ザ! 配達! DASH!! (2)

「ああ、でも、片方だけ無知なままって言うのは、いかにもフェアじゃないなぁ。そんなことじゃ僕も本当に申し訳ないから、教えてあげるよ。何しろ、僕は親切だからね」


 そうして、災害配達人は語り始める。

 俺達、『OZ』の配達行為、その裏に隠されていた、真実の一片を。


「君のやっているチートアイテム配達と、僕のやっている災害配達。それは正反対に見えて、同じ行為を指しているのさ」

「どこが同じだ。俺達は人や世界を救う為に、チートアイテムを配達しているんだ。お前が配達しているのが災害なのなら正反対だろうが。そっちは、世界を滅ぼしかねないんだからな」

「やはり分かってないね。正反対に見えるのは、君の視点の問題さ。ある視点においては、僕も君も、全く同じなのさ」

「はぁ? 何だよその、ある視点ってのは……」

「無論、神の視点さ」


 災害配達人の男は、大きく手を広げて語り始める。

 

「世界を救うこと。世界を滅ぼすこと。どちらも、個人の視点からすれば、いかにも規模が大き過ぎる。世界を救うとか、滅ぼすとか、人のスケールに合っていない話。個々人の力では、どうにもならないことだろう? そんなことが出来るのは、神を置いて他にはいないさ」


 まるで、自分自身が神にでもなったかのように。


「神の視点からすれば、世界が1つ救われようが、滅ぼされようが、大した違いは無いんだよ。僕らだって、庭にあるアリの巣が1つ潰れようが、無事だろうが、何の興味もないだろう? 神からすれば、僕らのような人間のことも、世界の事も、別に同じってことさ。どちらも平等に、どうでも良い」


 大衆に向けて演説でもするかのように。


「神が見ているのは、もっと上の、高次元の話だ。世界同士のバランス。世界を束ねた世界、そう言うところを見ているんだよ。どこか1つの世界の在り方によって、もっと多くの世界が危機に陥ることがある。そんな、大規模で未曽有の危機を救う為に、神は動いているのさ!!!」


 数多ある世界と、その救済と滅亡について語るのであった。


「どうだい? 分かってくれたかい?」

「……だったら、多くの世界が救われる為なら、1つや2つ世界が滅びたところで、どうでも良いって言うのか?」

「その通り。大切なのはバランスであって、個々の世界の未来じゃあない。もっと多くのものを、神は見ている。だから、1つの世界のことを、神が確かめるなんてナンセンスだよ。そんな暇も理由も意味も重みも、無いんだからさ」

「……そこで、俺達なのか」

「そう、僕達だ」

「俺達、配達員は、神とやらの代わりに、世界を救い」

「僕達、災害配達員は、神とやらの代わりに、世界を滅ぼす」

「……ふざけた話だな」

「ああ、本当にね。僕らは等しく下請け業、どちらも小さな神様の端末ってワケさ。全く、ふざけた話だよねぇ? こっちは必死になってやっていることなのに、神からしたらただの雑用だって言うんだからさ」


 確かに、俺達のやって来たことは、とてつもなく巨大な枠組みの、その一部にしか過ぎなかったのだろう。

 俺達はチートアイテムを配達して周り、世界を救ってきたつもりであっても。

 その裏側では、同じように災害配達人が動いて、同じくらいの世界を滅びに突き落としている。

 どれだけプラスを積み重ねても、端から崩されているようなものだ。

 まるで救った気分にはなれない。

 全くもって、人間の視点からは遠い話。

 それは確かに、神の領域の話だ。


「本当にふざけた話だな……」


 社長の野郎、とんでもない迫力を持ってると思ってたら、まさか本当に神のような存在だったなんて。

 全く、悪い冗談が過ぎるだろう。

 ただ、それを知ったところで、俺達がどうにか出来る話ではない。

 神とか言われても知らんし。

 神の考えていることなんて知らんし。


「でも……」


 確かに神はいるのだろう。

 しかし神も万能ではあっても、全能ではない。

 もし全能ならば、俺達のような存在は必要ない。

 悩むことも、躊躇うこともない。全て、自分で何とかすれば良いのだから。

 コハネのことで、俺を利用する必要だって無いのだ。


 あの社長は、俺にとっては、ただの『OZ』の社長でしかない。

 神だとしても、それはただの人間でしかない俺に関係のないことなのだ。

 人に蟻の気持ちが分からないのと同じように、蟻にとっても人なんてどうでも良い存在なのだ。

 確かに力は強大であっても、そんなことは蟻からすれば別に大差ないことで。

 つまり、俺のやるべきことは、何も変わらない。

 これまでと、何も。

 

