ペンタ・ブラッド2 ~函館スタンダード~

SEEMA

第1話「カリビアン・チキン・バーガー」

 「西部環状線」を行き交う、無数の乗用車の波に挟まれて、一両のやけにレトロな路面電車が、道路中央部を滑るように走っている。

 車両の前方へ延びるレールは、大きな十字路の手前から、滑らかなカーブを描いて右方向直角に曲がっている。それに合わせて、車窓の外に広がる函館の町並みが、ぐるりと回転する。

 直後に車両はスピードを落とし、「十字街」駅でギリギリと耳障りな音を立てて停車した。

「おい、桑城。降りねえのか?」

 目の前で吊革をつかんで立っていた関本アキヤが、俺に声をかけた。シートに座り、ペットボトルに残っていた最後の麦茶を飲み干している最中だった俺は、少し咳き込んだ。ボケッとしていて、停車したことに気がついていなかったのだ。

「ああ? お、降りるよ。着いたのか」

「いいの? 宗司。金欠だって言ってたけど。あたし、おごれって言われても困るわよ?」

 アキヤの隣に立っていた松村サトミが、車両前方に向かいながら言った。

「そうなんだけど、金欠もそこまでじゃねえよ。食料代くらい計算のうちに入ってるって……」

 俺は、けだるくそう答えて立ち上がると、ぞろぞろと降車ドアに向かう人の群れに混じった。すぐ前にいる、リュックを背負った中年男性は「一日乗車券」を車掌に見せて駅に降りた。出で立ちを見るに、多分観光客なのだろう。函館のメインストリートを縦断するこの市電は、その概観から観光の目玉になっているらしいが、子供の頃から生活の足に使ってきた俺達からすると、それはどうも感覚的にピンと来ない。

 俺の姓は桑城、名は宗司。親父が、函館にゆかりのある新撰組のファンだという理由で、沖田総司と同じ名前をつけられてしまった。はっきり言えば、そのせいで、俺は自分の名前をあまり気に入っていない。これは誰にも口にしたことが無い、ささやかな秘密なのだけれど。

 俺と友人のアキヤと幼なじみのサトミは、函館山高校、通称「ヤマ高」の同級生だ。先週始業式を迎えたばかりの、ほかほかの二年生というわけだ。

「ちょっと混んでるな。俺が席取りするから、お前ら注文しとけ」

「グッド・ラック十字街銀座店」に入るなり、アキヤが店内を見回して言った。俺達三人は、放課後「十字街駅」で降りると、この店でたむろするのが一年の頃から続く習慣なのだ。函館の市電は「十字街」から三方向へ分岐していて、アキヤはここから「どっく前」方面に向かい、俺とサトミは「函館駅前」方面へと別れるのだ。だから、この「グッド・ラック十字街銀座店」は、三人でたむろするには、唯一にして最適の位置にあるということだ。

「カリビアン・チキンバーガーとスパイシーポテトと自家製ウーロン茶のL」

 俺は、店員のおばちゃんに「いつもの奴」をオーダーした。俺は「グッド」に行くときは、これ以外は食わないことに決めている。

「グッド・ラック」については、説明が必要だ。いや、是非説明させて欲しい。函館の町を歩いてまず気がつくことは、マ○ドナルドとか、ロッテ○アとか、大手のハンバーガーチェーンが全く見当たらないことだ。いや、あるにはあるのだが、まるで印象が薄いのだ。一方で、「グッド・ラック」は函館の町のいたるところに……何と十五カ所もある。世界標準では、ハンバーガーといえばマ○ドナルドなのかもしれないが、この函館では話が違う。この町を制するバーガー界の帝王は、断じて「グッド・ラック」なのだ。中でも、看板メニューの「カリビアン・チキンバーガー」は数々の賞に輝いた、ご当地バーガーの頂点、正しく「函館スタンダード」と呼ぶべき逸品だ。一応、ささやかな郷土愛を函館に感じている俺は、頑なに「カリビ」しか食わないと決めている。

