第30話


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目を覚ました時、最初、晴仁の寝室にいると思った。

けれどベッドの周りを囲む医療機器や、病院独特の清潔すぎる香りに、自分が病室に寝ていることに気づいた。

異様なだるさが体中に充満しているのに、体の中心部分だけは痛みが膨れ上がって、過敏になっていた。

痛みが眠気をかき消していくごとに、徐々に記憶が鮮明になった。

蓮さんと路地裏で話していると、麻奈美さんがやって来たこと。

麻奈美さんの切羽詰まった訴え。

蓮さんの意を決した厳しい優しさ。

怒り、悲しみ、ナイフ、そして泣きそうに歪む麻奈美さんの顔……――。

息を吹き返した記憶に、心臓がドクドクと鼓動を打った。

一体彼女はどうなったのだろう……。

警察に捕まったのだろうか、それともまだ逃げ続けているのだろうか。

ふと、手を包む感触に気づき、まだ動きの鈍い視線を、真っ白な天井から布団の上に投げ出している自分の手元へゆっくりと降ろした。

すると、僕の手を握りその上にうつ伏せている金髪頭が目に入った。

すぅすぅとあどけない寝息の気配がシーツに伝う。

派手な金髪と、その髪に不釣り合いな可愛らしい寝息にそれが誰なのかすぐに思い当たった。


「蓮、さん……?」


信じられない気持ちで呼びかけると、突っ伏していた蓮さんが勢いよく顔を上げた。

そして、僕と目が合うやいなや、丸イスから飛び上がるように立ち上がった。

丸イスが音を立てて倒れて床に転がったけれど、蓮さんはそんなこと気にも留めず、僕に詰め寄った。


「お、おいっ、大丈夫か? 目が覚めたのか? 俺の声、ちゃんと聞こえるか? 痛むところは?」


矢継ぎ早に質問する蓮さんの顔は、不安と緊張にみなぎっていた。

こちらにまで押し寄せてきそうなそれに、少し圧倒されながら僕が「だ、大丈夫、です」と頷くと、蓮さんは大きくため息をついた。

けれど次には、鋭い目つきになって僕をギロリと睨んだ。

そして、


「このっ、バカっ! 相手はナイフ持ってたんだぞ! 普通に考えて危ねぇだろ! それなのに何前に出てきてんだよ!」


興奮で肩が上下するほど大声で蓮さんが怒鳴った。

けれどその目は不安で泣き出しそうな子供のものと似たものがあった。


「俺を庇って刺されるとか大概にしろよ! どこまでお人好しなんだよ! 庇われて助かったって全然嬉しくねぇよ! ずっと不安だったんだからなっ。お前が……っ、お前が死んだらどうしようって……っ」


そこで蓮さんは声を詰まらせ、下を向いた。か細く震えている蓮さんの肩を見て、彼が不安と罪悪感にどれだけ押しつぶされそうになっていたかが分かった。

僕は手を伸ばして蓮さんのスーツの裾をぎゅっと指先で摘んだ。

蓮さんが顔を上げた。


「蓮さん、心配させてすみませんでした。あの、僕って本当に後先考えず動いてしまう人間で、小学校の時も通知表に『もっと考えて行動しましょう』ってよく書かれていました」


今も昔もいつも考えなしで、もしくは空回りな考えで行動しがちなのだ。

僕がへへ、と緩く笑うと、蓮さんは呆れきった溜め息を吐いた。

そして鬱陶しそうにスーツを摘む僕の手を払って舌打ちした。


「……っ、本当にお前、調子狂わされる」

「え! す、すみません……」

「別に謝らなくていい。つーか、謝らないといけねぇのは……俺の方だし」


ぼそりと蓮さんが呟いた。

苦々しい小さな声だったが、けれど確かに聞こえた。

僕が目を丸くしていると、蓮さんが気恥ずかしさを誤魔化すように大きな声で言った。


「けど、絶対お礼は言わねぇからな! ありがとうでも言ったら調子に乗ったお前がまた同じこと繰り返しかねないしなっ」


ビシッと指さされ、僕は慌ててコクコクと頷いた。


「も、もちろん蓮さんがお礼を言う必要はないですっ。それに謝る必要もないですっ」

「は?」


僕の言葉に蓮さんが顔を歪めた。


「テメェ……、せっかくこの俺が非を認めてやったというのにそれを無駄にするつりか?」


こめかみに青筋を立てる蓮さんに、僕は慌てて首を振った。


「い、いえ! 滅相もありませんっ。た、ただ、やっぱり麻奈美さんをあんな風にさせてしまったのは僕の言葉がきっかけでしたし……」


あの日安易に口にした「特別」という言葉を思い出して、胸が痛んだ。

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