「そうだな。それで良い」


 いつの間にか握っていた拳を見下ろす。

 考えてみれば、その拳は神……社長を殴り飛ばした拳だ。

 知らずとはいえ、神とやらを殴り飛ばしたその拳があれば、何一つ、恐れるものなんてないのだろう。

 罰が当たらなければいいけど……。


「どうしたんだい、そんな顔して。今まで、自分がやって来たことの無意味さ、自分自身の矮小さが嫌になって、頭がおかしくなったのかい?」

「お前には関係ないだろう」


 そう簡潔に告げると、奴の顔が歪んだ。

 自分の理解出来ないことに怯え、訝しんでいる、そんな顔だ。

 神だとか、世界だとか、大層な話で俺が怯えるとでも思っていたのだろうが、俺のやる気の無さを甘く見ていたようだな。

 こいつの余裕を崩してやれたことが、妙に楽しい。

 さて、折角そんな隙を見せてくれたのだから。

 今度はこちらから、切り込んでいく。


「おい、お前。勝手に話を逸らすんじゃねえ。神様の話なんかどうでもいいんだよ。大事なのは人間の話だ」

「話を逸らすだと……? こっちは、君が知らないから教えてやったんじゃないか。僕達と君達の、大層で無意味な立場の話を」

「だから、それがどうでも良いって言ってるんだよ!」

「……はぁ?」

「俺は、お前が災害配達人だろうが何だろうが、その仕事が何をしていようが、別に興味は無いんだ。ただ、俺の邪魔にさえならなければな!」


 僅かに困惑した様子の災害配達人に突き付ける。


「お前は、何でここにいるんだよ。ここは病室、俺の妹の病室だ。どうして、ここにいるんだ? 邪魔だ。出て行け!」


 そう、あの遺跡でのレースにおいて俺達の前に災害を配達して来たことには、コハネを成長させる為という、胸くそ悪い理由が確かにあった。

 そのお返しは、後で必ずしなくてはと考えているが、しかしそれよりも気になるのは今のことだ。

 神だとか、世界だとかどうでもいい。

 大事なのは、妹だ。


「……ねえ。折角、色々と説明してあげたって言うのに、その反応はちょっと酷いんじゃないのかい?」

「しょうがないだろ。興味がないんだから」

「……そう。まあ確かに、こっちだって興味がないし。永遠に用なんてないさ。こんなところにいる必要だって無い。用事さえ済ませれば、すぐに出て行くよ」


 そう言って、災害配達人の男は立ち上がると、ベッドの側に歩み寄る。


「僕が必要としているのは、彼女だけなんだからね」

「待て、てめえ。何をしている。妹に近付くんじゃねえ」

「災害。そう、災害だよ。僕は災害配達人なんだから、災害を尊び、そして制御する。災害こそが僕の商売道具で、武器で、そしてパートナーだ」

「何を言っている。さっさとサツキから離れろ!」

「我ら災害配達人、災害と共に生まれ、災害と共に生き、そして災害と共に死す! 災害こそが我らの信念だ! だから、こうして災害を生み出すこともまた、僕達の仕事なんだよ!!」


 そう言って、災害配達人は懐から何かを取り出す。

 手に収まる程の、真っ青な小瓶。その形には、見覚えがある。

 レース参加の見返りとして社長から渡された、どんな病でも治すという万能薬。

 主治医であるアラタに渡し、サツキの治療に使用してもらった、血塗られたような赤色をした小さな小瓶だ。

 しかし今、奴の手の中にあるのは、青色の小瓶。

 その小瓶をサツキに向ける。


「お前、それは……!?」

「おっと、この薬に見覚えがあるようだね? そう、これもまた、彼女の為に用意されたものだよ。ああ、別に心配することはないよ。彼女にはこの薬が絶対に必要なんだって、すぐに君も理解する筈さ」