「何にしよーかなー……そうね、バナナチョコドリームにしよっかな~」

 サトミはもっぱらソフトクリーム専門だ。「グッド・ラック」のもう一つの目玉が、豊富なソフトクリームのラインナップなのだ。俺は、めったに食わないが、こいつの味も絶対に保証できる。

 俺とサトミは支払いを済ませると、受け取り番号が入った紙をおばちゃんから受け取って、アキヤが確保した道路沿いのテーブルに向かった。こいつは、特に理由もなく、意地になって、この席に座る事にこだわっているのだ。これまでに、俺たちがここ以外の席を使ったことは、記憶している限り、数えるくらいしかない。

俺は奥の席に座り、隣の席にカバンを置いた。正面にはアキヤのカバンが置いてあり、その隣にサトミが腰を下ろした。まもなくして、アキヤもいつもの酢豚バーガーをオーダーしてから席に戻ってきて、俺の正面に座った。

 なぜ、こいつが俺の正面に座る……

 アキヤは悪い奴では無い。俺よりも二センチ背が低く、顔だって俺よりも少し見劣りするくせに(……と、少なくとも俺は自負してる)男として妙に自信を持っているのは気に入らないが、悪い奴では無い。正直に言えば、いい奴と認めてやってもいい。俺の「親友」に片足を突っ込んでいる位には仲がいい。

 しかし、今の俺には、こいつに対してどうにも気に入らない事情があるのだ。アキヤは、一年の時に、同じクラスになった俺と仲良くなったことがきっかけで、サトミのことを知り、一目ぼれしたらしい。で……サトミ目当てで、陸上部にあっさり転部した。そうして、俺たち三人は今のように陸上部仲間になったというわけだ。実に不純だ。少なくとも俺は「帰宅部という肩書き」が嫌だという消極的な理由ではあるにせよ、一応は長距離が多少得意だから、正統的に陸上部に入っているのだから。

 まあ、そこまではいい。ガキの頃から知っているから意識してなかったのだが、確かにサトミはまあまあ可愛い……と、最近気がついた。性格も明るくて良い奴だ。惚れるのは判るし、奴の勝手だ。しかし、この一年間で、こいつはうまいことサトミとそれなりにいい感じになってきている。はっきり言えば「友達以上」の関係にまで進展している感じだ。

 そのせいで、アキヤはこの半年ばかり、何かにつけて浮かれている。それが腹立たしい。

 俺よりも少し外見が見劣りするはずのアキヤが、こうして充実した青春を送っていて、しかも目の前の席でヘラヘラと笑いながら酢豚バーガーを食っているというのは……我慢ならんのだ。

 そう……その席は断じてお前の席じゃないんだ。

 紗枝の席だろうが……

 実は、俺にだって付き合っている彼女がいるのだ。名前は桐嶋紗枝。中学三年のときに同じクラスになって以来、俺はあいつのことが好きだった。顔も可愛かったのだが、決め手はきっと「髪型」だった。俺はどうもポニーテールに弱いらしいと、紗枝のせいで自覚したのだ。

 そして、苦節一年半。去年の秋に俺は紗枝に告白した。

「お……お、お、俺と付き合ってくれ!……いや……こ、交際してくれませんか!」

 今でもはっきり覚えているが、俺はこの時、見事に二度どもった。

 紗枝は、最初にクスリと微笑んで……やがて涙をにじませながら、震える声で答えた。

「うん……いいよ……ありがとう、桑城君」

 正に、天にも登る気持ちだった。

 それまで俺は、人生では「こんなことが起こるといいな、と思ったことは、決して起こらないもの」だと思っていた。思えば、そんな年寄り臭い諦観を、どこかに持ちながら生きて来た。

