第31話 溺れていく
死ぬ方法を検索しようとしたら、グーグル先生が、それは病気だと教えてくれた。そうか、病気なら治るのかもしれない。ぼくは病院にかかった。先生は、ぼくの話もそこそこに、薬の説明を始めた。憂鬱を抑える薬、眠りやすくなる薬、それから薬には相性もあるからまず決められた期間決められた量をしっかり飲んでほしい。ぼくは大きな薬袋をもらった。
ぼくは薬を飲んだ。根気よく飲み続けた。あまりよくなっている気はしなかった。上司はお前は甘えているといった。俺の若い頃はもっと厳しかった、今の若い奴らは我慢を知らない、俺が教えてやっているんだ。そういうものかとぼくは思った。
薬を飲んでも病気がよくならないので、医者は何度か薬を変えた。だんだんと量が増えていく。ぼくはラムネみたいに薬を飲んだ。死にたい気持ちはなかなか治らない。少し良くなっても、すぐにまた苦しくなる。大人になってから発症した喘息がひどくなった。なんだかんだ体調はいつも悪かった。
「仕事を変わった方がいい」
「医者も他を探して」
アドバイスをくれた友達もいた。ぼくはとうとう仕事を辞めた。辞めたというか、クビになったのだ。体調がどうしても優れなくて、朝寝床から起きられなくなった。電話を入れなければ。そう思う。けれど、以前の上司の叱責を思い出して、怖くて発信ボタンが押せない。しよう、やめよう、かけよう、きろう、そういうことを繰り返しているうちに出社時間を過ぎていた。怖くなって、電話の電源を落とした。
それから何日間か動けないままじっとしていた。実質無断欠勤を繰り返しているわけだから、クビになるのも仕方がない。きっとたくさんの人に迷惑をかけたことだろう。眠くなる薬を飲んだ。不思議なことにクビになる、と確信した途端、 ぼくは深い眠りに落ちて、一日中眠ることができた。
気分が良くなる薬も、もう飲みたくなかった。ぼくはトイレと水分摂取以外、ひたすら横になっていた。廃人、の二文字が頭に浮かんだ。実際そうだ。何もしたくない、何も考えたくない。
「兄貴?」
部屋に入ってきたのは連絡の取れないぼくを心配した弟だった。マンションの管理人に話をして鍵を開けてもらったのだという。彼はぼくを見て驚いていた。死人のような顔色をしていると言った。
彼はぼくのように成績が良かったわけではないけど、地頭がいいというか、こういうときの判断力や行動力には目を見張るものがある。机の上の薬袋や残量から、ぼくの病状を推測したらしい。会社に連絡を入れてくれたのもまず彼だった。実家に連絡してくれたのも彼だった。母親が仕事を休んで飛んできた。ぼくは実家に引き取られることになった。
ぼくは母親と二人で会社へ謝りに行った。オフイスの目の前に来ると冷や汗が滲んで動けなかった。なんどかトイレで吐いた。母が悲しそうにぼくを見ていた。
「その年になって恥ずかしいやつだな」
上司にかけられた最後の言葉だった。荷物を片付けながら涙で視界が歪んだ。それから外に出るのが怖くなった。働いてもいないくせに。なにをしてても頭の中でそんな風に感じてしまう。外ですれ違う誰もが、心の底からぼくを無能を罵っている気がした。都心から離れれば少しはマシになるかと期待したけど、実家に帰ってもその症状は続いた。
シャワーを流しっぱなしにしたまま、ぼくは座り込んで立てない。足が言うことを聞かなかった。どうしていつもぼくの体はこうなんだろう。絶望という言葉に近い気持ちがぼくの思考を覆う。
ガチャっと音がして、誰かが風呂場に入ってきた。白いワンピース。女がぼくの手を取る。ぼくの体は脱力して、引っ張られても立ち上がれない。彼女がぼくの背後から、脇の下に手を回して、抱き上げるようにした。だけど地面が濡れているのでうまく踏ん張れない。ぼくは中途半端に腰を浮かした体勢になった。恥ずかしいとか、そういう感情はなかった。きっと麻痺していたんだ。
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