬものであり、影の輪郭線に添って青白い気のようなオーラが立ち昇っていた。襟のたったコートを着用した影男の身体には満天の星が見え、躰そのもの、躰の内に別次元の小宇宙があるような印象があった。


「ちょっと、あんた、どこの星族! 失礼な奴ね!」


 ミャウが飛び上がって啖呵をきった。影男は啖呵に触発されたのか、血の三日月みたいな口を、


 にまっ


 とさせ嗤った。


 するとふいに寒気と陰気な重圧が一帯を支配し、ミャウは総毛だって、他の三人も、どこからもなく感じた怖気に鳥肌をつくった。


 違和感と戦慄に誰もが言葉をだせずにいると、浮かんでいた影男は、上方にある鉄橋へ降り立った。


 いや、降り立ったでなく、触れるか触れないかの寸前で、質の悪い病魔が広がるように、鉄橋が赤黒色に染まった。途端、鉄橋は中央から赤い砂となりながら崩れてゆく。


「錆びてしまったぞ!」


 ゲオルグが上ずった声で叫んだ。


 影男はそのまま下降し、床の少し上の所で浮遊停止する。そして、『卵』に向けて人差し指を立てて、つま弾いた。


 刹那、衝撃波が迸った。


 『卵』に張り付いていたチューブや管が切断され、周辺の機械類がばちばちと火花を散る。影男の指先より発生した衝撃波が破壊したのだ。『卵』を狙ったもので、衝撃波は卵の本体に命中することなく弾かれていた。


 影男の攻撃におののいた如く、『卵』が身震いをして、淡い光を放った。


 すると、どうであろうか。


 周辺のチューブや機械類などの、白桃色に照らされた箇所が、はえる深い緑色にかわった。植物に変貌していったのである。緑の草原がもさもさと広がって、管やチューブは枝となり、うねるように伸びると花を咲かす。遂には赤や白の色彩豊かな花畑まで。


 花が咲いたかと思うと、花びらが舞い散り、種をまく。


 種は飛び散って落ちると、芽をだし、急激な早さで成長していく。十年やそこらで起こる植物の成長が瞬きをする間隔で起こっている。


「なんなんじゃい! こりゃ! 地球の、おお! 百合もタンポポが!」


 ゲオルグが足元に広がってきた緑の侵食からあとずさる。


「ああ! スピカ星の植物もあるよ!」


 ミャウもぴょんぴょんと跳んで逃げ回る。


「う~ん、すごいな~」


 シダ、裸子、被子、コケ類。宇宙全土の植物を揃えた庭園となりつつある部屋を、シュランは嬉しそうに眺めやる。そんなシュランをミャウがとびあがり、ぽかりと殴りやった。


「このお馬鹿! 全部、シュラ坊のせいだよ。『卵』を好きになったなんて、言った頃から話がおかしかったんだい!」


 もう『卵』の四囲は深き林となっており、それ目掛けて影男が指を鳴らした。影男を正中とし、火焔の輪が大きく開く。草木が一瞬にして灰となってぼろぼろと崩れた。


 が、舞い積もった灰の下より、瞬く間に木々の蔓と枝が伸びてきた。『卵』を守護するべく、幾つもの枝と蔓が組み合わさって樹林の防壁を作りだした。


 ――助ケテ!!


 声があった。少女の声である。


 ――助けて!!!!


 頭に直接響く言葉。もちろんのことシュランは、


「助けにいく!」


 作業宇宙服ハードスーツを作動させ、猛然と跳びだす。


「どこかのスパイね! あんな素晴らしい研究材料、渡すものですか!」


 マーシャまでもレーザー銃を取りだし構え走り出した。


「こらぁ! おやめっ! 警備班を!」


 ミャウが呼び止めたが無駄だった。ジェットエンジンの噴射が青い尾を引くと、シュランは影男の横面へ陣取り、左手を突き出し警告した。


「騒ぎを起こすな! この左手には溶接用のレーザーが装備されている。何者か知らんが、尻の穴、溶接されたくなければ、おとなしく――」 


 影男は振り返りもしない。ただ、小指を立てたのみ。


 刹那、シュランは壁に打ち付けられていた。宇宙空間の気象に耐えられる筈の作業宇宙服ハードスーツが凍りついている。人知を超え、物理を超えた苛烈な冷波が襲いかかったのだ。


 シュランが床に落ちると、繊細な硝子が砕ける音がして、作業宇宙服ハードスーツが粉砕された。シュランは全身、凍傷の霜まみれで、凍結した髪がぱりぱりと折れ落ちる瀕死状態であった。


