第92話 *6* 2007年8月某日、夕方
専用の入り口があるらしい。勝手口に近い鉄扉は開いているようで、そこを通って廃屋の中に入った。
充ちているのは
やがてたどり着いた廊下。その突き当たりにある部屋から光が漏れていた。そこを目指して進んできたようで、懐中電灯を消すと灯りがついている部屋のドアを開けた。
「外に昼間のガキがいたんで連れてきたけど、
八畳はありそうな広い真四角の部屋だ。その部屋の四隅にキャンプで使用するようなランタンが置かれて灯っている。古くボロボロになった
そんな部屋の中央に、後ろ手に縛られた将人が転がっていた。周りを三人の柄の悪そうな少年が囲っている。
殴られたり蹴られたりしたのだろう。顔を腫らした将人を見て、
将人は紅と一緒に戻ってきた少年の問いに答えた。
「知らねえよ、そんなガキ」
――わざとだ。
紅には将人がどうしてそんなことを告げたのか理解できた。知らない人間であるのを装っている。無関係だと主張して、巻き込むのを防ごうというのだ。
「じゃあ、俺がこの子に何をしようと、お前にゃ関係ないな」
告げるなり、少年は掴んでいた紅の腕を解放する。そして足払いをした。
小さくて軽い紅の身体は足払いをされてバランスを崩し、側面を下に倒れる。そこを容赦なく蹴り飛ばされた。
「ぐっ!?」
つま先が
「
「こういう
言って、苦しそうに呼吸をしている紅を
「待てよっ。何をする気だっ!?」
将人が叫んで動く。だが、周りに立つ少年の一人に蹴り飛ばされて
「傷が残るようにいたぶるには、肌を直接見ながらがラクじゃん?」
キャミソールが
「ひぅっ」
紅は
「もうちょい発育が良けりゃ、犯してみるのも面白そうだったんだけどな」
胸を覆っていた右腕を掴まれて、床に固定される。体重を掛けられて押さえつけられた手首が軋む。
「痛いっ!!」
「もっと泣いて
腹を殴られた。空気が一気に吐き出されて、しかし痛みでうまく吸えない。苦しさに紅は
「お前のせいで補導され掛けたからな。借りくらい返してもかまわんよな?」
二発目も腹部を狙われた。
「がはっ!?」
胃液が逆流してくる。紅は横を向くと吐き出した。
「うっわ、きたねぇな」
紅が吐いたのを見て、真雪は上から退く。そのあとで紅の脇腹を強く蹴った。
「やめろっ!! それ以上、紅に手を出すなっ!!」
将人は勢いよく立ち上がる。周りの少年たちは将人を押さえるべく動き出すが、一人を頭突きで黙らせ、もう一人は足払いで転倒させ、焦った最後の一人は体当たりで
「なんだ。やっぱり知ってるガキじゃん」
真雪は将人と対峙する。その一方で紅をつま先で
「可哀想になぁ、知り合いなのに無視されちゃって。ねぇ、紅ちゃん」
「気安く紅の名を呼ぶなっ!!」
跳躍。そこから回転を混ぜた蹴り。
将人の攻撃は当たらず、真雪は軽く後方に飛んでかわした。
「紅。お前、どうしてンなところにいんだよ」
目的は攻撃ではなく、紅から真雪を引き離すこと。将人は紅に背を向けてしゃがむと、腕を動かす。
「だって、将人をほうっておけないよ」
答えながら、紅は目の前に出された将人の腕を縛っているビニール紐を解くために手を動かす。固く結ばれた紐は簡単には解けない。
――切れれば早いんだけど……。
焦っているからか、うまくできなくて手間取ってしまう。
「……おれに関わるからこういうことになるんだぞっ。忠告しただろうが」
「――何しているのかな?」
気付かれた。
真雪が半歩近付いて、将人の顔面に向けて蹴りを入れる。
「ちっ」
舌打ちをして、将人は蹴りが来る方向とは逆に向かって重心を移動させる。威力を弱めるためと、紅自身に注意を促すためだ。
「ふーん」
将人は床に転がった。すぐに残りの三人に囲まれ、無理やり立たされる。
