第33話 悲しみのそばに

 彼女は部屋の入り口に突っ立ったまま、ぼくの着せたシャツの裾をいじくっている。窓から月明かりが差し込んで、四角くカーペットを照らしていた。

 彼女がふと顔を持ち上げて、ぼくの方を見る。涙はもう乾いていた。

「どうしてこんな風になったんだろう、って、ときどき考えるんだ」

 聞いているのか、いないのか、彼女は首を傾げた。

「他人のことが怖い。深入りしたくない。

 でも、子供の頃のぼくはもっと違っていた気がする」

 海から吹き付ける風は強い。遠くの方で風がごうっと、うなりをあげた。

「いつからこうなったんだろう。ってね」

 月明かりが彼女の足に触れる。相変わらず白い足だ。日焼けという現象を知らないのかもしれない。あまりにも細いその足は、子供の足に似ていて、触ったら折れてしまいそうだ。

「ここに帰ってくるつもりはなかった」

 本当にその通りだった。大好きだったけど、ぼくはこの街が大嫌いで。磯の匂いと強い風、錆びた電柱。たくさんの流木、拾う人もいない漂流ゴミ。

「ひとりで立派に、やっていけると思ってたのに」

 胸が苦しくなった。彼女が足音もなくぼくのすぐそばに立つ。

 ぼくが泣くより先に、彼女の手がぼくの頰に触れた。冷たい。悲しいとき、彼女は寄ってくる。ぼくの涙を舐めとりにくるみたいに。

 ぼくの隣に彼女が腰掛ける。ぼくの目から涙がこぼれ落ちた。

 この人が喋りだしたらいいのに。そして今のぼくがどんなに情けないかを、その唇で語ってくれたらいいのに。そんなことを、考えた。

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