 しかし、この時は違った。駄目元で決行した告白が実ったのだ。世界中の幸せを独り占めした気分になった。

 しかし、永遠に続くと思い込んでいたその幸せは、唐突につまずいた。

「桑城君……私ね。実はイギリスに留学することが決まったの……ごめんね……言って無くて……」

 そんな言葉を一つ残して、付き合い始めてからたった四日目で……紗枝はこの町からいなくなってしまった。

 だから、腹立たしいのだ。半年前までは、「グッド・ラック」でのアキヤの定位置は俺の隣だった。そして、サトミの隣、俺の正面にはいつも紗枝が座っていたのだ。体重を気にしているあいつが頼むのは、いつでもウーロン茶。俺はあの頃から「カリビ」だった。

 俺は、紗枝に告白するずっと前から、学校が終わると「十字街」で降りてグッドに入り、この椅子に座って、ウーロン茶を飲む紗枝を目の前にして「カリビ」を食ってきた。その時間が、俺の至上の幸福だった。心のどこかでは、いっそこのまま、紗枝に告白せずに終わった方がいいかもしれないとも思っていた。それほど、俺にはこの席に座っている時間が大切だったのだ。

 そんな俺の気も知らず、アキヤはサトミの隣で、能天気にはしゃいでいる。何が楽しくて、こいつの顔と向かい合いながら、バーガーを食わなきゃいけないんだか……


☆           ☆


 「グッド・ラック」を後にした俺達は、再び「十字街」駅に戻った。「どっぐ前」方面の路線に乗るアキヤとは、ここで帰路が別れるのだ。一方、俺とサトミは「函館駅」方面の路線に一緒に乗った。

 この時間としては、車内はかなり混みあっていた。俺はサトミの隣で吊革につかまり、電車に揺られながら、窓の外を流れる「行啓通り」の街並みをぼんやり眺めていた。サトミの家は、ずっと先の終点近く、「駒場車庫前」が最寄り駅だが、俺は次の駅「堀河町」で降りるので、そこから先は別れることになる。それを見計らったように、乗車して以来無言だったサトミが口を開いた。

「宗司さ~、何だか元気ないみたいだけど大丈夫?」

 また、こいつのお節介が始まった。ガキの頃から、これだけは全く変わらないらしい。

「別に、元気無いなんてこと無いぞ」

「桐嶋さんがいなくて、寂しいんでしょ」

 ……と、からかうように、笑顔を浮かべた。

「べ……別にそれとは関係ねえよ」

 俺が憮然とそう言った直後、車両は「堀河町」に止まった。俺は、サトミを半ば無視して、ツカツカと出口に向かって歩いて行った。

「じゃな」

「バイバイ」

 道路中央に設置された駅ホームに降り立つと、再び走り出した車両の後部を見送りながら、横断歩道に渡った。

 歩道では、白尽くめの衣服を着た、怪しげな集団がガードレール沿いに並んで立っていて、通行人にビラをまいていた。

 また、こいつらか。

 「祠堂会」という新興宗教の連中だ。ちらりと見た限りでは、ビラ配りをしている信者たちは年齢も性別も様々で、どう見ても学生らしい年齢の奴までいた。

実は、俺は前に一度だけ、興味本位でこいつらのビラを受け取ったこともあるのだ。

「光を受け取りましょう。宇宙からの摂理を受け入れましょう。世界が変わります。世界の秩序を改変しましょう……」

 しかし、文面のあまりの気持ち悪さに耐え切れず、内容を最後まで読めなかった。当然即座に丸めて捨てた。

 こいつらの教祖の顔は、函館市民なら誰でも知っている。二年前、市議会選挙で立候補して、奇天烈な選挙活動で、悪名だけはとどろかせたのだ。「祠堂幸三」という名前の、ひげを長く伸ばした、概観からして胡散臭さ爆発のオヤジだ。あの時は確か、「自分が当選しなければ、隕石が落下して日本が壊滅する」という予言を大外れさせたのだ。あれで、教団もすっかりしょぼくれたはずだったが、ここ何ヶ月かで、また復活してきたらしい。こんなうっとおしい奴は、早い所、この函館の町から消え去って欲しいもんだが……

 俺は舌打ちをした。

 それと同時の事だった。

 口の中で、小さな「何かの粒」がはじけ、微かな香りとなって鼻腔へと抜けて行った。

 ん? これは……?