「そんな訳、ないだろうが――!!」


 得体の知れない薬を、サツキに触れさせる訳にはいかない。

 災害の名を冠する奴のやることなんて、とても信用ならない。

 飛びかかって止めようとするも。


「遅いね」


 しかし、奴の動きの方が、早かった。

 軽く放り投げられた青い小瓶は、吸い込まれるように、そうあるべきだというように、ベッドで眠っているサツキの身体の中に沈み込む。


「これで、彼女は真なる意味で完成する! そう、最強にして最悪の災害『災害獣ディザスター人型ヒューマン』としての本領にね! いや、こうなった彼女は、最早『人災』と言うべきかな! ふふん、記念すべき誕生の瞬間。指を咥えて見ているがいいさ!!」


 奴の言葉を、受けるように。

 サツキを包んでいた空気が、瞬間的に、禍々しい紫色へと変わる。


「なっ!?」


 サツキの、自慢の黒髪が寄り集まっていく。

 本来の量を越えるだけの量へと倍加した黒髪が更に集まりを形成し、太さと長さを増していく。

 まるで触手めいた黒髪は、悶えるように辺りを暴れ回った。

 壁が、天井が、妹の振るう触手で刻まれて、軋む。

 どう見ても普通ではない。

 俺の妹が、苅家かりやサツキが、得体の知れない何かに変貌しようとしている。


 激しく揺れる病室の中、奴に食って掛かる。


「てめえ! 俺の妹に何をしやがった!!」

「ははは! 言っただろう? 僕は、災害を統べる存在だってさ! 災害の獣では、どうしても到達しえなかった領域に辿り着く、最強にして最悪の完成形! それこそが、まさに彼女なんだよ!!」

「災害……!? サツキが災害だって言うのか!?」

「そうさ、彼女こそは特異な存在、ずっと探し求められていた人材だからね! 人の身体でありながら、災害としての能力を宿した、稀有な存在! 地震よりも火災よりも洪水よりも最悪な『人災』と、そう呼ばれるべき存在さ!!」

「どうして、俺の妹が!!」

「さあね!? 僕は知らないよ。ひょっとしたら運命とか、そういう曖昧な奴なんじゃないかな。折角だから、神様にでも聞いてみればいいんじゃない?」

「ふざけるな! 今すぐに止めろ!!」

「もう手遅れさ。運命が彼女をそうさせたんだからね! さあ、僕の愛しき『人災』よ、手始めにそいつを葬って見せなよ!!」


 奴の指令に従って、ベッドの上のサツキがこちらを向く。

 その瞳は、禍々しい紫色に輝いていて。

 一瞬、それが大切な妹のものであることを忘れて、寒気が走った。


「――ッ!?」


 殺される。

 本能が、そう警告している。

 サツキの全身から立ち上がる空気は、既に殺気と呼べるようなものへと変貌している。

 人災。

 人でありながら災害であると、そう定義されてしまったもの。

 寄り集まった髪の毛が、鎌首をもたげるように展開する。

 それは、1本1本が意志を持つかのように、こちらに向けて一瞬で伸び。


「ぐふッ!?」


 しかし、俺の直前で急に曲がると。

 目の前、ドヤ顔で災害配達人を、思い切り薙ぎ払ったのだった。


「……え?」

「……え?」


 俺の妹、苅家サツキの病室の中で

 俺と、災害配達人の疑問の声が重なる。


「え? ちょっ、ちょっと!? ちょっと待って!?」


 部屋の中に響く悲鳴は、災害配達人のもの。

 奴は、半泣きの声を上げながら、病室の中を逃げ回っているのだ。


「ちょ、だから待って! 何で!? 何でぇ!?」


 それもその筈。

 俺の目の前で繰り広げられているのは、頭を抱えて逃げ回る災害配達人と、そんな奴を執拗に追いかけ、攻撃している触手というものなのだ。

 殺気を持ったサツキの髪の毛は、俺ではなく、災害配達人を襲っている。

 というか、俺の事なんか、まるで蚊帳の外で。


「ちょ、止め……止めて……何で!? 止めて下さい!!」

 

