第6話
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右京君に漫画のようなげんこつを食らった桜季さんは唇を尖らせて退散していった。
そして残された僕は、漫画のようにソファの上に正座をさせられて説教を食らっている。
「いいですか、幸助さん。何度も言いますが、警戒心を持ってください。早急に」
「は、はい……」
「この間もそう言って返事してましたよね?」
「は、はい……」
「……幸助さん、警戒心って何か分かってますか」
「うぅ……、す、すみません……」
僕の向かいに正座する右京君が呆れ果てた溜め息を吐いた。
僕はひたすら項垂れるしかなかった。
「悪いのはもちろん桜季さんですから幸助さんが謝る必要はありません。ただ、隙があるからあんな変態につけ込まれるんです! 幸助さんも自分をちゃんと守らないと!」
「……ぼ、防犯ブザーを持つとか?」
自分で言いながらどんな職場だと心の中で突っ込む。
当然、右京君からも同じ突っ込みが入ると思ったけれど、右京君は真顔で「いえ、スタンガンにしましょう」と答えた。
「でも道具はあくまで最終手段です。それを使うことがないように、未然に防ぐ事が大事です。そのためにはしっかり警戒心を持ってください!」
「も、もちろん、持ってるよ! 今日も桜季さんの様子が少しおかしいなってああなる前に気づいたんだよ」
「じゃあその時に鳩尾でも蹴って逃げてください」
「そ、そんな、仕事の先輩に……」
「仕事の先輩である前に、あいつは幸助さんを狙う獣です、変態なんです。そのくらいして当然です」
ひどい言われようだ……。
確かに桜季さんは冗談の度が過ぎることがあるけど、それ以外では優しいし、基本的には陽気ないい人だ。
それに桜季さんにはいろいろとお世話になっている。
そんな仕事の先輩に、度の過ぎた冗談をかわすために、鳩尾を蹴るなんて恩を仇で返すようなことできない……。
「……今、いつもお世話になっている桜季さんにそんなことできない、って思ったでしょう」
心の中を言い当てられてドキッとする。
その反応に、右京君が一際大きな溜め息を吐いた。
「いいですか? その甘さが隙になんです! いつもお世話になっていようと、それとこれとは別問題です! だから……」
「おい、お前ら何してるんだ?」
声の方へ顔を向けると、蓮さんが眉根を寄せて立っていた。
「あ、蓮さん! お疲れ様です!」
「……ん、お疲れ」
僕の挨拶に、蓮さんが返事をくれた。
少し素っ気ない感じだけれど、以前は全部無視されていたので、返事をくれただけですごく嬉しい。
「蓮さん、お疲れ様です」
右京君は慌ててソファから立ち上がって頭を下げた。
偏見かもしれないけれど、若いのに右京君は礼儀がしっかりしていていつも感心する。
「お疲れ」
「今日は早いですね」
「今から同伴だけど、その前に少し用事があって来ただけ。……で、二人で向かい合って正座して何してたわけ?」
「いやぁ……、また桜季さんが幸助さんに手を出そうとして……。それで幸助さんにももっと警戒心を持ってもらうよう話してたんです」
「……こんなおっさんに手を出すとかあいつも物好きだな」
「そうですよね~。冗談でも普通考えないですよね」
あはは、と笑いながら頭を掻くと、二人の溜め息が重なった。
「だからその警戒心のなさが……」
「……お前、そんなんだと本当にあいつにいつか食われるぞ」
「え! 食べられるんですか!?」
ものの例えかもしれないけれど、桜季さんなら料理も上手だし本当に食べられそうだ。
僕の言葉にまた二人が盛大に溜め息を吐いた。
「……こいつの場合、警戒心以前の問題じゃねぇの?」
「どこから教えていけばいいのか……」
頭を抱える右京君に、なんだか申し訳ない気持ちになったけれど、何をそんなに途方に暮れているのか分からず首を傾げるしかできなかった。
「つーか、お前、腹は大丈夫なのか?」
蓮さんが僕に向かって言った。
その声はぶっきらぼうだけれど、僕のお腹を見る目は少し不安げだ。
なんだかその目が子供のようで思わず頬が緩んだ。
「大丈夫ですよ。もう全く痛くありません。ごはんもたくさん食べれます!」
真奈美さんとの件があってから、会うたびに蓮さんは傷の治り具合を気に掛けてくれる。
毎回もう大丈夫だと伝えるけれど、まだ心配は拭えないようだ。
「……そうか、ならよかった」
僕の返答に蓮さんはほっと息をつくような微笑みを薄く浮かべた。
それが嬉しくて顔を緩めていると、蓮さんは眉間に皺を寄せた。
「何笑ってるんだよ」
「あ,いえ! な、なんでもないです!」
蓮さんの安心した顔が子供のようで可愛かったなど口が裂けても言えるはずがなく、僕は慌てて首を横に振った。
「何もなくて笑うとか……相変わらず変な奴」
怪訝そうに蓮さんはそう言ってから、僕の肩にポンと手を置いた。
「……まぁ、体に負担にならないくらいにがんばれよ」
「……っ、はい! がんばります!」
蓮さんの優しい言葉が嬉しくて思わず大きな声で返事をしてしまった。
蓮さんは鬱陶しそうに顔を顰めて耳に指を突っ込みながら自分のロッカーへ向かった。
あの事件から蓮さんと少しだけ仲良くなれた、気がする。
お腹の傷がその代償だとしてもいいくらい嬉しいことだった。
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