39.病

「んー……」

 ベッドの上に起き上がって、クレアは大きく伸びをした。小窓から外を見ると、ちょうど日が昇るころのようだ。起きるのにはいい時間だ。

 さっきまで見ていた夢の欠片が、不意に頭の中に浮かぶ。ダンジョンの中で、魔道具を見つけたシーンだ。見つけた後にも何かしたような気がするのだが、記憶はするりとどこかに逃げて行ってしまった。

 部屋の中にある、もう一つのベッドに目をやる。レティシアは、うつ伏せになって眠っているようだった。壁の方を向いていて、顔は見えない。

 今日は特に予定も無い。彼女が起きてくるのは、まだ少し後だろう。先にどこかで朝食を取って、レティシアには何か買ってきてあげよう、と算段する。

 身支度をして、部屋を出る。この宿にも食堂はあるのだが、クレアたちはほとんど利用していなかった。前の日までに予約しておかないと出してくれないという、ちょっと面倒なシステムになっているためだ。レティシアが毎日時間通りに起きてくることなんて、到底期待できない。

 一階に降りると、多くの客がちょうど食事をしているところだった。何人かの顔見知りに、クレアは笑顔と会釈を向けた。クレアたちと同じく、長期で部屋を借りている冒険者たちだ。

 この宿は長期で泊まるとかなり安くなるため、長期滞在者が多かった。宿と言うより、貸し部屋に近いかもしれない。食事が予約制で融通が利かないのも、その分余計な経費を節約しているのだろう。

 宿から出たクレアは、大通りを横切って細い横道に入った。この辺りでは食べ物が買える店がほとんど無いのだが、裏に一件だけ食事処があることを最近知ったのだ。

 目的の店にはすぐに着いた。あまり綺麗ではない店だが、安くてそれなりに美味しい。唯一の難点は、朝に食べるにはちょっと量が多いことだ。

 入り口の扉を開けると、木製のドアベルが、カラン、と涼やかな音を立てた。客はほとんどいない。クレアは端のテーブル席に座ることにした。

 パンとスープ、それから持って帰るためのサンドイッチを注文する。少し迷ったあと、林檎りんごも一つ頼んだ。レティシアは朝は本当に少ししか食べない(というか、寝ぼけていて食べられない)のだが、まあ林檎ぐらいなら大丈夫だろう。

 料理はすぐに運ばれてきた。スープに浸さなければ食べられないほど硬いパンと、最早もはや何を入れたのかも分からないほど、全てがどろどろに煮込まれたスープだ。口に入れてもやっぱりよく分からないが、野菜と魚が入っていそうな気がする。妙に塩辛いので、塩漬けニシンでも使ってるんじゃないかとクレアは思っている。

 スプーンで一掬ひとすくい、口に運ぶ。食べるたびにお酒に合いそうだと思うのだが、まだ試してみたことは無い。レティシアはこのスープが苦手のようで、ここには朝一人で食べる時にしか来ない。いくら酒好きのクレアでも、朝から飲んだりはしないのだ。たまにしか。

「お前も朝飯か?」

 不意に、聞き覚えのある声が耳に入る。スプーンを持ち上げた手をぴたりと止めて、クレアはゆっくりと顔を上げた。予想通り、そこに居たのは最近知り合ったばかりの自称冒険者、ステフだった。

「そんなに嫌そうな顔するなよ」

「被害妄想じゃないですか?」

 クレアは視線を戻すと、食事を再開した。

 もう彼とは二度と会うことも無いだろうと思っていたのに、予想に反してその後何度も出くわしている。べつに出かける先の趣味が合うわけでもないだろうに、偶然にしてはちょっと頻度が高い。ストーキングされてるんじゃないだろうかと、クレアはわりと本気で疑っている。

「ここ、座っていいか?」

「……いいとは、言ってませんけれど」

 答える前に、ステフは既に向かいの席についていた。無駄だとは思いつつも、クレアは口調に若干の非難を込めた。相手はやっぱり気にした様子もなく、注文のために店員を呼んでいた。

