第32話

蓮さんが目を瞠ったまま何も反応がない。

し、しまった……!

血の気がサッと引いた。

桜季さんから借りた言葉で偉そうに……と思われたかもしれない。

それにあの言葉は桜季さんが言ったからこそ説得力があったのだろう。

僕みたいなのに言われてもムッとくるだけかもしれない。

やっぱり通知表に書かれた『もっと考えて行動しましょう』は僕の永遠の課題だ……。

考えなしに出てしまった言葉を後悔していると、蓮さんが額に右手を当てて大きく溜め息を吐いた。

怒りを通り越して呆れてしまったのだろうか。


「……やっぱりお前、変だな」

「へ、変ですか……?」

「変だよ、すげぇ変」


真正面から変だと言われ戸惑う僕に、蓮さんは再度、しかも強調して変だと断言した。

けれどその声は、笑うような柔らかさを含んでいた。


「……お前、メロン好きか?」

「え、メロンですか?」


脈絡のない突然の質問に僕はパチパチと目をしばたかせた。


「そうですね、甘くて好きです。でも高いから自分で買うことはないですけど」


苦笑しながら答えると、蓮さんは「そうか」とだけ言って立ち上がった。


「……じゃあ今度来る時に持ってきてやる」

「え……!」


僕は目を丸くして蓮さんを見上げた。

蓮さんは僕の視線から逃げるように、顔を逸らした。


「だからっ、今度見舞いに来る時にメロン持ってきてやるよって言ってんだよっ。話の流れで察しろよ」


吐き捨てるような少し荒い口調で蓮さんが言った。

けれど不思議と怖くはなかった。

それは、そこに不器用な優しさを感じたからかもしれない。


「ありがとうございます! すごく楽しみにしていますね」


こみ上げてくる嬉しさに顔が緩んだ。

そんな僕の顔を見て、「だらしねぇ面」と溜め息と苦笑を混ぜたような声で言うと蓮さんは僕に背を向けた。


「……早く店に戻ってこいよ。お前みたいな存在感の薄いヘルプ、他にいねぇからな」


ぼそぼそと苦い声でそう言う蓮さんに僕は目を丸くした。

らしくないと思ったのか、仕切り直すようにガシガシと荒く髪を掻いて蓮さんが付け加えた。


「だからさっさと腹直せ! 俺がわざわざメロン買ってきてやるんだから、残したら承知しないからな」


肩越しにギロリと睨まれ、僕は思わずシャンと背筋を伸ばした。


「は、はい! がんばって治します!」


僕の返答にフンと鼻を鳴らして蓮さんは部屋を出た。

バタンとドアが閉まると、ふーっと長い溜め息が思わず口から漏れた。

やっぱり蓮さんと話すのは少し緊張する。

でも前よりも少し、本当に少しだけど、打ち解けられた気がした。

今までは、蓮さんから放たれる僕への嫌いオーラが強く挨拶さえはばかられていた。

それが今回の一件で和らいだので、もしかしたらこれからは普通に話せるかもしれない、そんな期待が胸に芽を出した。


「……っ、痛」


安心したせいか、部屋の静けさのせいか、傷の痛みが途端に主張し始めた。

僕は傷に刺激を与えないようにしてゆっくり横になった。


目をつむると、僕を刺した直後の麻奈美さんの泣きそうな顔が瞼の裏に浮かんだ。

それは、今にもこぼれ落ちてきそうな涙の気配さえ感じさせる鮮明さだった。

その鮮明さはより鋭く僕の胸を刺した。

どうしてこんなことになったのだろう。

麻奈美さんは甘い好意を、蓮さんは優しさを互いに持って接していた。

そこには悪感情なんてなかったはずだ。

好意と優しさ。

どちらも血生臭さとは縁遠いものなのに、結果、血が流れることになった。


「難しいなぁ……」


溜め息とともに呟く。

僕の恋愛経験が浅いからということもあるけれど、やっぱり恋だとか愛だとかそういったものは難しいと思った。

ホストはそういった繊細で、でも時に炎のような激しさを見せる感情と上手く距離をとらなくてはならないのだ。

今回の一件で、ホストという仕事の難しさをあらためて痛感した。

僕にそんな熱狂的なお客さんはつかないだろうけど、それでもそういった感情と隣り合わせの職場で、果たして鈍感な僕はやっていけるのだろうか。

ふと不安が胸をかすめる。


――……早く店に戻ってこいよ。お前みたいな存在感の薄いヘルプ、他にいねぇからな。


けれど次には蓮さんの不器用な優しさに満ちた言葉が胸の中に溢れて、不安などどこかに消えてしまった。


「失礼します」


看護師さんがドアを開けて部屋に入って来た。

五十代くらいだろうか、落ち着きと柔らかさが滲み出た所作でこちらに近づいてくる。


「青葉さん、お加減はどうですか?」


僕の顔を覗き込みながら、優しい笑みで看護師さんが言った。


「あ、はい、大丈夫です」

「それはよかったです。今、先生を呼んでいますからもう少しお待ちください」

「は、はい」


彼女は周りの医療機器を一通り確認すると、ちらりと僕の方を見た。

そしてなぜかくすりと笑った。


「あの、どうかしましたか?」


まさか何か顔についているのだろうかと顔を触ると、彼女は小さく笑って首を振った。


「いえ、すみません。ちょっとした思い出し笑いです。さっきまでここにいた金髪の人いたでしょう? 彼ね、手術中もずっと顔が真っ青で、手術が終わった後も青葉さんの傍から離れなかったんですよ。それで看護師が見周りに来るたびに『こいつは大丈夫なんですか』って強張った顔で詰め寄っていたんです。大丈夫ですよ、って言っても不安な顔していて、なんだか可愛いなと思って」


恐らく彼女からしたら、蓮さんが自分の子どもと同じくらいの年齢なのだろう。

微笑ましそうにふふと笑った。

僕はそんな蓮さんが想像できず、見開いた目を閉じることができずにいた。


「青葉さんが目を覚ましたのを知らせてくれたのも彼なんですよ。ところで彼とはどういう関係なんですか? お仕事の後輩?」


看護師さんが首を傾げて純粋に問い掛ける。

僕はしっかりと答えた。


「いえ、仕事の先輩です。自分に厳しく、でもお客様には優しい、僕の憧れの大先輩です」


僕の答えに看護師さんは目を瞠ったが、僕は特に詳しい説明はせず微笑みだけ返して目を閉じた。

いっぱい寝て、早くよくなろう。

そして蓮さんが持ってきてくれたメロンを平らげてしまおう。

それを見たら、蓮さんはほっとするだろうか。

それともいやしい奴だと呆れるだろうか。

メロンの味と、それを平らげた時の蓮さんの反応の想像を繰り返していたら、いつの間にか痛みは遠ざかっていた。

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