「シュラ坊ーっ!」


 ミャウが金切り声をあげて走り出す。


「いかん! ミャウも、マーシャも!」


 ゲオルグは咄嗟にミャウの尻尾を取って後ろに投げつけ、今度はマーシャを追って走る。


「きゅうん! なに、すんるんだい!」


 強かに全身を打撲させながらも、ミャウは起きあがり、見てしまった。

 それで、いやはや、何が起きてしまったのか。


 銃を構えたマーシャ。それを阻止しようと手を伸ばしたらしいゲオルグ。二人の顔は驚きに染められ、口から血が滴っていた。そんな二人の後ろ姿。


 でも、彼ら彼女らの半身はなかった。


 マーシャの左半身、ゲオルグの右半身は激烈な力によって撃ち抜かれあっさりとはじけ飛んでいた。湯気を上げる生々しい腸や内臓がぶらぶらと垂れ下がり、遺体となった二つの半身が倒れる。


「こんちくきしょうーぉ!」


 涙目のミャウは転がっていた鉄の棒を握り締め、半狂乱で駆けだした。


 むろん、ミャウが怒りを込めて殴りつけた鉄の棒は影男に触れることはなかった。次の瞬間、ミャウはゴムボールみたいに跳ね、床に容赦なく叩き付けられていたから……


「親方……マーシャ……ミャウ姉……」


 シュランは唾液すら凍った口で呟いた。


 目前に、ミャウが転がっていた。


 シュランは薄れゆく意識を総動員させ、全身に力を込めた。凍結で壁とぴったりと張り付いた背。その背の皮膚をめしめしと剥がしながら立ち上がる。激情と強固な意志がなせる行動であった。背の皮膚が粘液質のゴムのように伸び、少しずつ、剥がれていく。シュランの背中の表皮はなくなった。


 赤い背をしたシュランはどす黒い血を流し、転び、四つん這いのよろよろで、床をはって進んだ。瀕死のシュランにとってミャウまで辿り着く時間はどれほど時間であったのか。


 動くたびに凍りついた肉体がぱりぱりと崩れた。

 左耳が落ちた。

 指の一本がずれ落ち、ひびわれ、砕けた。


 麻痺した筈の感覚に、肉体が砕けてゆく痛みが容赦なく襲う。


 しかし、シュランは進む。進むのだ。側までくると、倒れていたミャウを抱きしめた。シュランは抱いたミャウを見て、顔を強ばらせた。


「命を……命を! こんな、簡単に…こわすなよ………!」


 ミャウの首は三回転ほどして、ねじれていた。あまりのことにシュランはおろおろと逡巡する。顔を上に向かせると、背中で。逆にすると、顔が下に……


(どうしようもできない! できないよ! できない! ああ、できない!)


 あまりのことにシュランは瞳孔が見開き全身が震え理性が弾き飛びそうになった。


「よお! シュラン!」


 ふいにミャウの声がした。驚いて見上げると、転がったホログラフィ円盤が勝手に作動していた。円盤の上に青白いミャウのホログラフィが照射されている。気っ風よく、でも、どこか恥ずかしそうに過去のミャウが言葉を紡いだ。


「もう少しで誕生日だね! 面と向かっていうの恥ずかしいから……これね。うん! お前はほんとう~に変わった子だから……もてないだろ。でも、あたいは大好きだ! だから、デートしてやろう! これがたんじょ――」


 ミャウの幻影が乱れ、繰り返す。


「よお! シュラン! もう少しで誕生日だね! 面と……変わった……あたいは……」


映像が途切れ途切れ、繰り返す。


「よお! シュラン! 面と向かっていうの……大好きだ! ……やろう! これが――」


 音声が再び繰り返す。


「よお! シュラン! 面と向かって……大好きだ!……デートし……れがたんじょうび――」


 ミャウの映像が優しく微笑む。


「よお! シュラン! うん!……大好きだ……大好きだ……大好き……大好き……!」


 大好き大好きと何度も声を反復させホログラフィ円盤がビシッとひび割れ停止した。

 シュランはホログラフィ円盤に手を伸ばして掴むと、握り締めた。涙を流したいのにでない。愛しく愛しくミャウの遺体も強く抱きしめた。


 そして、睨む。

 影男を――――!!


「……イマダ……ソンザイしているのか……カンシャしろ……!」


 陰湿な声が響いた。声の主は影男だ。影男は『卵』へ顔を向けたまま、シュランなど見向きもせず、言葉を紡ぐ。


「タかが……炭素物の塊が、拝めるのだから! いやはぁぁぁぁぁ!」


 影男は両手を広げ、天を仰いだ。『卵』はその淡い姿を晒していた。木々の守りは既になく、植物の成長も停滞している。


「世界が救済される、至高の刻を――!」


 掲げ仰ぐ両腕の中で放電が開始されると、影男は呪詛の祝詞を歌いだした。


「唄えよ、敬えよ! 感涙せよ! 滅した七人の御使いはもう喇叭を吹けないぃ!!」


 青い電撃の発生が途切れなく猛然と激しくなり、黒い点が出現する。


「呪えよ、祈れよ! 歓喜せよ! 滅した裁判官はもう最後の審判も下せないぃ!!!」


 黒い点は周囲の爆ぜる雷を吸収し、黒き球体と膨れあがった。


「泣けよ、叫べよ! 狂乱せよ! 灰燼となるは古き神々、我らは浄化されないぃ!!!!」


 放電が微弱になり、大きな暗黒の球体ができあがっていた。この暗黒星というべき球体は夥しい邪気を発散しながら悪夢の激流ともいうべき吸引の力を開始させた。


(ブラックホール……? ……いや……どうでもいい……)


