16 突然の来訪者
なんか変な感じ。
と、見慣れてきた響哉さんのマンションのダイニングテーブルで、響哉さんが巻いてくれた手巻き寿司を頬張りながら、私は思う。
えっと。
響哉さんが手巻き寿司の食材って頼んだのに、お刺身やシーチキン、生野菜以外に、ジャムやなすびや豆腐やチーズが買ってあったことも、確かに不思議と言えば不思議なんだけど……。
これは、もう春花さんが買い物を任された結果だと分かっているので、そこまでは驚かない。
それに、もちろん、食卓に余計なものは並べていない。
ついでに言えば、なすびと豆腐は響哉さんが味噌汁にしてくれた。
だから、まぁ、いいの。
変に感じるのは、響哉さんとここに二人きりで居るってことに対してだ。
今朝まで、何の疑問も感じなかったのに、ついついそう思ってしまうのは、テレビのせい。
あの、マスコミの数とフラッシュの多さは、私の想像を超越していた。
佐伯先生が言う、須藤響哉像とも随分かけ離れている。
でも、きっと、テレビで見たほうが本当なんだと思う。
だって、佐伯先生ってなんとなく響哉さんを敵対視しているところがあるもの。
そんな有名人を独り占めした挙句、一緒に寝泊りしているなんて、私ったら。
お父さんが「真朝をスキャンダルに巻き込むな」って響哉さんに言った意味が、わかってきた気がする。
響哉さんの方は、私のそんな心境の変化に気づくはずもなく、いつもと同じように、いつくしむような視線を投げて夕食のひとときを楽しんでいるようだった。
ピンポーン ピンポーン ピンポーン
甘さを含んだ静けさを、不意に乱暴な呼び鈴が遮った。
同時に、家の電話と、響哉さんの携帯電話もかしましい音を立てる。
「……なんなんだ」
響哉さんは不服げに言うと、スマホを片手に立ち上がる。
私は家のインターフォンに出た。
「はい、須藤――」
です、という時間も与えずに
「一階の管理室です。すみません、須藤さんっ。脱兎の如く入られて、そのっ。
あのっ」
おじさんは動揺のあまり、言葉が紡げないようで、要領の得ない話を早口で繰り返すばかりだ。
困った私は響哉さんに目を向けた。
携帯電話片手に、
「手遅れだ。
素人相手にそういうミスしてんじゃねぇよ」
と、ぼやき、携帯を電源ごと切って投げ出した。
そうして、いまだうるさく鳴り響いている呼び鈴に、いまいましそうに舌打ちしてからインターフォンをとる。
「Kyo-」
「Shut up!」
(だまれ!)
インターフォンの向こうから聞こえてきた声に、英語で一喝する。
そうして、ふぅとため息をついた。
「ここに、10歳の女の子がやってきたんだけど、どうする?
あげてもいい?」
……ダメって言いづらいんですけど、それ。
「10歳?」
私が目を剥いている間に、また、呼び鈴が鳴り始める。
響哉さんはオーバーアクションで肩を聳やかすと、がちゃりとドアを開けた。
ドアの向こうには、金髪で青い目をした、レディが一人。
大きな荷物を抱えて、半べそ顔で立っていた。
「キョーヤっ」
響哉さんがドアを開けた途端、口角をあげて満面の笑顔を作り、彼の身体に抱きついた。
彼女は当然のように、ハグとキスを求めている。
それをあっさり拒否したのは響哉さん。
「Why? You always kiss and hug with me!」
(どうして? いっつもキス&ハグしてくれるのにっ)
少女が喚く。響哉さんは、子供に向けているとは思えないほど冷たい瞳を彼女に向けて、
『ここは日本だ』
と、英語で冷たく言い放った。
『ここがどこであろうと関係ないわっ』
少女は唇を尖らせる。
――彼女。
誰かに似てる。
『ねぇ、Dadっ』
Dad……って。
私は思わず息を呑んだ。
日本語に訳すまでも無い。
……あえて言えば「パパ」
やっぱり、響哉さんって子供居るんじゃないっ。