(カウンター席にすれば良かったかしら)

 クレアは一瞬そう思ったが、すぐに考え直した。隣に座られるぐらいなら、向かいの方がまだましだ。

 注文を取りに来た店員は、クレアのためのサンドイッチと林檎も持ってきていた。ステフはクレアと同じくパンとスープを頼んだあと、そのサンドイッチを指さした。

「レティシアって子に持って帰るのか?」

「……」

「つれないなー」

 質問に答えず、スープを飲み続けるクレアを見て、ステフは肩をすくめた。クレアも真似して肩をすくめてみる。

 うっかりレティシアのことを話してしまって以来、どうもステフは彼女に興味を持っているようだった。いったいどこが琴線に触れたのかは、よく分からない。当たり障りのないことしか喋っていないはずなのだが……。

「美味しかったです。ごちそうさま」

「……ん?」

 さっさと食事を済ましたクレアは、極上の笑みを浮かべながら席を立った。訝しげな表情のステフを置いて、代金を払わずに店を出た。


 宿の部屋に戻ると、レティシアはまだベッドに寝ているようだった。さっき出かけた時から、全く動いていない。

 ふと思いついて、クレアは荷物の整理をすることにした。この宿には結構長い間泊まっていたが、もうすぐ出なければならない。

 大きな袋を開けると、中には故障した魔道具――レティシアに言わせると、ただのがらくた――が大量に出てきた。クレアが今までダンジョンや遺跡で見つけた物の中で、取っておいた物たちだ。どれも破損の程度は高くないのだが、頑張っていじっても、今のところ動きそうな気配は無い。理屈も何も分からずに色々やっても、限界があるのかもしれない。

 その中でも、特に最近お気に入りの一つを取り出した。ちょうど両手の上に乗るほどの大きさの箱で、一面だけは外して中を見ることができる。箱の材質はよく分からない。黒い石のようでもあり、金属のようでもあった。

 箱の中には、縦横無尽に繋ぎ合わされた針金のようなものが、いっぱいに詰まっている。繋ぎ目には、外箱と同じ材質でできた黒い塊が使われていた。外箱かその固まりの場所以外では、針金同士は一切接しておらず、激しく箱を揺らしても中の構造はぴくりとも動かない。材質の強靭さもさることながら、この構造を作り上げた技術に、クレアは感心してしまう。

 一見したところ、箱の中身は全く破損していない。だから動いてもおかしくは無いのだが、色々試してみても上手くいかない。発動のための手順が間違っているのか、それともやっぱりどこか壊れているのか、クレアには判断がつかなかった。

 これは最近行った森の遺跡で見つけた物で、十分に調査しきれていない。ちょうどいい機会だし、宿を引き払ったら一度王都の大図書館に行ってみてもいいかもしれない。まずは調査に時間を使うため、レティシアを説得する必要があるが……。

 ふと、友人の方に顔を向ける。相変わらず同じ姿勢のままだ。

「朝ですよ、レティ」

 さすがに起こした方がいいだろうと思って、声をかける。予想通り返事はない。

「ほら、起きてください」

 肩を揺すってみたが、やっぱり起きない。それどころか、何の反応も無い。

 もう一度、今度は強く揺すったが、それでも反応しない。さすがに少し心配になって、ベッドに手をついて顔を覗き込んだ。

「レティ?」

 クレアはぞっとしたように、友人の名前を呼んだ。彼女の顔は苦痛に歪み、荒い息をついている。額に手を当てると、ひどく熱かった。

 息を呑んで、体を起こす。クレアは慌てて部屋を出た。


 白髪の老人がレティシアを診察しているのを、クレアは落ち着かない様子で眺めていた。宿の店員に紹介してもらった医者に、ここまで来てもらったのだ。いつもは不愛想な店員から、腕のいいお医者さんだから大丈夫、気をしっかり持って、とやたらと心配されてしまった。それほど自分は追い詰められた表情をしていたのだろうか。