 シュランは濃霧がかかった意識を奮い立たせた。


(ただ、許せない……死ぬ前に……!)


 全身氷漬けのシュランは氷の粉末を散らし、雄々しく立ち上がった。


(殴ってやる! 一発、ぶちのめしてやる!!)


 シュランはミャウを抱きかかえたまま、よろよろと歩き出す。

 時々、脚がもつれ倒れそうになりも、身体の均衡が崩れなりも、気力を、いや消えつつある意識を削って耐えながら進むと、ふいにシュランの右手がじゅわっと焼けた。よろけた拍子に、手を伸ばし壁代わり、支え代わりと触れてしまった。

  あの『卵』と右手が触れていた。


「……嫌われたかな……」


 シュランは右手が焼けた音に微笑苦を浮かべた。


(なんで、この卵なんか好きになったのかな……ホント、おかしいなよな、俺……)


 どうにもならない笑いがこみあげてくる。いつの間にか焼け爛れていた右手からはぬくもりような暖かさが伝わってきていた。間に、ホログラフィ円盤を挿む形で。

 シュランは穏やかな声で、


「……でも、好きなんだ、君のこと。返事は……俺が生きていたらで、いいや……」


 言って、未練もなくさっと振り返った。シュランは砕けて、もう三本しかない指のない右手でホログラフィ円盤を、


(あっちで……ミャウ姉とデートしなきゃ……)


 ぐっと握り締めた。


 影男が叫んでいる。


「我らこそが裁くもの! 今こそ、古き神の黄昏の日ぞ! バベルよ、バベルよ! 諸の肉となりて我らを悠久の座に誘え! 我らは原子の始祖、我らこそ開闢――!!」


 影男の青白いオーラが、黄金色の神気と変異した。コロニーの外壁がひしゃげ、『暗黒星』の吸引力もより一段と強力になり、あらゆるものを飲み込み始めた。


 植物を、灰を、氷を、鋼鉄を、光を、闇すらも。


「いくぜ! うおおおおおおおぉぉぉぉぉ――――!」


 シュランは雄叫びをあげ、走ってゆく。

 シュランはもう走ることのできぬ瀕死である。

 だが、己の身体を砕き、氷の肉片を、ばらまき走る凄まじき勇姿であった。


 怒りを糧に走れ。


 最後の命の灯火を、烈火の如く燃えさせ、砕けていく氷の体に耐えよ。


 シュラン・エアス・アクウィラの男としての矜恃。男として、大事な仲間達の命を無慈悲に奪った野郎を一発でも殴らないでは、死ねぬのだ!


 その強き心を燃えさせ、吠え、砕け!


 シュランは右手を握りしめ――


「おおおおおおおおおおおぉぉぉ!!!」


 影男の顎、目掛け。

 それは、影男にとって至高の瞬間であり、絶大なる隙であった。


「訪れよ、我らの創世!!!!!!」


 下から突き上げるように、シュランは右手の一撃を影男の顎に激突させた。


「……!」


 もちろん虚しく砕けたのは――シュランの右手であった。


 シュランの右腕が水晶の煌めきをもって散華してゆく。膝をおり、うっすらとまぶたを閉じる。そのままミャウを抱きかかえ安らぎに満ちた顔でシュランは逝った。


 シュランは死んだ。


 影男は今無駄に死んだ命に対して、塵芥だと言わんばかりににま~っと嗤笑した。

 その一拍ほど、あとのことである。


「……ぽえ?」


 影男の顎が見えぬ力に押されて、顔ごとぐいっとあがった。


 即座、影男の顎が破裂する。黒い飛沫の噴出。『暗黒星』も下から上へと力が駆け抜け、ぐねぐねと波打ち、限界がくると、大爆発した。


 建築中であったコロニーを中心として、何度も、輪状の衝撃波と高濃度エネルギーの爆発が起き、最後には土星空域が真っ白な輝きに包まれた。


 ……シュラン・エアス・アクウィラは、人類で初めて『卵』に恋をした男である。

 そして。尚且つ、人類で初めて『神』を拳で殴った男であった……


 シュランは『神』を殴ったのだ……!

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