 情けない悲鳴が上がる。

 触手めいたサツキの髪の毛は、いよいよ逃げ切れず病室の隅に追いやられた災害配達人を捉えた。

 一撃一撃の威力はそうでもないのだろうが、まるで折檻でもするように、何度も何度も打ち付けている。


「そ、そんなバカな……ベフッ!? 制御出来る、筈、なのに……バフッ!?」


 どうにか逃れようとするも、しかし四方八方から迫り来る触手は、災害配達人を決して逃がさない。

 全身を丸くして床に蹲るも、無理矢理その身体を起こされ、絶えず殴り続けられてはどうしようもなく。


「ひでぶぅ!?」


 いよいよ頭に一撃を受け、災害配達員は床に崩れ落ちた。

 蛙のように潰れ、動かない。

 完全に、意識を失っている。


 そして静寂を取り戻した病室。

 幾度となく訪れた、サツキが眠る、静かで、白い病室の中で俺は。


「おい、ちょっと待て。何だこれ」


 ツッコミを入れざるを得なかった。

 何だコイツ。

 何なんだコイツ。

 あんだけ自信あり気に振る舞ったくせに、何をいきなりやられるんだよ。

 何が災害の完成形だよ! 自慢気に言っておいて、その当人にぶちのめされるとか、もう意味が分からな過ぎて笑えて来るやつだ!

 自分が災害の専門家でございみたいな態度を取っておいて、制御のせの字も出ないレベルでやられているのは、もうどうすればいいんだよ!! 


「って、おい! 呑気に寝ている場合じゃないだろ。起きろ! せめて、止め方を教えてから気絶しろ!」


 しかし災害配達人は見事なまでに気絶していて、俺の言葉なんて届く筈もない。

 さて、攻撃対象が沈黙した場合、どうなるのかといえば。


「くそ、やっぱりか……」


 災害配達人を仕留めた触手……サツキの髪の毛は、次に、同じ病室の中にいる俺に向かって来ようとしている。

 このままでは、奴の二の舞になってしまう。

 しかし手元にはガジェットもなく、そもそも妹に手を出すことは出来ない。

 いくら触手がぼこぼこ生えていたとしても、それは俺の愛する妹なのだから。


「――ッ!?」


 どうしようかと思案する俺の目の前、サツキがベッドから立ち上がった。

 いや正確には立ち上がったのではなく、伸びた触手を床に突き刺して、四足歩行をするようにして、ベッドを離れ、こちらへと向かって来ようとしている。

 それは、人間の本来の動きからはかけ離れた、異形の姿で。

 しかし、長年見続けていた寝たきりの姿ではなく、自らの力でベッドから離れた姿を見て、俺は、感動を覚えそうになる。

 その姿から目を離すことは出来ず。

 その場から逃げることは、出来なかった。


「サツキ……」


 やがて、四足歩行のサツキは、俺の目の前に迫り、サツキの顔が近付く。

 近くで見たその瞳には、どんな意志も宿っていない。

 ただ、不吉な紫色が輝いているだけだ。

 食い殺されてしまうのではないかと、そんな風にも思い。

 このまま食い殺されるのならば、それはそれで構わないと、半ば諦めが混じった感情のまま。

 目を閉じ、次に訪れる事態を待っていると。


「……あら、兄さんではありませんか?」


 懐かしい声。

 目を開けたそこにあったのは、理性を取り戻した瞳。

 何もなかったかのように、俺の妹は……サツキが喋っていた。

 至って普通に。

 まるで、夕飯のおかずでも聞くかのように。


「少し痩せました? 食事はちゃんと摂っているのですか?」

「……お前、何で普通に喋っているんだ」

「私が普通に喋ったら駄目なんですか。失礼な兄さんですね」

「……確かにサツキだ……」

「兄さんが何に納得しているのか分かりませんが、確かにサツキですよ。兄さんの妹です」

「本当だな、妹だよな……」


 この、丁寧ながらも強烈な感じの喋り方。

 それは確かに妹の……苅家サツキのものだ。

 随分と久しぶりに聞いた声ではあるものの、妹の声を間違えることなんてない。

 確かに我が妹、サツキである。

 

