帰還 2

 『それ』は周囲の色を飲み込み、闇を広げていく。

 やがてぽっかりと空にあいた穴から、もぞもぞと何者かが這い出してきた。


「蜂さん……ですかね?」


 理沙りさが言うように、それは蜂によく似た生物だった。見る間にその数を増やしていく。

 エレナはそれを見てうなずき、素早く結界を張った。


「ではショウタロウ君。私たちはここで見てるから、早急に追っ払ってくれたまえ」

「いや、くれたまえって言われましても……」

「大丈夫。たかだかレベル2で引き寄せられてくる侵入者、君一人でも問題ない。何かあれば助けてあげるから」


 半透明の結界に守られた三人を恨めしげに見る祥太郎しょうたろうに、エレナはにっこりと笑う。

 それから指を鳴らすと、彼を支えていた力がされた。


「ふぇっ!?」


 そのまま海へと落下していく祥太郎。どぼーんと水しぶきがあがった後、瞬時にエレナたちの前に戻ってくる。


「何するんですか先生!? 危ないでしょ!?」

「うんうん、ちゃんとコントロールして浮けるじゃないか。上出来上出来」

「ほ、ほんとだ! 前は落ちながらしか飛べなかったのに、こんなに上手く……僕も成長してるんだなぁ」


 感慨深げにうなずく彼の姿はまた掻き消えた。

 そして新たな世界に戸惑っているのか、『ゲート』付近から動かないでいる蜂の群れへと突っ込む。


「ぎぇぇぇぇぇ! 痛い! 痛い! なんかめっちゃかじってくる!」

「調子に乗ってるからだよショウタロウ君。自分の未熟さを受け入れながら、謙虚にコントロールしないと」

「エレナさん、なかなかのスパルタだな……とりあえず、あの蜂はそこまで危険はなさそうってのが分かったが」

「技は実際に使ってみないと身につかないですしねぇ」

「そうそう。リサ君の言う通り、実践あるのみだよ」

「実践はいいですけど助けてくださいよっ! 助けてくれるって言ったじゃないですか!」

「蜂が多少齧ってくるくらいじゃ助けないよ。もっとピンチになったら助けるから。それよりショウタロウ君。向こうが戸惑ってる今のうちに退けないと、逃げられたら厄介だよ」

「わ――わかってますって! ちゃんとやりますから!」


 それから再び皆から離れ、動きを見せ始めた蜂の方へ向き直ると、意識を集中し始める。

 その時、見ていた三人の腕に鳥肌が立った。まるで、空間が歪んだかのような感覚。

 危険を察した蜂たちが、一斉に『ゲート』の中へと逃げ込んだ。


「まずいな。――ショウタロウ君、集中しすぎだ! 今の君ならもっと軽くでいいんだよ!」


 エレナの言葉は届かない。祥太郎のもとへと集まった『ひずみ』は膨れ上がり、本人の意思とは別の方向に飛び出そうとしていた。


「――ぐうっ!?」

「エレナさん! これ、やべーんじゃねーか!?」

「あのっ、あたしが行きます!」


 色めき立つ二人を手で制す。彼女の中では、二つの選択肢がせめぎ合っていた。だが、結論はすぐに出る。


「私は、優秀な生徒を信じることにするよ」


 指が鳴らされる。祥太郎と『ゲート』の、ちょうど中間にあたる空間が揺らいだ。そこに現れたのは――いつもの金ダライ。


「ちょ、エレナさん何を――」


 才の口は途中でつぐまれた。『歪み』は祥太郎の手のひらへと収束し、レーザーのように放たれる。それは逃げ遅れた蜂たちを消し去りながら、金ダライを――そして『ゲート』のど真ん中を打ち抜いた。

 空気が凪ぐ。危機が去ったことを知り、皆の体から力が抜けた。


「お見事。力の方向を瞬時に定めるという、日頃の鍛錬が役立ったね。危うくお台場あたりが吹き飛んでしまうところだった」

「いや異世界の蜂より祥太郎のほうがやべーっつーのはどうなんよ……?」

「とにかくみんな無事で良かったです!」


 そう言って笑った理沙に、祥太郎もほっとした笑みを返す。そしてそのまま、海に向かって落下した。


「おっと」


 それを、エレナの術がやわらかく受け止める。


「すいません、先生……あの、自分でやりますから」

「気にしなくていいよ。君は十分頑張ったからね」

「は、はい」


 照れ臭そうに頭を掻く祥太郎に笑って、彼女は付近に何もいなくなった『ゲート』の方を見た。


「それでは、帰ろうか」

「でも先生、『ゲート』開きっぱですよ!?」

「大丈夫。あとは湾岸エリア担当のゲートキーパーが何とかしてくれるから。そもそもここは、うちの管轄ではないからね。それより、少しは体力が回復したであろう君に、もう一つ課題だ。今から私が術を切るから、皆が海に落ちる前に、アパートに帰還すること。では3、2、1――」