 山椒の香り……か?

 さっき食べたスパイシーポテトの味は、「どうにも妙だ」と感じたのだが、これが原因か……? もしや、あのポテトにまぶされていたのは……

 七味唐辛子???

 フライドポテトに「七味」なんて、そんな馬鹿なはずは無い……

 でも……これは確かに……

 実は、ここの所、俺の気分がすぐれない、どうにも落ち着かないというのは、本当のことなのだ。そして、それは「紗枝がいないこととは関係ない」とサトミに言ったのも、半分は本当だ。

 これは、なんとも具体的に口では説明のしようが無いのだが……日常生活を送っていて、何をするにしても、何に触れるにしても、妙な「違和感」がある……もっとはっきり言えば「気持ち悪く」感じるということなのだ。その感覚は、さっき山椒の香りを感じた瞬間、一層強くなった。

 一体、何なのだろう、これは……

 考えてもどうにかなるものでもないし、具体的な実害も無いので、努めて気にしないようにしていたのだが……

 いつまでも口の中に残留する、微かな山椒の香りとも相まって、それがどうにも引っかかって仕方なかった。


☆           ☆


 そして、「堀河町」駅から歩くこと五分、俺の住む家に到着した。

「蕎麦処 玄助」

 俺の親父の名前そのものがつけられた、町の蕎麦屋。そこが三代前から我が家が住む場所だ。手打ちであることが売りなのだから、看板も「手打ち蕎麦 玄助」とすればよさそうなものなのに「蕎麦が手打ちなのは当たり前じゃねえか」という、親父の変なポリシーにこだわって「蕎麦処」とだけ書かれてあるのだ。

ガラリと店の玄関を開けて、中に入った。中にお客がいようと構う必要は無い。うちは、そんなしゃれた店じゃないのだ。物心ついたころから、俺はこうして店の真ん中を突っ切って家に帰るのだ。

「帰ったぜ!」

「おお!」

 店の厨房から親父のダミ声がする。どうやら、今日も生きているらしい。

「よう、宗ちゃん! 久しぶり!」

 ビールを飲みながら蕎麦をすすっていた、クリーニング屋の浅田のおっさんが俺を見つけて声をかけた。おっさんは、俺が小さい頃からこの店に通っている、最古参の常連客だ。

「ああ、どうも。こんちは」

 俺は一応返事をしておくと、さっさと二階への階段を昇っていった。

 踊り場の右側には、妹の香澄の部屋がある。俺は左側にある自分の部屋のドアを開けて中に入った。

 そここそは、唯一にして絶対の、この世界で最も俺の心を癒す、「聖なる地」なのだ。

 カバンを畳の上に投げ出して、俺は座椅子にどっかりと腰を沈めた。

 畳敷きの6畳間。南側にはベランダに出るサッシ。東側の壁には、押入れと勉強机として使っている座卓と座椅子がある。

 そして、この部屋が俺の聖地である理由……それは、ここに入った人間なら、一目で理解できるだろう。びっしりと本棚に並べられた、無数のプラモデル。全て人型ロボットだ。

 「機甲宇宙師団バンテル」に登場する人型兵器のプラモデル。「バンプラ」と言ったほうが、通りがいいはずだ。

 「バンテル」の第一作が作られたのは、かれこれ三十年前。続編はOVAも合わせて総計十五本。もはや伝説を越えて、日本の「文化」になった感もあるアニメの代名詞だ。これのファン層は広い。俺のような「平成以降ファン」の高校生から、「ファースト世代」のおっさんまで、様々だ。しかし、俺のように山のようにバンプラを買って組んでいる人間は、等しくバンテルオタク、すなわち「バノタ」と呼ばれてしまうことになる。