 待ち焦がれた瞬間が、今訪れている。

 信じられない。夢ではないだろうか。


「……その、『信じられない。夢ではないだろうか』と言わんばかりの視線。まさか、妹の顔を忘れたとか、そういうことではありませんよね?」


 突如凄味に溢れた視線で睨んでくるサツキ。

 この、人の心が読めているのではないだろうかというばかりの反応は、確かにサツキのものだ。 

 人を射殺さんばかりの強い眼力も変わらない。


「いや、サツキ。お前、今までずっと眠っていたんだぞ? それが急に目を醒ましたんだから、そりゃ驚くだろうよ?」

「そうですね、確かにそんな気がします。私はずっと、夢の中にいました。醒めることのない闇の中で。だけど、兄さんの声は、確かに聞こえていました」

「……そうなのか?」

「ええ。優しい、兄さんの声が」

「何だよ。照れるな」


 サツキは、優しく微笑んで。


「仕事の愚痴ばかりを零す兄さんの声が、私の元に届いていましたよ」

「違う! 照れてる場合じゃない。俺カッコ悪い!!」

「毎日毎日、『もう仕事したくない……』『仕事のない世界に行きたい……』『明日もパンの耳か……』という悲痛なうめき声ばかりが」

「カッコ悪いから止めて! っていうか、何でそんなのばかり覚えているの!?」

「そんなになってまで兄さんが苦しんでいるとなれば、私もただ黙って眠っている訳には行きません。ブラック企業の歯車として戦っている兄を置いて、一人だけ寝ているなんて、そんなことは……」

「大丈夫! 別にそこまで苦しんではいなかったからな!? 目を醒まさない妹に心配されるほど追いつめられてもいなかったし!!」

「兄さんの苦しむ姿を見ているのも乙なものですが、しかし大切な兄さんの一大事となれば話は別です。妹である私が一肌脱ぐしかありません」

「いや、脱がなくていいから!」

「……成程、脱がない方が好みと。参考になりました」

「何の参考だ、何の」


 そんな風に、他愛もない、サツキとの会話。

 何だろう、この、懐かしいやり取りは。

 思わず心の中に温かい物が蘇る。

 この為に、ここまで走って来た。

 自分の全てを擲って、妹の為に戦って来た。

 だから、こうしていざ目的を達成出来たことが、本当に感無量で。

 もう俺にとっての目的は完遂され、これ以上俺がここにいる理由、ここで働く理由もない。

 このまま、サツキと共にいることが出来れば、それで何も要らないと……。


「…………」


 そう思った時。

 そう思おうと、した時に。

 脳裏を過ぎる、サツキでではない誰かの姿が無ければ、本当にそうするつもりだったのだろう。


「…………はぁ」


 妹を救おうと、ここまで来て。

 しかし、その過程において、余計なものを俺は抱え込んでいた。

 余計と、そう切り捨てられるくらいならば、まだ良かった。

 しかし、簡単に捨ててしまうには深過ぎる程の傷跡を、俺の心に残していて。

 だから、こうして心が痛むのだ。

 まだ、やり残したことがある。

 この『OZ』を離れる事は出来ない。

 

「……兄さん?」


 そんな風に考えている俺の事を、どう思ったのか。

 サツキは、幾分落とした声で話しかけて来る。


「兄さん、お願いがあります」

「え!? な、何だ!? 何でも聞くぞ!?」

「……今、何でもって言いました?」


 そこで何故か妹が舌なめずりをした気がしたが、錯覚だろう。

 肉食獣の如き顔だったぞ。


「いえ、真面目に話をしましょう」

「俺は最初から真面目な話をしているつもりなんだが……」

「そうですね、兄さんはいつだって真面目です。こうして私のことを心配してくれている時も、どこかでは別の事を考えて、悩んでいるんでしょう。兄さんは、本当に真面目な人だから」

