第32話 ★12★ 7月27日土曜日、20時過ぎ

 ――始まったようだな。

 屋敷の外であるステーションワゴンの中にまでバタンバタンと音が響く。傍観ぼうかんを決め込むつもりだった抜折羅ばさらだが、考えを改めた。この状況で連絡を寄越よこさないほど、こうとの仲は悪くないはず。つまり、彼女は連絡が取れないような状態にあるということだ。

 屋敷に入る前に抜折羅は精神を集中させる。屋敷の内部構造をイメージし、気配を探る。

 ――応えてくれ、フレイムブラッド。

とらえた』

 ホープがフランス語でつぶやく。抜折羅の肌にもフレイムブラッドの波動が伝わっていた。

 抜折羅は玄関の扉を突破すると、吹き抜けのホールで二つの階段を目視確認する。明かりがなく薄暗いが、そこはホープの能力の割り振りを変更して視神経に集め、感度をよくすることで対応した。

 ――ダイヤモンドの〝潜在能力を引き出す力〟は応用範囲が広いが、意識する必要があるところは使い手を選ぶよなぁ。

 遊輝が暗がりでの戦闘を選んだのは、彼のタリスマントーカーとしての能力に〝眼の石〟と呼ばれているオパールが大きく関わっているからだろう。〝敵の目をあざむく〟効用を利用するにも都合が良いはずだ。

 左右にある二つの階段、その右側の方を駆け上がる。目的の部屋は扉が開けっ放しになっていて、仰向けに横たわる紅の姿が目に入った。

「随分な趣味をお持ちのようだな」

 手錠を付けられて拘束されている紅を見下ろしてたずねる。

「あ、あたしの趣味じゃないわよっ!?」

「元気な返事が聞けて何よりだ」

 早速手錠を外してやろうと彼女の手に触れたとき、抜折羅はふと思うところがあって手を止めた。

「抜折羅、それ、外せないの?」

 紅が頭を動かして様子を窺ってくる。不安げな瞳は濡れていた。泣いていたらしい。

「ちょっと出力が足りそうにない」

 力の配分を変えて指先に集中させたのだが、光が弱い。以前チェーンを断ち切ったことがあるが、そのときほどの力は出ていないようだ。

「それって消耗しているってこと? それとも、そもそも手錠を壊せるだけの力を持ち合わせていないってこと?」

「状況は前者なんだが――」

 そこで、遊輝が言っていたことが脳裏を過ぎった。紅に触れると力が得られるという件だ。

 ――卑怯だが、試してみるか?

 心臓が強く脈打つ。自分の良心との戦いだ。

「抜折羅、どうしたの? あたしを助けられないなら、二人を止めに行ってくれるとありがたいんだけど……」

「紅、聞いてくれ」

 決意が声を大きくする。紅はびくりと身体を震わせたが、こくりと頷いた。

「な、何よ? 改まって」

「今から俺がすることは、どうしても必要な行為だ。あとで文句は聞くし、煮るなり焼くなり好きにして構わないから、我慢してくれ」

 覚悟を決めて、抜折羅は彼女の顔のすぐ近くにそれぞれの手を置く。

「え、あの、何をしようとしているのかな? あたしが動けないことに乗じてっ!?」

 狼狽うろたえる紅には申し訳ないと思う。好きでもない男からの口付けなど受けたくはないだろう。

 ――でも、俺はお前を助けたいと思うし、確かめておきたいんだ。

「抜折羅っ……んっ……」

 触れた唇に熱が宿る。そして身体に流れてくる強い波動を感じ取った。フレイムブラッドの熱いエネルギーは、薄れつつあったホープの気配を再び明確にさせる。

「――気のせいじゃなかったんだ」

 すぐにでももう一度キスができそうな鼻先が触れ合う距離で、抜折羅は紅の瞳を見ながら告げる。

「何が……?」

 不思議そうに揺れる瞳。

 抜折羅はもっと彼女に触れてみたいという欲求に負けそうな自分に気付いて、視線を逸らした。

「詳しい説明はあとだ。力の補充は今のでできた。感謝する」

 指先に力を集中させると、さっきまで頼りなかった光は部屋を明るく照らす程度にまで増強されていた。抜折羅は手錠の鎖に触れて断ち切る。

「鍵開けのスキルはないから、今はそれで許せ」

「上等よ。キスの件は後回しにしてあげるわ。――これで二人を止められる。星章せいしょう先輩もタリスマントーカーなの。怪盗オパールを倒す気らしいから、止めないと白浪しらなみ先輩が危ないわ」

「白浪先輩がそう簡単に落とされるとは思わないが……この音はヤバそうだな」

 部屋の物を壊しているらしい。ミシッとかバリッといった音が響いている。

「お願い、抜折羅。手伝って」

「言われなくても、そのつもりだ」

 抜折羅は紅と頷き合うと、階下の破壊音が響く食堂へと共に駆けた。

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