しかも、金髪で碧い目をした女の子――。
不意に頭を過ぎったのは、今朝のキスシーンで。ああ、あの、お相手の女性に似ているんだと、気づく。
『カレンは、知ってるんだろうな』
しぶしぶ、キスを諦めて靴を脱いでいる少女を見下ろしながら、響哉さんが問う。
口調が冷たいのは、英語を発音しているから、というわけではなさそうね。
……カレン。
いつか、深夜に響哉さんに電話をかけてきた女優の名前。
『お散歩に行ってくるって、ガードマンに言ったわ』
えへんと胸を張る彼女に、響哉さんは頭を抱える。
『見え透いた嘘をつくものじゃない。
そんなこと言えば、ガードマンが君を一人にするはずがないじゃないか』
てへ、と、少女は可愛らしさは微塵も崩さぬままぺろりと舌を出した。
『煩いなー。
あんまり口うるさいと、女の子にもてなくてよ。
あ、美味しそうっ。
私、サシミ、食べてみたかったの。
ねぇねぇ、これ、どうやって食べるの?』
少女は、勝手に空いた席に座る。
響哉さんはふぅとため息をついて、頭を抱えた。
「ごめんね、マーサ。
彼女、マーガレットって言ってカレンの娘なんだ。
どうして、カレンが来日しているのかも分からないし、彼女ががついて来た理由も分からない」
もう一度、春花に確認を取るから、待っててくれる? と言って、響哉さんはスマートフォンの電源を入れる。
「Peggy」
響哉さんの日本語を聞いていたマーガレットが、口を挟んだ。
「ああ、呼び名はペギー」
携帯電話を見ながら、響哉さんが補足を入れてくれた。
……キャサリンがカレンで、マーガレットがペギー?
そのややこしさに、生粋の日本人であり、日本でしか生活をしたことがない私は軽い眩暈を覚えずにはいられない。
『で、アナタの名前は?』
マーガレット改め、ペギーは、遠慮もなしに私に話しかけてきた。
もちろん、英語で。
『真朝よ。宜しくね』
子供相手にどういう態度を取ったらよいのか判断のつかない私は、ついついにこりと微笑んでしまう。
『キョーヤとの関係は?』
しかし、相手は子供といえども、シビアな言葉を突きつけてくる。
そ、それは今、大変曖昧かつデリケートな問題で……。
『彼は私の両親の親友よ』
『じゃあ、アナタは早く両親の元に帰ればいいんじゃない?』
ペギーは、ツンとした表情でそう言った。
なんとなく、幼かった頃の自分とだぶって苦笑しちゃう。
彼女も、響哉さんのことが好きで、独り占めしたくて仕方が無いんだわ。
私は、出来るだけ感情をこめずにさらりと事実を告げる。
『無理よ。
私の両親はずっと昔に他界しちゃったの』
「I'm so sorry.」(お気の毒に)
ペギーは、丁寧にそう言ってくれた。
少しだけ、強気な表情が、しゅんとしたものに変わる。
いくら事実とはいえ、子供相手に大人気ないこと言っちゃったかしら。
『大丈夫よ。そうそう、おなかがすいてるんだったわね』
私は、ご飯を皿に盛って、興味のある食材を本人に聞きながら、海鮮丼を作ってあげた。
『醤油、大丈夫かしら?』
私の質問にペギーは瞬きを繰り返す。
あれ?
間違えたかしら。
――Can you eat Shoyu?
ああ、醤油は調味料だからeatじゃないのかしら。
自信が揺らぎ、言葉が出てこなくなってしまった。
「It means Soy Sause.」(ソイソースのことだよ)
混乱している私に代わって、電話中の響哉さんが説明してくれる。
――ソイソースって言うんだ。知らなかったわ。
『ああ、醤油(Soy sause)ね。大丈夫。だってDadの料理にはよく使ってあるもの』
何故か、ペギーは得意そうに私にそう告げた。
……だったら、目の前にある醤油さし使えばいいのに。
なんて思ってしまう私は、少し、器が小さいのかもしれないわね。
そういえば、この子、箸使えるのかしら。
それとも、ナイフとフォーク……?