 はっきり言えば、「バノタ」というのは「蔑称」だ。日のあたる場所で、大声で言える趣味では無い。俺がバノタであることを知っているのは、学校ではサトミだけだし、奴にも俺の趣味のことについては、硬く口止めをしている。

 しかし、俺はこれでもただのバノタではない。モデラーとしては結構な腕だと自負している。そんじょそこらのバノタなら、買ってきたキットを、そのまま塗装もせずに組むだけ、俗に言う「パチ組み」と呼ばれる作り方しかしないだろう。しかし、俺の場合は、気に入らないキットなら、切った貼ったの大改造をして、時には数か月もかけて仕上げるのだ。

 そんな、数ある俺のコレクションの中でも、最高傑作と思っているのが、「青の三竜」だ。これは、バンテル第一作に登場する、三機一組の機体のことで、シリーズ中屈指の人気を誇っている。しかし、こいつはどういうわけか立体化に恵まれていない。これまで発売されたキットは、全てがとんでもなく酷い出来で、ファンのブーイングを浴びている。

 しかし、俺は既存のキットをベースに、原型をとどめないほどに、徹底的に改造をした。しかも、三機を寸分変わらぬ形状に作り上げたのだ。一機だけなら、改造した作例は良くあるだろうが、三機をコンプリートしたのは、少なくとも俺は他に見たことが無い。

 だから、こいつは俺の最高傑作だ。これを眺めながら、帰宅途中で買ったコーラを一気に飲み干すのが、俺の至福の時間なのだ……

などと思いながら、俺はバンプラが飾ってあるはずの本棚を眺めたのだが……


 …………


「な、何だ、こりゃあああああああああ!!!!!!!!!」

 心臓が喉から飛び出すかと思うほどの驚愕が俺を襲った。

 本来隙間無く並べてあるはずの、同じサイズの本棚二つが、壁の両端に離れて置かれているのだ。そして、陳列されているバンプラの配置が、全く違う。俺なりのこだわりを持って、作品別に整列してあったはずの作品が、まるでトランプをシャッフルしたように、てんでばらばらの順番になって詰め込まれている! 何で、こんなことになってる??? 

 しかし、俺を真に戦慄させたのは、もっととんでもない「怪異」だった。

 離された二つの本棚の間には、当然「何もない壁」が見えるはずだ。

 しかし、そこには何と「ドア」がある! 見慣れない「ドア」だ! どう見てもこれは「ドア」なのだ!

 再び俺は叫ぶ!

「だ……だから、何だ、こりゃあああああああああ!!!!!!!!!」

 俺が目の前の信じられない光景と対峙している、その時だった。

ガチャ!

 右側で部屋のドアが開く音がした。そっちは、今さっき俺が入ってきたばかりの、この部屋の「本来のドア」だ。

 そこから一人の「人物」が部屋に入ってきた。

「ただいま、宗司君。もう帰ってたの? 今日は早いのね」

 などと、その「人物」は涼しい顔で言いながら、目の前を通り過ぎた。そして、何食わぬ仕草で「謎のドア」の方をガチャリと事も無げに開け、中に入ってしまった。

 ガチャリ!

 そして「謎のドア」は閉まった。


 …………………………


 ちょっと待て……


 俺は、ぐちゃぐちゃになった頭の中を必死に整理する。


 なんだ、このドアは……こんなものはあるはずが無い……


 それに、何だあいつは……女だった……紛れも無く女だったが……


 しかもあれは「ヤマ高の制服」だったぞ……何でだ……顔も見た……あんな奴知らない……しかも、あいつは俺を「宗司君」と呼んだ……「宗司君」だぞ……


 そして、髪型だ。間違いなくあの髪型はポニーテールだった……いや……それは別にどうでもいいのか……


 一体、なんなんだ、なんなんだ、なんなんなんなんだ……?