「まぁ、あんまり長居してっと、そのクソガキが呼んだ誰かさんが駆け付けてくるみたいだし、そろそろずらかろうかな」
「誰か呼んだ?」
真雪の台詞に、将人が反応する。口元に笑みを浮かべて。
「くくっ……じゃあ、なおさらこのまんまにはしておけねぇな。――この際だ。一緒に補導されようぜっ!!」
ふっと足の力を抜いてしゃがむと、将人は回し蹴りで少年たちの
一人はひっくり返るように転倒し、打ち所が悪かったらしく伸びてしまう。あとの二人にはかわされた。
「さっすがに芸がなかったかな」
間髪入れずに下から顎を狙って頭突きをかます。勢いをつけた分だけ後方に飛ばされて、二人目も動かなくなった。
「あと二人っ!!」
背中側から襲い掛かってきた少年を、将人は影を利用して察知すると、ぱっと横に転がってかわす。振り下ろされていたのは明かりを消したままの懐中電灯だった。
「あっぶねぇな。武器使うなんて、いよいよお巡りさんの世話になる気か?」
「うっせえっ!」
素早く起き上がり、将人は少年が持っていた懐中電灯目掛けて足を振り下ろす。手から離れた懐中電灯は床に落下。それを拾おうと前屈みになったところを、将人のつま先が捉えた。腹部に入った蹴りは、少年の身体を壁に運ぶに充分な威力を持っていた。
「これで三人目っと。――で、逃げんなよ、真雪センパイ」
足下に転がった懐中電灯を蹴飛ばす。部屋からひっそりと立ち去ろうとしていた真雪の耳元を懐中電灯は
「仲間を見捨てて逃げるようなヤツはリーダーって言わねえよな?」
真雪は将人の挑発を受けて振り向くと、同時にズボンのポケットに入れていた懐中電灯を投げる――紅に向かって。
「っ!!」
不意打ちだ。避けられるわけがない。
懐中電灯は紅の額の左側にぶつかった。赤い血がつうっと流れて、着直したピンク色のキャミソールに斑点を作る。それを確認したのも束の間、紅は意識が
「紅っ!? ――真雪、てめぇっ!!」
「大事なものなら、身体を盾にしてでもちゃんと護らなくちゃ」
紅に駆け寄るか、次の攻撃を仕掛けるかに迷って動けない将人に、平然と真雪は告げる。
「許さねえ」
将人は低い声で呟くと、真雪を睨んだ。
「絶対に許さねえっ!!」
殺気。将人の腕を拘束していたビニール紐が切れて自由を取り戻す。肩を軽く回して指を鳴らすと、真雪に向かって突進した。
「ふんっ、おとなしく応じると思うか?」
真雪は小さく笑うと、将人が先ほど投げた懐中電灯を蹴り飛ばす。それは将人への
その攻撃をして瞬時に部屋の外と繋がるドアに真雪は向かう。逃げる気なのだ。仲間を見捨てて。
「逃がすと思うのか?」
勢いよく飛ばされてきたはずの懐中電灯を将人は簡単そうにキャッチした。
「あぁ、俺は逃げ切れるね」
将人に背を向けている真雪は薄く笑う。だが、余裕はないらしい。タンクトップから覗く肌に汗が浮かんでいる。
「そういうところが、敗因になるんだろうな」
懐中電灯を持ったまま跳躍。真雪の背後に詰め、右肩に向かって懐中電灯を力強く振り下ろした。
「つっ!?」
痛みに真雪は怯む。
懐中電灯を素早く左手に持ち替えると、将人は僅かに振り向いた真雪の顔を右の拳で殴る。
殴られた真雪は勢いで横に移動。壁に追いやられると、口の中の物を吐き捨てた。血だ。口内を切ったらしい。
「今のは効いたぜ? そんなに紅ちゃんとやらが大事だったのかな? ってか、本当に大事だったら、俺の相手をしている場合じゃないんじゃね? 俺を逃がして、彼女の治療を優先するのが賢い選択じゃないのかな?」
口元を拭いながらベラベラと
「俺はバカな小学生だからな。賢い選択もできなけりゃ、年上の忠告にも応じねぇんだ」
