第41話
「こーすけ、花とても綺麗だよ」
花瓶を抱えて部屋に戻ったが、幸助はまた眠りに落ちていた。
無理はない。点滴の鎮痛剤の副作用で眠気がくるのだ。
晴仁は花瓶を窓辺の棚に置いて、静かにベッドの縁に腰を下ろした。
ベッドのスプリングが微かに軋んだが、幸助の眠りの深さが揺らぐことはなかった。
晴仁はそっと上半身だけ覆い被さった。
互いの鼻先が触れそうなくらい顔を近づける。
幸助の寝息と晴仁の熱い吐息が二人の唇の間をしっとりと濡らした。
--いやぁ、彼は運がいいですね。
不意に、幸助の手術を執刀した医師の言葉が蘇った。
--もし背中でナイフを受けていたら、脊髄損傷で下半身不随になっていた可能性もありますからね。
本当に彼は運がよかった、と微笑む医師の言葉に、晴仁は幸助の幸運を呪った。
もし。
もしも、幸助が背中でナイフを受け、医師の言うように下半身不随になっていたとしたら。
自分で歩くことも、立つことも出来ない幸助を、そしてその横で彼を甲斐甲斐しく支える自分を、想像する。
ぞっとするほどの恍惚が背筋を駆け上がった。
自分なしでは生きていけない幸助。
それはまさに夢のような話だ。
しかし、それはあと一歩で叶ったかもしれない話なのだ。
そう思うと、幸助の幸運を呪わずにはいられなかった。
叶わなかった世界を妄想する。
自由のきかない体に絶望する幸助。
そんな彼に寄り添い、優しく、優しく支える自分。
その優しさは毒のように幸助の心の奥まで染み込む。
そうなれば、晴仁なしでは生きていけないと思い込ませるのは難しいことではない。
晴仁のどんな嘘も愛も受け入れるだろう。
二人だけの世界を作ることだって夢じゃない。
例えば誰かが幸助を訪ねてきても追い払えばいいし、外に幸助を連れ出さなければいいのだ。
全幅の信頼を寄せている晴仁を疑うはずがない。
もし疑ったとしても、晴仁なしでは生きていけないと思い込んでいるのだ。
疑念にはそっと目を伏せ、自分を引く手の意志に従うほかない。
閉じられた世界にむせ返る暗く甘い幸せの香りが妄想から漏れ出て、鼻先をかすめた。
晴仁は笑みを深め、唇をそっと幸助の唇に重ねた。
「……幸助、愛しているよ」
囁いた愛の言葉は、幸助の寝息に溶けていった。
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