どうしようかと思っていたら、響哉さんはイラついた口調で電話での会話を続けながら、箸を取り出し、サシミの上に適量の醤油までかけてくれた。
「Thank you, Dad!」
ペギーは、弾けんばかりの笑顔でそういうと、器用に箸を使って、海鮮丼を食べ始めた。
とはいえ。
さすがに、生魚を口にするのは初めてなのか、その食感に子供らしくあからさまに顔を顰めてみせる。
『キョーヤもこれ、食べるの?』
こっそりと耳打ちで私に聞いてくるところが、微笑ましいと同時に、彼女の胸のうちが分かるようで、何故だか心臓がキュンとなってしまう。
……好き、なんだ。
母親の傍を離れて、見知らぬ日本の中をタクシーを使ってわざわざここに来てしまうくらいに。
ペギーも、響哉さんのことが、好き、なんだ……。
もちろん、それはきっと、大人から見れば、子供が親や兄を慕うような感覚なんだと分かっている。
だけど、少なくとも本人は本気に違いない。
3歳の頃の私だって、本気で『キョー兄ちゃんと結婚する!』って騒いでいたのだから。
10歳の子供相手に、嫉妬心を覚える必要なんてないわ、と。
自分に懸命に言い聞かせないと、感情が揺れ動いてしまいそうになる。
頑張って、海鮮丼と格闘しているペギーをぼんやりと眺めながら、私は、急速に食欲が減退するのを感じていた。
「それがリミットだって伝えとけ」
響哉さんはそう言い捨てると投げるように電話を切ると、直後別人のようなふわっとした笑みを浮かべ、私の頭を撫でた。
「マーサ、眠くなったんじゃない?
ゆっくりお風呂に入ってくるといい」
唇がそっと、頭に触れた。
直後。
きーっと、動物園の猿のように、目の前のレディが悲鳴をあげる。
『ずるいっ。
日本語で喋ってたら、何言ってるのかわかんないっ。
私のキョーヤなのにっ』
うわぁあんっと、子供ならではの大声をあげてペギーが泣き出す。
思わず駆け寄ろうとした私の手を、響哉さんが掴む。
「甘やかされて育ってるんだよ。
俺に任せて。
ほら、早くお風呂に入らないとどんどん夜が短くなっちゃう」
まるで、目の前のペギーなんて居ないみたいに、嫣然と微笑みながら意味ありげなことを言うと、くしゃりと頭を撫でてくれた。
……えーっと。
この状況で尚、よからぬことを計画したりは、してませんよね?
「それとも、お兄ちゃんがお風呂に入れてあげようか?」
……うわぁっ。
冗談とも思えぬ言葉の響きと肩にかかる手の動きに、私は慌てて身体を離す。
多分、そう言われて、喜んでお風呂に入れてもらったことは、あるんだと思う。
……でも、それはもう、13年くらい前の話、でしょう?
だいたい、ペギーのこと「甘やかされて」とか言ってるけど。
どう考えても響哉さん、私を甘やかさせ過ぎですから!
「一人で入れるから大丈夫っ」
焦った私は響哉さんの傍から脱兎の如く逃げだした。
その瞬間。
ものすごい素早さで、ペギーが響哉さんに抱きついて、頬にキスをしたのが目の端に見えた。
……でも。
私は素知らぬふりで、お風呂に向かうことにした。
アメリカではあれは挨拶なんだから。
あまりにも心の中がざらつくので、無理矢理自分にそう言い聞かせてみる。
まさか、他の人が目の前で響哉さんにキスしているのを見るだけで、こんなに気持ちが苦しくなるなんて、思わなかった。
……相手は、子供なのに。
もしかしたら、響哉さんの『娘』かもしれないのに……。
それに、何より。
響哉さんから逃げ出したのは、私なのに、ね。
……変なの。
それにしても、本当に変なことだらけだわ。
響哉さんは、どうやら間違いなく人気ハリウッドスターみたいだし。
何故か、現役生徒である私さえ知らなかった、うちの高校の理事長室の秘密の階段を知っているし。
幼馴染の梨音とは、敵対しているし。
……そして、実は金髪で青い目の娘が居る……ってこと?
そうなると、カレンって言うハリウッド女優と結婚している……とか!?
ええ、ってことは、全体的に私はだまされていることになるのかしら。
考えを纏めようとした私は、逆に迷路に陥っていく。
全て洗い流そうと、熱めのお湯をざぶりと頭から被った。
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