「あの、どういった、病気なんでしょうか?」

「うーむ、風邪ではないようだが……」

 白髪のその男は、頬を歪めながら言った。クレアは唇をぎゅっと噛み締めた。病名が分からなければ対処のしようがない。

「魔力の乱れを感じるが、よく分からんな……この子は魔法が使えるのか?」

「いえ」

「ではこもっているわけでもないか……」

 男は唸った。

 魔力が籠って高熱が出るという症状は、高い魔力を持つ者に稀に現れる。だが、レティシアの魔力は、威力の低い魔道具は扱えても、自力で魔法を使うことはできない程度しかない。

「私にはこれ以上分からない。すまんな」

 男は長く息を吐くと、レティシアから身を離した。

「魔法絡みは専門じゃあないんだ」

「専門の方をご存じでしたら……」

「この町の治癒術師を紹介してやれるが、そいつらが本当に治せるかは期待せんでくれ。魔法で病気を治すのは、怪我を治すのの何倍も難しいんだ。王都まで行けばできるやつはいると思うがな」

「そう、ですか……」

 クレアは項垂うなだれた。そもそも治癒術師自体が希少なのだ。その中でさらに少ないとなると、よほど大きな町でないと見つけるのは難しいだろう。

「あの」

 少し迷ったあと、クレアは覚悟を決めて聞いた。

「レティを……この子を、王都まで連れて行けると思いますか?」

「……それも、分からん」

 質問の意図を察したらしい男は、慎重に言葉を選びつつ言った。

「が、私の見たところ、可能だとは思う。行くつもりなら、早めに決断すべきだ」

「分かりました」

 クレアは小さく頷いた。

 この町の治癒術師への紹介状を書いてもらったあと、男は帰った。診察の代金を払おうとしたが、何もできなかったからと拒否された。その子のために使ってやってくれと言われて、クレアは何度もお礼した。

「……よし」

 くじけそうになる心をなんとか奮い立たせて、クレアは再び外に出た。


 最初に家を訪ねた治癒術師は、忙しくて会うことはできなかった。次の一人も、その次の一人も同じだ。貴重な治癒術師は、例え冒険者をやっていなかったとしても色んな場所を走り回っていることが多い。攻撃魔法と違って、治癒魔法はどんな場所でも必要とされる。

 最後の一人、冒険者の男は、そもそもどこに居るのか分からなかった。医者の老人が知っていたのは、家は持っておらず、どこかの宿に泊まっているだろうということだけだった。そもそも町の外に出ている可能性も高い。

 冒険者の伝手つて辿たどって、その人物に関する情報をなんとか集めた。運よく今は町にいるらしく、そして長期で借りている宿も分かった。その情報を手に入れたのは、もう日が暮れた後だった。

 クレアは男がいるはずの部屋の扉を、控えめに叩いた。もう遅い時間だが、そんなことを言っている余裕はない。冒険者が、明日の日が登ったあともまだ部屋にいるという保証は無い。

「はーい……!?」

 手前に開いた扉から出てきた男は、クレアの顔を見てひどく驚いたようだった。きっと宿の店員か男友達だとでも思っていて、若い女性が一人で訪ねてきたなんて想像もしていなかったのだろう。

「ええと……なんでしょう? どちらさま?」

 男は恐る恐る尋ねる。クレアは眉を寄せながら言った。

「突然、すみません。私の友達が、病気になってしまって……」

「あーだめだめ!」

 相手の言葉を途中で切って、男はぶんぶんと首を振る。

「そういうのは一切お断りです他をあたって!」

「待ってください! 話だけでも聞いてください!」

 閉じられようとする扉を、クレアは慌てて掴んだ。

 必死の懇願に心を動かされたのか、それとも無理やり締め出すのはさすがに気が引けたのか、男は渋々力を緩めた。

「……どうぞ。聞くだけですよ」

 扉を開き、手で部屋の中を示す。クレアは一瞬躊躇ちゅうちょしたあと、中に足を踏み入れた。部屋の中は男らしく散らかっていたが、自分もあまり綺麗好きとは言えないクレアだ。そこまで気にはならなかった。