「え――ちょ、ちょっと待って!」

「おい早くしろ祥太郎! マジで頼むから!」

「祥太郎さん、がんばってください! ――あっ」


 エレナがカウントを終え全員の体が落ちかけた時、景色が一変する。皆の体は、いつの間にかいつものミーティングルーム――の天井付近にあった。

 理沙は空中で一回転をして華麗なる着地を見せ、エレナはふわりと床に降り立つ。


「うわぁっ!」

「いって!」


 一方で祥太郎はソファーに顔から突っ込み、才は勢い余って床を何度か転がった。


「もうヤダ……転移は痛いからヤダ……」

「皆さま僕の未熟さのせいで申し訳ございません……」


 うずくまったままの二人を交互に見ながら、理沙が首をかしげる。


「でも、転移の感じは良かったと思いますよ? あのぐにょーんって景色が変わるのがなくてスムーズで、揺れないから酔わないですし。確かに最後は上手く行かなかったですけど」

「リサ君、素晴らしいコメントだ。それはショウタロウ君の技術が上がっているからだね。疲労がなければ着地は良くなっただろうが、適切な放出をしなければ結局暴発していた。だが着実に良くなってきているよ」

「俺はそれに巻き込まれてボロボロだから、エレナさんなぐさめて」

「サイ君は体を鍛えたらどうだい? こういう仕事をしていると、今後も何があるかわからないから。あとはほら、予知能力の鍛錬をして未然に防ぐとか」

「うわ、普通にアドバイスされたわー。でも理沙ちゃんに手取り足取りトレーニングしてもらうのもいいな」

「いいですよ! 高い所から落ちてもカッコよく着地できるように、厳しく鍛えてあげますね!」

「やっぱ保留で」


 言いながら才は、ゆっくりと起き上がる。


「とりまマスターに報告してくっか。たぶん湾岸エリアのマスターとは話ついてるだろうが」

「私も行こう」

「あ、僕も……」

「ショウタロウ君は疲れているだろうから寝ておきなさい。部屋まで送ってあげるから」


 ソファーでぐったりとしていた祥太郎も動こうとしたが、エレナが手を叩くと一瞬にして自室のベッドまで飛ばされていった。


「あたしはちょっと、師匠のところに顔出してきますね」

「送ろうか?」

「ありがとうございます! じゃあ、『つるみや』の前までお願いします! ついでにお団子買ってきてって頼まれてるので」

「了解した」

「いいよなぁ、転移能力者は便利で」


 理沙のいた場所を眺め、才がぽつりと言う。


「……あ、エレナさん。俺も部屋に飛ばしてくんねー? ちょっと忘れもんあったわ。それからマスターのとこ行くからさ」

「了解した。では私は先にコントロールルームへ行っておこう」


 才が姿を消した直後、ドアががちゃりと開く。入ってきたのは遠子だった。


「あらエレナさん、おかえりなさい。どうだった?」

「ああ、特に大きな問題はなかったよ。これからマスターのところへ報告に行こうと思っていてね」

「私もちょうど片づけ終わって、一息つくところだったの」

「すまなかったね、手伝えなくて。私もご馳走になったのに」

「気にしないで。どっちかというと、こういうのは私の仕事だから。それに、おかえりなさいパーティーは、エレナさんだって主役だったんだし」


 少し間を置き、遠子はふっと微笑む。


「マリーちゃん、怒ってたわよ。あれから紅茶を10杯もおかわりしたの」

「あとで謝っておかねばならないな」

「マリーちゃんは、私から見ても成長したわ。今の彼女なら、何を話しても受け止められるはず」


 エレナはそれを聞いて目を細め、小さくうなずいた。


「……ご提言に感謝する。心にとどめておこう」


 そして、部屋の中には遠子だけが残される。

 彼女は持ってきた紅茶を淹れて一口飲むと、小さく息を吐いた。

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