 俺は、部屋の「本来のドア」に駆け寄り、乱暴に開けると、雪崩のような勢いで階段を駆け降りた。靴も履かずに店の中を駆け抜けると、家の外に出た。

 あの「謎のドア」の「向こう」に何があるのか、家の外から確かめようと思ったのだ。

 そして、そこで見たものは……

「な、何だ、こりゃあああああああああ!!!!!!!!!」

 三度俺は叫んだ。

 俺の部屋がある二階部分の西側、壁だけしかないはずだった場所に、何と巨大な「離れ」が出来ていた! 部屋が一つか二つ入るくらいの、丁度マッチ箱のような形状の「家」が文字通り「取ってつけたように」、側面から張り付いているのだ! 「離れ」だ! 二階に張り付いてるけど、これは、どう見ても「離れ」なのだ!

 再び、全力疾走で家に戻り、階段を駆け昇った。

 俺の部屋に戻ると、問題の「謎のドア」は、やはり存在していた。位置関係を考えれば、これは間違いなくあの「離れ」に続いているのだろう。

 深呼吸を繰り返し、すこしでも平静を取り戻し、息を沈めながら、しばらく腕組みをして考えた。

 これは一体、どういう事態なのだ……

 このまま驚きっぱなし、叫びっぱなしでいいはずが無い……

 再び、室内を隅々まで観察する。

 そして、壁の両側に移動した本棚を改めて見て、さらなる衝撃的な事実に気がついた。

 本棚の天板の上には、アクリル製のディスプレイケースが置いてある。その中には、「青の三竜」を筆頭とする、俺の「選抜メンバー」バンプラ八体が飾ってあったのだが……

 しかし……しかし……今そこに存在しているのは、空のショーケースだけだった!

「おい……ちょっと待て! 冗談じゃねえぞおお!!!」

 無い……どこにも無い……本棚の方に移っているわけでもない。いくら探しても、ショーケースの中にあった作品は、部屋のどこにも無かったのだ!

 どういう事だ……あのドアが発生したショックで、本棚は移動し、陳列の順番は変わってしまったし、アクリルケースの中の「傑作」は消滅してしまったとか……???

 ゆゆゆ許せん!

 他の何を許しても、これだけは許せん!

 どうにも不安があったが、勇気を出して「謎のドア」に手を伸ばし、ノブをひねった。俺は、この異常な現象の正体を確かめ、あの「女」にバンプラ消失の責任を追及する必要があるのだ。

 はたして、ドアはあっさり開いた。


 しかし、ドアの向こうにあったのは、あの女の裸体だった。


 なんと、シャワーを浴びている最中だったのだ。

 普通なら、女のほうが「キャアアアア!エッチイイイ!」と、叫ぶシチュエーションかもしれない。しかし……

「な、何だ、そりゃあああああああああ!!!!!!!!!」

 四度叫んでいたのは俺のほうだった。

 動転して、謎のドアを叩きつけるようにして閉めた。


 なんだ、なんだ、なんなんだ……


 ドアに背を向けて、俺は頭を抱えた。必死に冷静さを取り戻そうと、努力しつつ考える。

 何だって、すぐ向こうがシャワールームになってる? こんな間取りはおかしいだろ! いや……そういう問題じゃねえのか。そもそも、こんな「離れ」が俺の部屋の隣に出現していること自体が怪異なわけで……

 一体どれほどの時間、そんな考えを、ミキサーのようにグルグルと頭の中でかき回していただろうか。

 背後でガチャリと音がした。これは、「謎のドア」が開いた音……?

 振り返ると、さっきの「女」が、リンゴの柄がプリントされたパジャマを着て立っており、神妙な表情で俺を見つめていた。

 俺の方も、上から下まで、そいつの容姿を確認する。顔も、体も…… 「俺なりの感想」はいくらでも沸いてきた。しかし、とりあえずそれは心の底に封じ込めることにしたのだが……

