第8話
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「
「いらっしゃいませー!」
ついに聖夜さんがやって来た。
横にはフリルのワンピースを身に纏った可愛らしい女性を連れている。
この女性が愛良さんらしい。
「聖夜ぁ、あたし今日はいっぱい飲むからねぇ」
「ふふ、無理をしないようにね」
愛良さんは大きな胸を聖夜さんの腕に押しつけながら甘い声で言った。
僕ならあんな大きな胸を押してくられたらパニックになって接客どころじゃなくなるに違いない。
けれど聖夜さんは全く動じることなく王子様のような微笑みを浮かべている。
やっぱりプロってすごい……!
「いらっしゃいませ、お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
VIPルームに案内する間も、愛良さんは聖夜さんにべったりくっついていた。
VIPルームに着いてからも、愛良さんの意識は聖夜さんだけに向けられていた。
おかげで僕の仕事は影を消すことに徹するくらいで、さっきまで厨房とホールを駆け回っていた体に休息を与えることが出来た。
「すみません、聖夜さん、ちょっと……」
ホールから他のホストさんが来て、聖夜さんに耳打ちをした。
恐らく指名が被っているのだろう。
僕はごくりと息を呑んだ。
同時間に指名が被ることは人気ホストなら珍しいことではない。
こういう時は平等に席を回るようになっているけれど、それでも大好きな担当ホストが席を離れるのはやっぱりお客さんからしたらあまり気持ちのいいことではない。
露骨に不機嫌になる人もいる。
聖夜さんは申し訳なそうな顔をしながら、愛良さんの肩を抱き寄せた。
「ごめん、愛良。ちょっと席外さないといけないんだ」
「えぇ、またぁ? もうっ、聖夜人気ありすぎ!」
愛良さんが唇を尖らせた。
でも本気で怒っているようではなかった。
「ごめんね。……戻ってきたらたくさん可愛がってあげるね、僕の可愛いお姫様」
色香が漂う声で囁いて頭に軽くキスをすると、愛良さんは頬を赤らめながら笑顔で聖夜さんを見送った。
ここまではいい。
お客さんは担当ホストに嫌われたくないから、彼が席を離れるのがいやでも我慢してくれる。
けれど、担当のホストがいなくなった瞬間、豹変するお客さんは少なくない。
「はぁ……」
苛立ちを含んだ溜め息をつくと、愛良さんは今まで浮かべていた可愛らしい表情を消し、無表情で携帯をいじりはじめた。
慣れていることとはいえ、いかにも僕なんかに興味も何もないといった態度は少し傷つく。
でも、無愛想になるくらいならまだいい。
中にはヘルプの僕に八つ当たりしたり、お酒の影響もあって泣き出すお客さんなんかもいる。
僕に当たる分については我慢すればいい話だけれど、泣かれてしまうと一介のヘルプにはどうすることもできずただただ困り果てるばかりだ。
それらに比べれば、例え不機嫌になろうと黙り込むだけならまだいいと思える。
けれど、このままヘルプが何もしないというわけにもいかない。
もし、お客さんが指名ホストのいない時間を退屈と感じて帰ってしまったら担当ホストの足を引っ張ることになる。
それだけは避けたい。
「……愛良さんのそのワンピース可愛いですよね」
とりあえずまずは持ち物や服から褒める。
これは右京君から教えてもらった鉄板のコミュニケーションだ。
愛良さんはちらっと視線だけ上げて僕を見たけれど「……ありがと」とだけ答えてまたすぐに携帯の画面に視線を戻した。
う……、くじけそうだ。
もしかすると聖夜さん以外とは話す気はないのかもしれない。
けれど、ダメ元でもう一度話し掛けてみる。
「フリルが可愛くてお姫様みたいですね。王子様みたいな聖夜さんと一緒にいると本当のお姫様に見えます」
薄いピンクの生地に幾重にも連なるフリルのワンピース、そして甘い茶色の髪が縦に巻かれていて本当にお姫様みたいだ。
お姫様という言葉がよかったのか、愛良さんはさっきとは違う明るい表情で顔を上げた。
「えぇ、そうかなぁ。そう見える?」
「見えますよ。お伽噺みたいです!」
「えへへ、嬉しい~。あ、お酒、おかわり作ってくれる?」
「はい! 喜んで!」
愛良さんが差し出したグラスを受け取ってお酒を作る。
「あなた、名前は何て言ってったけ?」
「コウです」
「へぇ、コウね。覚えておくわ」
「ありがとうございます」
出来上がったお酒を愛良さんに差し出す。
「ありがと。コウはあれね、他のホストとは違って静かで影が薄いからいいわね。邪魔にならない」
「えへへ、ありがとうございます」
たぶん褒められているわけじゃないけど、それでも好印象ではあるようだ。
僕は嬉しくて頭を掻いて笑った。
「他のホストはチャラいから嫌なのよねぇ。愛良と聖夜の世界が台無しになっちゃうもん」
愛良さんは唇を尖らせて、グラスに浮かぶ氷を突いた。
「その点あなたはいいわ。謙虚で静かだし」
「ありがとうございます。お二人がお姫様と王子様なら僕はさしずめ執事といったところでしょうか」
「あはは、上手い! その設定いいわね!」
愛良さんは上機嫌でお酒を煽った。
「……でも真面目な話、本当に聖夜って王子様みたいよね。私、結構ホストクラブいろいろ行ってるんだけど、あんなに王子様みたいな人初めて会った」
うっとりとした溜め息を吐く愛良さんに僕は頷いた。
「僕もそう思います。なかなかあんな人はいないですよね」
「そう、なかなかいないのよ。確かにイケメンはたくさんいるけど、チャラい奴が多いのよね。あんな品のある王子様みたいなホストは聖夜だけよ! 唯一無二! 完全無欠の王子様!」
「僕がいない間に随分仲良くなってるみたいだね」
愛良さんが聖夜さんについて熱く語っていると、いつの間にか本人がソファの後ろに立って僕らの間から顔を挟んだ。
突然の本人の登場に、愛良さんも驚いていたが、聖夜さんとの顔の近さに顔を赤らめて満更でもない様子だ。
「せ、聖夜! もぉ、遅いよぉ。待ちくたびれたんだから」
「ふふふ、ごめんね」
聖夜さんはソファを回って愛良さんの元へ行くと、その場にひざまずいて彼女の手の甲にキスをした。
それは正しく王子様そのものだった。
「お待たせ、僕の愛しのお姫様」
そしてトドメの上目遣いでウィンク。
僕がやったらズッコケのギャグになるに違いないけれど、さすが聖夜さんと言うべきか、愛良さんはうっとりと瞳を潤ませている。
感激の震えがこちらまで伝わってきそうなくらいだ。
僕に出来ることといえば、気配を消して横に控える執事の役に徹するか、もしくは背景の一部に溶け込むくらいのものだった……。
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