懐中電灯を落として後方に蹴る。そして真雪との距離を詰めると、左右の拳で真雪の顔面を殴った。
懐中電灯で殴られて右肩を負傷したからだろう。真雪は左腕でしか防御も追撃もしなかった。
「いい加減にくたばれよっ!」
十数発ほど拳をお見舞いしたところで、将人は真雪のシャツを掴む。反応が遅れた真雪に、将人は頭突きをかました。鈍い音が部屋に響く。
「これでよしっと」
シャツから手を離すと、真雪はずるっと壁を滑るようにして崩れた。彼のポケットから紅が所持しているはずの赤い携帯電話が顔を覗かせていたので、将人は回収して電源を入れる。すぐに着信があった。
「――もしもし? あぁ、
最低限の情報を伝えて、ハーフパンツのポケットに携帯電話を押し込む。そして、倒れたままの紅に駆け寄って、顔を覗き込んだ。
「紅、おれがわかるか?」
頭を打っているときは無闇に身体を動かすべきではないと、将人は理解できているらしかった。
「……うん。気分悪くて、くらくらするけど」
紅の声は薄い。荒い呼吸の合間に台詞が挟み込まれているかのようだ。
「今、外に運んでやる。蒼衣にいも近くまで来ているみたいだから、もう大丈夫だぞ」
怪我の状態を目視で確認し、将人はそっと紅を背負った。殴られたり蹴られたりした場所にできるだけ触れないように注意が払われている。
「……ごめんね、将人」
「謝る必要などない」
「あたし、足手まといにしかなれなくて……」
「……それは気にするな」
背中で泣き出した紅を、将人はどうすることもできなくて、ただ彼女に負担が掛からないようにゆっくりと運ぶ。
「――階段だ。しっかり掴まっていろよ?」
「わかった」
回された腕にほんの少し力がこもった。将人は慎重に階段を下りる。
階段は薄暗く、真っ直ぐ下りた先の一階部分は何も見えない。紅を背負った状態の将人からは足下も見えにくいはずで、重心を取りにくいのもあってより慎重さが必要になる。一歩一歩、確実に進む。
数段進んだところで、二階で物音がした。気付くと同時に、何かが階段を転がり落ちてくる。
「なっ!?」
それが、明かりを消した四つのランタンだと理解できたときには、将人は落下物に足を取られてバランスを崩していた。
「紅っ!!」
二人して階段を転がり落ちる。将人は咄嗟に紅を
「くははっ。将人は詰めが甘いよ。動けないように縛るくらいのことはしなくちゃ。気が回らない程度にはその子が大事なんだな」
二階から懐中電灯の明かりを向けて愉快そうに笑っているのは真雪だった。
「今の音は何ですか!?」
ガラスの欠片を踏みながら駆け付ける足音が近付く。音は複数。
「……どうしよう、蒼衣にい」
階段近くにやってきた蒼衣に、将人は自分の濡れた手を見ながら呟く。将人にしては珍しく、声が震えていた。
「どうしよう、こんなに、血が……」
将人は真っ赤に染まったままの手で顔を覆った。
「え……?」
ようやく事態を把握したらしい。蒼衣は将人の前で仰向けに横たわる紅に近付く。ゆっくりとした足取りなのは、目の前で起きていることを認めたくなかったからに違いない。
紅の周りにはバラバラになったランタンとガラスの破片、そして赤い血が散らばっていた。
「紅……?」
「……蒼衣兄様……来てくれた……」
限りなく薄くしか感じられない視界。でも、紅には誰がそばにいるのかすぐにわかった。
名を呼ばれて、蒼衣は紅の手を握る。
「もう大丈夫ですよ。病院に連れて行って差し上げます。あと少しだけの辛抱ですから」
紅を励ますと、蒼衣は屋敷内に連れて入った使用人たちに指示を出す。
救急車やパトカーなどが駆けつけたのは、それから間もなくのことだった。
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