 レティシアの症状、医者にてもらったことなど、クレアは詳しく話した。男は何も言わずに聞き終わったあと、静かに言った。

「なるほどお話は分かりました。でもやっぱり俺が何かしてあげることはできないですよ」

「せめて、何の病気かを調べてもらうわけには……」

「申し訳ありませんが、それも無理です。ちょっと魔法で調べようとしただけでも、魔法絡みの病気は一気に悪化することもあるんです。その方の命を賭けたギャンブルなんてできないでしょ?」

「そうですか……」

 クレアは顔を伏せた。そう言われると、納得するしかない。男は気づかわしげにそれを見ていた。

「正直この町ではどうにもならないと思いますよ」

「分かりました。ありがとうございました」

 意気消沈して部屋を出る。最後に小さくお辞儀をして、扉を閉めた。

 溜息をらしながら、階段を下りた。一階は食堂兼酒場のようになっていて、この時間だと酒を飲んで騒いでいる客が多い。クレアには、それがひどく煩わしく感じられた。

「よお」

 不意に声をかけられ、下を向いて歩いてクレアは、はっと顔を上げた。宿の入り口のすぐそばで、ステフは腕を組み、壁に背をもたれかからせていた。まるで待ち構えていたかのようだ。

「治癒術師を探してるんだって?」

 当然のようにステフは言った。訪ね回っていることを嗅ぎ付けられたのだろうか。クレアは無意識のうちに、表情を強張らせた。

「もしかして、レティシアって子が病気なのか?」

「……あなたには、関係ありません」

 そう言って、クレアは彼の横を通り過ぎようとする。だが続く言葉を聞いて、足を止めざるを得なかった。

「俺なら、腕のいい治癒術師を知ってるぞ」

 ステフは口元に、妙に優しげな笑みを浮かべた。クレアは彼の顔を見ながら、弱々しい口調で言った。

「……教えて、いただけるのですか?」

「紹介してやってもいいぞ。その代わり、ちょっとした依頼を受けてもらうけどなー。レティシアって子と二人で」

 それを聞いて、クレアはぎゅっと唇を噛んだ。

「べつに難しいことじゃない。その子のことをちょっと調べたいだけだ」

 軽い口調で彼は言う。

 クレアはステフの目をじっと見て、その言葉が真実なのかどうか見極めようとした。だが彼の軽薄そうな表情からは、何の情報も読み取れない。

(彼に頼むべき?)

 それが最善手なのかもしれない。他に考えられるのは、もう王都に行くことぐらいだ。辿り着くまでに、レティシアの病状はさらに悪化するだろう。

「お友達を助けたくないのか?」

 ステフが問う。クレアは何かを言いかけて、口を開いた。だがすぐに閉じる。

 やっぱり、駄目だ。こいつのことは何があっても絶対に信じてはいけない。ただの勘でしかなかったが、クレアはほぼそう確信していた。

「あなたの、助けは、必要ありません」

 クレアはきっぱりとそう言った。ステフは少し目を見開く。

 彼の横をすたすたと通り過ぎ、宿を出た。相手の視線はじっとこちらに向けられていたが、何かを言ってくることは無かった。

 通りに出ると、クレアはほうっと息を吐き出した。本当に、断ってよかったんだろうか。レティシアのことを考えるなら、受けるべきじゃなかったんだろうか。

 いや、既にしてしまった選択をどうこう言っても仕方ない。今やるべきなのは、一刻も早くレティシアを王都に連れていくことだ。

 クレアは決意のこもった眼差しで、通りを進んだ。

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