「ああ、うん、そこまで言われるほどでもない気がするんだが……いや、褒めてもらうのは嬉しいことなんだが、照れるよな、ははは」

「真面目にやって下さい」

「やってるだろ!?」


 これ、どうすれば正解だったんだよ。

 昔から口喧嘩で勝てたことなんて無かったけれど。


「兄さん。私は、これから、私ではなくなります」


 サツキは、そこで不意に表情を消して、告げる。


「今、私の中で、何かが暴れているのを感じます。それは、昔から私の中にあったもので、私自身とは切っても切り離せないものだって、そんな風に感じるんです。それが……私の中で……!!」

「お前、突然何を言って……」


 妹の言葉に疑問を返すも、しかし心当たりがあった。

 あの災害配達人が、サツキのことを災害、人災と呼んでいたのだ。

 奴も、別に趣味や娯楽で動いている訳ではない筈だ。何か目的があって行動していたのだろう。

 道半ばで無惨に倒されていたとはいえ、あの災害配達人にとっての目的は、達成されていたのでは。

 あいつが……もしくは、あいつに指令を出した何者か。

 いや、はっきり言ってしまっても良いだろう、『OZ』の社長が。

 サツキの中に、何かを見出していたのなら。

 それは確かに、サツキの中にあってもおかしくはない。

 妹自身が恐れ、災害配達人が目指し、そしてあの社長が関わっている、何かが。


「確かに。私の中の何かが、もうすぐ、目覚めようとしています。私の内側にある、私の、もう一つの可能性……いずれ向き合う時が来るというのなら、それは、長い眠りから目覚めた、兄さんが側にいる今しかありません……」

「サツキ!」

「お願い、します。どうか、私を、止めて、下さい……!」

「待て……ッ!!」


 何もかも急すぎる話で、理解が追いつかない。

 とにかくサツキを、どうにか落ち着かせようと手を伸ばして。

 しかし俺の目の前で、再びサツキの瞳から光が消えた。

 がくんとその身体が揺れ、再び灯るのは、あの禍々しい紫色。

 サツキが危惧していた何かの、目覚めだった。


「クソッ!!」


 咄嗟に飛び退こうとするも、しかし距離が近過ぎた。

 至近距離でサツキと話をしていたからこそ、逃げる余裕が無くなっている。


「――ッ!!!」


 しかし、慌てる俺とは違い、サツキだった何者かの行動は迅速だ。

 一瞬、サツキの髪の毛を束ねた触手が揺らいだかと思うと、すぐさま四方から触手が伸長して来る。

 どうあっても必中の、殺意に溢れた攻撃で。

 防ぐことも、避けることも出来ず。

 無防備な俺の身体を触手が貫こうとして。

 

「危ない!!!」


 しかし、不意に吹く、一陣の風と共に。

 病室の中に入った来た人物が、迫り来る触手を弾き飛ばす。


「なっ!?」


 呆然と佇む俺の目の前に、突然現れた人物。

 次々と迫って来る触手を次々と捕らえ、その拳で弾き飛ばしていく。

 一撃。二撃。三撃。

 見惚れる程の連打は、こちらへ迫る触手を確かに押さえ、その脅威を取り除き。

 

「って、何をボーッとしてるんですか! 早く、逃げますよ!」


 俺へと伸ばされた手には、白い包帯が巻かれている。

 いや手だけでは無い。全身に包帯が巻かれている。

 それはそうだろう。

 意識を失う程の深い傷。こんな包帯だけで購える筈が無い傷を、俺を庇って負ったのだから。


「何で、お前が……」

「話は後です! 先輩!」


 病室の中に駆け込んで来た、俺の後輩。

 絹和きぬわコハネ。


「いやだって、傷が……」

「ゴチャゴチャうるさいですね! とにかく行きますよ!!!」


 コハネは、包帯まみれの身体にも関わらず、いつもと変わらぬ調子で叫んだのだった。



つづく

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