「全く、あなたって言う人は、『極めて好色』なのね」

 女の方は、いきなりそんな無礼なことを、淡々と言い放った。

 ちょっと待て、何で俺が『極めて好色』だ。こいつの裸を見たのは不可抗力だ。しかも、残念ながら、まことに残念ながら、背中と……後は、せいぜい「尻」しか見えなかったのだ。それも一瞬だ。「正面」は、まことにまことに残念無念だが、見えなかった。白状すれば、俺は女性の裸体をグラビアではなく、「生」で見たのは正真正銘さっきが初めてだったのだ。おっと、ガキの頃に風呂で見たお袋の裸は別だ。そんなおぞましいものは記憶の彼方に消え去ってる。

 ともあれ、千載一遇のラッキーチャンスだったのに、見事欲望に打ち勝って、はたまた倫理観に負けただけかもしれないが、俺はドアを即座に閉めた。だから、俺が『極めて好色』だというのは言いがかりだ。せいぜい『人並みにはスケベ』なら、認めないでもないが……などと、断固として抗議したかったのだが……

「ええと……それで……そうだ、なんでお前いきなりパジャマなんだよ」

「ああ、これね。まだ制服と寝巻きしか持ってないの。だから、これは仕方ないわよ」

「ああ……そうなんだ……」

 ……って、そんな、どうでもいい会話をしてしまった。

 そうじゃねえだろ! パジャマなんてどうでもいいのだ!

「いや……違う! そうじゃなくて何で、俺が『極めて好色』なんだ。さっき、すぐにドアを閉めただろうが!」

「いいえ、それは違うわ、宗司君。あなたが『極めて好色』なのは、数学的に証明できる客観的事実なのよ。それが論理というものだわ」

 ろ、ろ、「論理」だあ? ……って、そもそもそうじゃねえだろ! 問題は「好色」うんぬんじゃない。一体お前は誰で、その「離れ」は何なんだと、俺は聞かなきゃいけなかったのだ。

 その時だった。階段を昇ってくる足音が、ドアの向こうから聞こえて来た。

 このリズムは……間違いなく妹の香澄のものだ。因みに、俺より歳は一つ下で、こいつもヤマ高の一年生なのだが……そんなこと、今はどうでもいい。

「お兄ちゃん~ご飯出来たよ~」

 やばい……!

 俺は、血相を変えて「離れ」のドアを開けた。謎の「論理女」の両肩をガシとつかむ。

「な……何よ。いきなり何すんのよ!」

 相手の言葉には構わず、女をシャワールームの方に押し込もうとした。

「お兄ちゃん? 部屋にいるよね~」

 香澄の声はすぐそこだ。

「おい……何よも何もねえだろ! やばいだろ! とにかく部屋に戻れ! 妹が来るじゃねえか!」

 とにかく、無理やりに『謎の女』をドアの向こうに閉じ込めることに成功した。殆どそれと同時に、香澄が部屋のドアを開けて、顔を出した。

「お兄ちゃん、聞こえたあ? ご飯出来たって~」

「あ、ああ。分かった分かった。聞こえてたよ。すぐ行くって……」

 間一髪間に合った……冷や汗物だった……

 しかし、冷静に考えて見れば、「論理女」を離れに押し込めたことは、何の解決にもなってないのか……何しろ、西側の壁に「謎のドア」がでかでかと発生していることは隠しようが無いのだから……

 そんなことを考えていると、香澄は、それがごく当たり前の事のように、

「それじゃ、加納先輩も呼んでね。帰ってるんでしょ?」

 と言った。

 全く、事もなげに、そう言ってのけたのだ。

 すると、謎のドアがガチャリと開き、「論理女」が顔を出して。

「うん、私いるわ。香澄ちゃんありがと。私も一緒に降りるね」

 ……と、こいつも事も無げに言う。

 女は、呆然と立ち尽くす俺を通り過ぎると、香澄と共に階段をパタパタと降りて行ってしまった。

「今日は、先輩の好きなブリの竜田揚げみたいだよ」

「本当? 嬉しいな!」

 などと、ごく日常的な会話が、階下から小さく届いて来た。


 ………………………………


 「加納」……「先輩」……だって?……


 一体!……誰なんだ!……おまえはあああああああ!!!!


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